苦節3年の本懐
「さ、サキ……」
俺は”飛行”の魔法を解除し、地面に降り立つ。
だが脚に力が入らず、そのまま地面に座り込んでしまった。
俺の目の前で、サキがリヴァイアサンに飲み込まれた。
言葉にすれば単純なのだが、俺の心がそれを受け入れる事を拒んでいる。
──目の前にリヴァイアサンがいる。自身の安全のためにさっさと殺せ。
俺の理性が強く己自身に訴えてくるのだが、俺の感情が上手くそれに反応してくれない。
頭の中にサキとの想い出ばかりがぐるぐると浮かび上がってくる。
初めて出逢った森での話。
その後思いがけず再会した時の話。
一緒に世界を旅した時の話。
そして、何気なく親しく会話していた時の話。
死亡フラグ回避だ……と、それだけを目標に頑張ってきたはずなのに、なぜかそれすらもどうでもいいような気分になってくる。
そう。もう、何もかもがどうでもいい。
サキがいないんだったらもう別に───
バチンッ!
頬が熱い。俺は茫然としてしまう。
虚ろな眼差しでのろのろと正面を見ると、目に涙を溜めているものの、強い眼差しでこちらを睨んでいるフェリシアの姿があった。
「アルベルト!
アルベルト・ディ・サルト!
こんなところで呆けている場合じゃないでしょ!
目の前の化け物がサキを飲み込んでしまったわ! でも、あの娘の事だから中でしぶとく抵抗しているかもしれない。
───だったら私達の手でさっさと助けだせばいいだけじゃないッ!!」
俺は冷水をぶっかける様なフェリシアの激しい言葉で、現実に戻ってきたような気分がした。
そうだ。俺の知っているサキは、ゲームと違って何もかも諦めてしまっているような、無表情の女の子ではない。
欲望丸出しで己が野望を隠そうともしない、前向きで元気な女の子なのだ。
よく考えなくとも、彼女がそう簡単にくたばるわけがないじゃないか。
俺はさっさとリヴァイアサンをブッ倒してサキを助けだせばいいんだ。
四肢に活力が戻り、戦意が湧いてくるのを感じる。
「ウィンディ、やるぞ。力を寄こせ」
「もちろんじゃよ」
俺は鞘から剣を抜きながら、リヴァイアサンと正対する。両手で剣を正眼に構え、ウィンディから力を借り受ける。
ふと周りを見ると、緊張しながらもクリス、リーゼ、メアリーも油断なくリヴァイアサンの出方を窺っている。
俺は無言でフェリシアに頷く。
よし、やろう。
さっさとこのデカブツを地上のマットに沈めて、サキを救出してやろうじゃないか。
─────
「くっくっく、愚かだな。こいつはもうただのリヴァイアサンではない。完全体の神話の魔竜『ヤマタノオロチ』なのだよ!」
俺達がそれぞれ武器を構えて敵と睨み合った時、場違いな哄笑が遠くから聞こえてきた。
そこには一人の小男がいた。
こいつの顔、どこかで見たな。えーと、誰だったっけ……?
「ムムム、貴様ら俺を知らんのか!? 俺の名はツクグ。この世を支配する者だ!
竜の巫女を取り込んだリヴァイアサンは、すぐにでもその姿をヤマタノオロチへと変貌させるであろう。
……ククククク。さぁ、貴様ら、震えて刮目せよ! そのヤマタノオロチの真に恐ろしい姿をッ!!」
……
…………
……………………
「──ええい、どうしたリヴァイアサン!? 早くその真なる姿を我が下に晒さんかぁッ!!」
ツクグのおっさんが何か叫んでいるが、サキを飲み込んだ後、空中に静止したままピクリとも動かなくなったリヴァイアサン。
流石に様子がおかしい。
危険を承知でこちらからリヴァイアサンに攻撃しようかと思った矢先、それは起こった。
「GYAAAAAAAAAAA!!!!!」
地獄の底から響くような声で咆哮するリヴァイアサン。
だがその声音は周囲を威圧しようとするそれではなく、苦しみに耐えかねたような叫びだった。
「!!」
絶叫し、口蓋を開けたリヴァイアサンの中から、見覚えのある朱い糸が大量に吐き出される。
それはリヴァイアサンの身体中に巻き付いていき、その糸が刃のようにリヴァイアサンの鱗に突き立って、魔竜の身体を傷つけていく。
「え……? 何か急にリヴァイアサンの皮膚が傷を負っていくんだけど……?」
急な展開に対応できず、呆然とするクリス。
フェリシア達も同じような表情なので、やはりあの朱い糸はみんなには見えていないらしい。
ここまで俺達を導いてくれた朱い糸が、リヴァイアサンの体内から飛び出ている。
やはり、あの朱い糸は────
シュバッ!
突然に、リヴァイアサンの口内から巨大な朱い糸玉が飛び出てきた。
そしてそれは緩やかな放物線を描きながら、俺のすぐ近くに落ちてくる。
俺はその玉を跳び退いて避けようか、受け止めようか思案した直後に、その朱玉は空中で弾け、中から何者かが現れたのだった。
それはとびきりの美少女だった。
その少女は、たゆたう波の如き黒髪を中空になびかせ、身体中に光る魔術紋を浮かび上がらせながらその姿を現した。
そして天女か女神を思わせるその女は、しなだれかかるように流れる動作で俺に近づいてくる。
大きな瞳で俺を凝視してくる女。
俺はあまりの事に茫然としてしまい、身体を動かす事ができない。
そしてその顔は段々と近づいてきて、俺との距離をゼロにしてゆく。
俺とそいつとの影が重なる。
ちゅ………
触れた唇が熱い。その時になって漸く俺は、夢から覚めたような気分で女の名前を呟くのだった。
「───サキ」
言葉にして、やっとその絶世の美少女がサキなのだと認識できた。
「………………
………………ふふふ
………………ふふふふふっ
………………あーっはっは! やった、やった、やりましたよ! 苦節3年、ようやくご主人様の唇をゲットですぅ!!
いやぁ、長い道のりでした。これで───」
俺は、はしゃぐサキを強く抱きしめる。
「ご主人様?」
「──いいか、サキ。これは命令だ。…………もう、俺の許可なく、勝手にどこかに行くんじゃないぞ」
俺の抱擁に答えるように、サキも俺を強く抱きしめ返してくる。
「………………はい。もちろんですよ、ご主人様。嫌がられたって離しはしませんから」
俺達は一体どれくらいの時間、お互いを抱きしめあっていたのだろうか。
「はいはいはい、あんた達。この非常時にいつまでもイチャついてんじゃないわよ。
ほらサキ、これをとりあえずちゃっちゃと着なさいな」
俺とサキを無理やり引き剥がし、用意よくフェリシアがサキへと外套を渡す。
その時になってようやく俺は、人前でなんという破廉恥な行動を取ってしまったのかと、顔が熱くなるのを感じた。
「…………ふーん、まぁ無事で良かったねサキさん。でも、どうしてサキさんは、リヴァイアサンに食べられたのに助かったのかなぁ?」
なんとなく面白くなさそうな声音で、クリスがサキに質問している。
それに対して、心持ち上機嫌そうなサキが答える。
「ふふふ、クリスさん。私が助かったのは、ご主人様と私とをつなぐ架け橋である、”所有紋”をこの身に刻んでいたからですよ」
「所有紋? なんだそれ?」
俺の知らない魔術刻印の体系なのだろうか。ちょっと気になるな。
俺の呟きに素早く反応して、サキが返事をしてくる。
「私が誰のモノであるのか。それをはっきりさせるために、私はこの3年間ず〜っとご主人様を想い続けながら、自分自身に魔力で刻み続けた愛の結晶。それが”所有紋”なのです!」
「「「えっ……」」」
近くでサキの話を聞いていた俺とフェリシアとクリスが同時に絶句する。
「”奴隷紋”などというチープな魔術刻印と一緒にしてほしくはありません。
私が全力で、我が身に刻み続けた”所有紋”は、ご主人様だけが私を支配できるようにしてあるのです!
更にご主人様がどこに居ようとも必ずおそばにいられるように、こちらからご主人様とパスが繋がるような仕掛けが施されています。
そして極めつけはその秘匿性。全力で”隠蔽”の魔法を施しましたから、秘められた関係性が明らかになるのは大変に難しいのです!
他にも色々な工夫があるのですが、それについてはまた別の機会に説明させていただきますね。……ベッドの上でとか、ね」
俺達がドン引きしている事を知ってか知らずか、どんどんヒートアップしていくサキ。
愛の告白とも、ヤンデレの自白ともとれる微妙な内容ではあったが、まぁ、サキがリヴァイアサンに取り込まれなかった理由が朧げながら見えてきた。
つまり彼女が自身に施した魔術刻印によって、リヴァイアサンによるサキの内部への取り込みが妨害されたんだな。
──しかし、神代の魔竜にも打ち勝つ魔術刻印って正直すげーな。
すでに強力な呪詛の類になっているのではなかろうか。
「ふ、ふ、ふざけるなぁぁぁぁッ!!」
事の成り行きについていけず、今まで茫然していたツクグのおっさんがようやく正気づき、遠くで激昂している。ようやく現実逃避から帰ってきたのか。
「残念だったな、おっさん。こうして俺の仲間は無事帰って来たぜ。
あんたらの切札だったヤマタノオロチとやらも、どうやら姿を現す事ができなかったみたいだしな」
俺の安い挑発に、たちどころに怒髪天を衝くおっさん。コイツ沸点低過ぎだろ。
「クソが! ガキ共め、良い気になるなよ! ヤマタノオロチにならずとも、俺達にはまだリヴァイアサンもいるし、多くの兵達もいる!
見せしめに貴様らを血祭りに挙げて、後でサキ姫を拷問でもして手懐けてやるわい!!」
身体は連日の魔術酷使で酷い有様だったが、気力だけは充実していた。
手に握った剣を構え直す。
「おっさん、気が合うな。俺もいい加減頭に来ていたとこなんだ。今までの鬱憤、全部吐き出させてもらうぜ!」
「私も借りを返させてもらいますよ!」
俺達は、全力でツクグ達に喧嘩を売りに行くのだった。




