目が覚めるとおじいさんだった。
「お、ええ?」
俺は、孫のエレナの言葉に驚いた。うん? 孫? 孫って、俺の孫? 何でこの子の、孫の名前を俺が知っているんだ。孫なんだから名前を知っていても、おかしくはないのだが、いや、おかしいだろ。何で俺に孫がいる。
「おじいちゃんどうしたの、大丈夫、心配したんだよ」
女の子は、孫のエレナは、いや、孫な訳がないのだが、エレナは目に涙をためていた。
「大丈夫だよエレナ、じゃない。ここはどこだ。あっ、わしの部屋。じゃなくて、なんじゃ、何が起こっておる」
俺は体を起こそうとしたが、体に力が入らず起き上がれなかった。声もしわがれている。体調を崩しているのか。なにが、どうなった。
「だめよおじいちゃん。魂が戻ったばっかりなんだから、おとなしくしてなくちゃ」
魂? この子は何を言っているんだ。離魂病か。何度かやったことがある。なんだそれは、なぜ、そんなことを俺は知っているんだ。俺は左手で額をかいた。
「あれ」
おかしな感触だった。皮膚がざらついている。それどころか、深いしわがあった。顔をなでる。額に深いしわが刻まれ、鼻の脇にも深いしわがある。ほほの肉が冗談のようにたれていた。頭を触ると毛の感触が少ない。頭が頭髪が頭頂部までずるりと無くなっていた。
「なんだこれは」
手を見ると、細く、張りもなく、細かい、しわとシミがあった。なんだ、この手は、老人の手、俺の手が老人に、顔にしわが、先ほど起き上がれなかったのは、体調が悪かったわけではない。筋力が足りなかったからなのか。俺は老人になったのか。皮膚のたるみにしわ、抜け落ちた髪の毛、自分の手を見つめながら呆然とした。
「ねぇ、おじいちゃんどうしたの」
エレナが俺を見つめる。なぜ、この娘の名前を俺は知っている。
「俺は、君のおじいちゃん、なんかじゃ、ない」
叫んだ。つもりだったが大きな声は出なかった。
「えっ、どうしたの」
エレナは目を丸くした。
「なにがなんだが、俺にもわからないが、俺は君のおじいさんじゃない。俺の名前は坂木洋一だ」
「えっ、どういうこと」
こっちが聞きたいよ。ちょっと前まで十九歳の大学生で、今は七十八か、てか、なんで俺はこの体の年齢を知っているんだ。俺は知らない間に年をとったのか。六十年近くも一気に年をとったのか。ほんでもって孫までいるなんて、孫と言えば、第42回日本レコード大賞 優秀作品賞受賞した、孫のかわいさを歌った『孫』というタイトルの歌を歌った歌手は誰?
「どうやら、別の人間の魂が、入ってしまったようだね」
見知らぬ長身の男が、いや、医者のヘングレーが言った。
「おまえさんは、町で医者をやっていたが、医院長の娘にちょっかいをかけて追い出されて、村に帰ってきたヘングレーか」
俺は頭に浮かんできたことを口に出した。
「な! 何なんですかいきなり! へ、変なこと言わないでくださいよ。ふっ、ほんとうに別の人間のようですね。テンヒルさんはそんなこと言いませんよ。思っていたかもしれませんが」
ヘングレーは顔をしかめた。
「わしは、俺は、坂木洋一、十九歳の大学生です」
「ダイガクセイ? なにそれ、おじいちゃんじゃないって、どういうこと」
エレナが、目を大きく広げて俺を見つめた。
「おそらく、君のおじいさんの体に別の人間の魂が入ってしまったんでしょう」
「えっと、どういうこと」
「魂、そうか、魂の入れ直しに失敗したのか。って、なんで俺そんな知識持ってんだ」
俺はしわだらけの頭を抱えた。
「君の魂がおじいさんの体に、はいってしまったということでしょう。君がいろんな知識を持っているのは、おじいさんの記憶を使っているからです。私のことや、おじいさんの孫のエレナさんのことも記憶として知っているのです」
「じゃあ、いま俺の体はどうなっているんです」
「それはわかりませんね。君はどこの人なんです。時々知らない国の言葉が混じっているようだが」
ヘングレーは首をかしげた。
「俺は、日本人です。あと、どうやら、あれ、マジか。この世界の人間じゃないみたいですね」
俺の、じいさんの記憶を照らし合わせて考えれば、そういう結論になる。このじいさんの記憶に間違いがなければ、俺は別の世界に来たことになる。
「この世界じゃないと! 異世界か。ほう、これはおもしろい」
ヘングレーは目を輝かせた。
「どういうことなんです。そもそもおじいちゃんはどこに行ったんです」
エレナは言った。つまりこの娘は、この体のじいさんの孫ということか。じいさんの記憶の所為か、エレナが孫ということに全く違和感を感じない。
ヘングレーは手をかざした。魔力の流れを探っているのだろう。
「魂には、帰巣本能がある。何かに定着しない限りは、本体についてくる。窓の外あたりかな。エレナさん窓を開けてもらえるかな」
エレナは立ち上がり、窓を開けた。
「あら、猫がいるわ」
エレナは窓から身を乗り出した。こちらを向くと、その手の中に黒い毛並みの猫がいた。
「猫に憑依したのかな」
「じゃあ、おじいちゃんなの、この猫、おじいちゃんなの」
エレナは猫を顔の前に持ち上げ見つめた。ニャーと猫は返した。
「憑依しているのなら、今のところ問題はない。問題は、こっちだな」
ヘングレーは俺を見つめた。
「俺、俺はどうなるんです。元の世界に、元の体に帰れるんですよね」
「それがね」
ヘングレーは口ごもった。抜けた魂も、間違えて入ってしまった魂も、込め直すことは可能だ。四十年ほど前にピッチャー・ウケストンが考え出した交換術だ。銀のスプーンを使って、犬とネズミの魂を入れ替え、それから元に戻した。今ではそれ専用の道具も開発されているし、ヘングレーは、その手の医術にも長けている。だが俺の場合どうなる。俺の体はこの世界にはない。入れ替えようにも器がなければどうしようもない。
「元に戻せない」
俺は自分の、借り物の手を見た。老人の手だ。もうすぐ終わる、老人の手だ。
「いや、そうとも限らないんだ。できないともいえないんだ。ただ、やっぱり難しいだろうね」
なんせ事例が少ないからね。ヘングレーは肩をすくめた。
「でも、魂には帰巣本能があるんだから、外せば元の世界に帰れるんじゃないの」
エレナが言った。
「そこまで万能なものではないよ。この世界に彼の魂が来たこと自体とても珍しいことなんだ。何かとてつもなく大きな力が働かない限り、そんなことは起きない。帰巣本能があるからといって、彼の魂が再び別の世界を超えることができる保証はないんだ」
「とりあえず、おじいちゃんの魂を元の体に戻すってのはどうかしら」
エレナは申し訳なさそうに俺をちらちら見ながら言った。
「それはできない。その場合は、まずサカキ君の魂を外さなければならないからね」
「でも、おじいちゃんの体なんだよ」
エレナは涙を浮かべた。エレナの胸元で抱かれている猫がシャーとなぜか俺を威嚇した。
「君の気持ちはわからなくはないが、医者としてそれはできないんだ。わかってくれるね」
「でも、おじいちゃんは」
「おじいさんの体から彼の魂を追い出せというのかい。彼がどうなっても良いと」
エレナは顔を伏せた。
「もし、無理矢理テンヒルさんの体から俺の魂を取り出したら俺はどうなるんです」
話しながら、やばいことになることは、じいさんの記憶から何となくわかった。それでも、医者の答えをはっきり聞きたかった。
「おそらく、元の世界にも体にも帰れず、そのあたりを漂うことになる。何か他の生き物に憑依しなければ、そのうち消滅する」
「そんなぁ」
「ただ希望がないわけじゃないよ。異世界から召喚された人が、元の世界に戻るケースはあるからね。まぁ、最近はそのままとどまるケースも多いけどね」
よほど元の世界は魅力が無いんだね。と、ヘングレーは付け加えた。
「そもそも、どうしてこんなことになったんです。ええと、どうも記憶が曖昧で、あっ、おじいさんのほうの記憶なんですけど、持病の離魂病で倒れたんだとはおもいますが」
いくら思い出そうとしても、何も出てこなかった。倒れたショックでじいさんの記憶が飛んでいるのかもしれない。離魂病で倒れたことは何度かあった。自力で戻ったり、医者に戻してもらったりしていたが、今回のようなことが起きたのは初めてだ。
「推測ですが、テンヒルさんが倒れた後、なにものかが、サカキ君の精神を異世界から召喚し、サカキ君の魂をテンヒルさんに入れ直したということでしょう」
ヘングレーは言った
「だれが、やったんです」
「わかりませんよ。見当もつきません」
ヘングレーは肩をすくめた。
「ですよね」
異世界から人の魂だけを召喚する。そんな術があるとすれば国家レベルの召喚術が必要であろう。じいさんの知識が俺にそう教えてくれた。
「ひょっとしたら、私かも」
孫のエレナがおずおずと手を上げた。