ヘルメス
「ただの通りすがりの”悪役貴族”さ」
しまった。ついとっさに返してしまったが、自分で悪役貴族って名乗るかよ、普通。
まぁ、いい。俺は周囲を見回し、敵の数を素早く数える。
何とか奇襲で一気に6人を無力化することができたが、それでもまだ9人の敵がいる。
幸い二人の人質はうまく解放することができたが、安全な所までウィンディに案内させているんで、今はウィンディの助力を得ることができない。
ちらりと指揮官らしき眼鏡の男を見る。
黒髪をオールバックにした筋骨隆々の眼鏡の男。間違いない、コイツはヘルメスだ。
今回の敵である機動強襲騎士中隊の指揮官で、ゲームではボス敵だったな。
接近戦も遠距離戦も高いレベルで使いこなすイヤなヤツだったが、確かコイツは、面倒な専用の魔法を使ったはずだ。
その魔法の名は───
「鼠め。例え小勢といえど容赦はせんぞ!
……くらえ、”不可視刃網”ッ!」
ヘルメスの指先が朱く光った瞬間、俺は全力で横に跳んだ。
バシュンッ!ガガガキンッ!
鋼の質感を持った見えない”何か”が、猛烈な勢いで地面を削りながら俺の横を通り過ぎていく。
「はは、はははははッ!躱すか、俺の”不可視刃網”を!」
そうだ、”不可視刃網”だ。見えない鋼鉄の刃を対象に絡ませ拘束する恐るべき魔法だ。
喰らってしまうと酷いダメージだけではなく、行動にもペナルティが課せられてしまうイヤな魔法だった。
(特に今は仲間の支援もない状況なんで、喰らえば致命的な結果になりそうだな)
幸い、ヘルメスの指先の光が灯ってから刃が発射されるまで、ほんの刹那のタイムラグがあるので、俺の俊敏性なら回避は可能だ。
ヘルメスの部下達がヘルメスの背後で陣形を組み、盲滅法に魔法を撃ってくる。
俺の周囲に安全地帯はない。ならば俺の取るべき手段は1つ。
「正面から、だとッ!?」
魔法によって発生した爆風をかいくぐって正面から飛び込んで来た俺に対して、ヘルメスは躊躇なく巨大な戦斧を振り下ろしてきた。
ヘルメスは常人離れした膂力を持っており、それを十全に活かせるように戦斧を使用している。
が、戦斧による攻撃は、ヘルメスの持つ数多くの攻撃手段の中では一番対処がしやすい部類だった。
(どんなに威力があっても、当たらなければどうということはないッ!)
俺はヘルメスの戦斧を掠めるようにして半身で避ける。そしてヘルメスを無視して、後方で魔法を使用していた部下達に襲いかかった。
彼等にとっては、俺が急にヘルメスの影から現れたように見えただろう。
ゲームでもそうだったが、コイツ等は仲間内での同士討ちを極力避けようとする傾向がある。
そのため、射線上に俺とヘルメスが重なっていたために、奴等は射撃型の武器や魔法による攻撃を躊躇していた。
俺はその習性を利用させてもらう。
俺は速度を落とさず、ヘルメスの部下達が陣形を組んでいる真っ只中に身を晒す。
(乱戦の場合、場をかき乱した方が、有利だ)
「”烈風”ッ!」
俺は風の補助魔法を地面に叩きつける。
風に煽られた地面から、強烈な砂煙が上がる。
ヘルメスの部下達は、急に足下から強烈な砂嵐が迫ってきたことで、浮足立つ。
魔法とはイマジネーションだ。
何も人間を倒すのに、全てを燃やし尽くすような強力な炎はいらない。
耳元で強烈な爆音を叩きつけるだけで人間は悶絶し戦闘力を喪う。
俺は砂煙と強烈な風の影響で甘くなった敵の陣形に楔を打ち込む。
「ガッ!」
砂煙をかき分け、俺は躊躇なく最初の敵の喉にダガーを突き立てた。
「グゥ!」
密集していたのが災いし、俺に背中を向けていたヤツの背後に組み付き、喉を掻き斬る。
「畜生!」
断末魔の声を聞きつけた敵が俺の方に向かってくる。
「は?」
しかし砂煙の中から現れたのは奴等の味方だった。
もっとも、もう生きてはいないがな。
ドンッ、とその死体を前に突き出す。
その死体を抱き止めるような格好になった敵に対して、死体の後ろから俺は姿を晒す。
「あ」
俺は肩に取り付けていた暗器をそいつに投げつける。
狙い違わず、そいつの無防備な眼に突き刺さった暗器は、そのまま脳天に突き刺さり、そいつを無力化した。
サイレントキリング(無音殺人術)。視界を奪った状況で奇襲を成功させるのに一番向いた戦い方だ。
これで残り6人。俺は更なる戦果を求め、攻撃の手を弛めない。
煙が晴れてきて敵の姿がうっすらと見えてくる。
奥にヘルメス、手前に3人の部下か。
この位置ならばヘルメスの攻撃は来ないだろう。
俺は未だ浮足立っている3人に高速で接近する。
両手に持ったスローイングダガーで一気に二人の敵を無力化する。
そして三人目に対しては靴に仕込んだ隠しナイフで攻撃を仕掛ける。
「これで……終わりだ!」
「……ああ、お前がな」
ヘルメスの酷く冷たい声が遠くから聞こえてきた。
ビクリッ!
直後、俺は第六感とでも言うべき悪寒を感じ、無理やり横に身を投げ出す。
ズシャッ!
「ぐうぅッ!」
俺はなんとか悲鳴を噛み殺す。
ヘルメスは部下ごと俺に”不可視刃網”を喰らわせてきた。
「やっと捕まえたぞ鼠。さぁこれから猫による愛撫の時間の始まりだ」
サディスティックな笑みを浮かべ、舌なめずりしているヘルメス。
俺は痛みを堪えつつ、ヘルメスを睨みつける。
三人目の部下は、ヘルメスの魔法の刃に切り刻まれ、すでに事切れていた。
俺は咄嗟にヘルメスの攻撃を回避したものの、全てを避けきる事ができず、脚に深手を負ってしまった。
これではもう、今までのように俊敏な回避ができそうもない。
(敵の残数は、ヘルメスと二人の部下の計三人か……)
致命的なミスを犯してしまった。この世界はゲームではない。
ついさっきそう自覚したばかりなのに、蓋を開ければこのザマだ。学習能力のない自分が本当に嫌になる。
俺は魔法技術に関しては相当な自信があるが、魔法力という区分だと、力較べで敵3人の総量を上回れるとはとても思えない。
(こちらの機動力が激減している今、敵は絶対に魔法を使った消耗戦を仕掛けてくる。
魔法の真っ向勝負だと……俺の負ける可能性の方が高い)
「ゲストを連れ戻さないといけないのでな。さっさとお前には退場していただこう」
ヘルメスが冷酷な声音で宣言する。
更に間が悪い事に、この脚だとヘルメスの”あの魔法”を避けることができない。
それが分かっているヘルメスは、容赦なく”不可視刃網”をぶつけてくる。
「鼠よ……さらばだ」
ヘルメスの指先に朱い光が灯った────
戦闘描写は難しいです。それではまた来週。




