意識と記憶
「なるほど、肉体を離れたテンヒルさんの魂が願ったかもしれないと」
ヘレクスは思案げな顔をした。
「推測ですが」
「でも、魂だけになったおじいちゃんが、何かを願ったりするのかしら」
エレナが紅茶が入ったティーカップをテーブルに置きながら言った。
「肉体から魂が離れた状態でも、意識はあるよ。特にテンヒルさんは離魂病の発作持ちだからね。魂が肉体を離れた状態になれているんだ。その状態で神に何かを願っていてもおかしくはないよ。願いが叶えられるかどうかは別だけど」
「その場合の記憶はどうなるんでしょうか」
「魂にも記憶する能力があるよ。だけど魂に保持された記憶は、魂が元の体に戻らない限り認識できない。離魂した、テンヒルさんの魂が、何かを願っても、テンヒルさんの魂が元の体に戻らない限りは何を願ったのか、わからない」
ヘレクスは黒猫のテンヒルさんを見た。相変わらず窓辺で昼寝をしている。
「俺の場合、意識がテンヒルさんの頭の中に入っているわけでしょう。これって、どういう状況なんです。テンヒルさんの脳の中にはテンヒルさんの記憶と人格があるわけでしょう。俺は意識だけで、これは、自分で物事を考えているのか。それとも、テンヒルさんの脳が物事を考えているのか、どちらなんでしょうか」
「むつかしいね。サカキ君の場合は意識はこちらの世界に来ているけど、肉体は向こうの世界にあるからね。テンヒルさんの中にある、サカキ君の意識が、向こうの世界のサカキ君の脳を経由して、テンヒルさんの脳を使って出力している、と考えられるんじゃないかな」
ヘレクスは自身がなさそうな顔をした。
「俺の意識が、テンヒルさんの記憶に引っ張られているような気がするんです。なんというか、自分の人格が変わってしまったような気がするんです」
特にエレナが関わると、じいさんの人格が強く出る傾向がある。
「記憶に意識が引っ張られるか。それはあるかもしれませんね。サカキ君の脳を経由していても、最終的にはテンヒルさんの脳を通して行動を行うわけですから、テンヒルさんの記憶や思考に影響されていてもおかしくはないでしょうね」
「そうよ。どう考えてもおじいちゃんにしか見えないもの、見た目もしゃべり方も、しゃべっている内容も、おじいちゃんなのよね」
エレナが言った。
「気を抜くとテンヒルさんになるというか、元々テンヒルさんなんですが、自分という存在を意識しないと、自分じゃない人間が自分を、いや、テンヒルさんなんだけど、動かしているような気分になるんです」
「人間は魂だけで存在しているわけではないですからね。意識、魂、脳、しかも、それに、異世界と神まで、加わっているわけですから、混乱するのも無理はありません」
「自分とは何なのか、時々、わからなくなりますよ」
両の手を見た。張りがなく、しわが刻まれシミがある。この体で終わるのかもしれないと思うとぞっとする。
「サカキさん」
エレナは心配そうな目で俺を見た。だが、その目の中にはテンヒルさんがうつっている。俺の姿はうつってはいない。
「神は、なぜこのようなことを、うーん、モンド大会のためか」
ヘレクスは天井を見上げた。神に問うているのだろうか、それともあきれているのだろうか。
「ええ、モンド大会のためです」
しかも、孫に良いところを見せようとしたテンヒルさんのためです。
「それで、今後はどうするのです」
ヘレクスが言った。
「とりあえず、来週に開催されるモンド大会に出てみようと思います。それでもだめだったら、また考えます」
「私も応援します。がんばってください」
じゃあ、仕事がありますんで、と、ヘレクスは帰って行った。
ここに来たのは仕事じゃなかったんだと、俺は思った。




