謎の弱者
「え、エドワードくんっ!?」
クリスの素っ頓狂な大声が当たりに響く。
「お久しぶりなんだぜぇ〜」
そこに現れたのは、ヴェルサリア魔法学園の生徒でアルベルトやクリスの悪友である、デブのエドワードであった。
シリアスな場には全く不釣り合いなその間延びしたノーテンキな声に、一瞬で周囲は唖然とした空気となる。
「だ、駄目だよぉぉぉッ!!」
そのしらっとした雰囲気を壊すような大声を上げながら、クリスは脱兎の勢いでエドワードの所まで走り抜け、そのまま物凄い腕力でエドワードの腕を引っ張った。
「ちょっ! いきなり何をするのだぜぇぇぇっ!?」
いきなりの横暴に思わず抗議の声を上げるエドワード。
「それは私の台詞だよ、エドくん! なんでこんな危ないところに来るのさ!」
クリスはエドワードをグイグイと彼が出てきた方角へと引っ張りながら、周囲に謝罪を始める。
「み、みなさんごめんなさーいっ!! エドくんはちょっと間違ってこの場に来ちゃっただけみたいだから! すぐ! すぐに帰らせるからっ!」
「ちょ、止め───」
エドワードの静止の声も聞かずにグイグイと引っ張り続けるクリス。
「謝って! ほ、ほらエドくんもみんなに謝って!! ………って、あいたっ!?」
「…………まさか登場と同時にいきなり謝罪と退場を強要されそうになるとは思わなかったのだぜぇ〜」
パシっと暴走したクリスの頭を手刀で叩き、エドワードはため息をつく。
《貴様、何者だ……?》
時の精霊は警戒というよりも不快感からエドワードに詰問の声を投げる。
時の精霊から見ても、エドワードから放たれる魔力は弱者のそれであり、先程の絶妙に自身の邪魔をした槍による攻撃は、ただ偶然に生起した可能性が高いと時の精霊は判断した。
「ふふふ、拙者が何者かと問われたならば、答えないわけにはいかないのだぜぇ〜」
片眼を複雑な指の仕草で隠す謎の中二ポーズを決めながら、エドワードが芝居がかった声を上げる。
《いや、貴様のような弱者に興味などない。……無粋な弱者の乱入に直接手を降すのは、我としても気分が悪い》
そう時の精霊は淡々と呟くと、エドワードの周りを囲うようにして黒い壁のような何かを魔術で起動させた。
《貴様のような弱者は無様に魔獣どもに喰われて死ね》
その声を合図にして、黒い壁の中から大型の魔獣達が次々と現れた。
「「GYAAAAAOOOOOHッ!!」」
「げっ! 展開されたのは”転移門”だったのだぜぇ〜!」
時魔法”転移門”。空間を歪める事で遠く離れたモノを近くに引っ張ってくる魔法だった。
元々数多くの魔獣達が、フェリシア達や聖騎士団の残党を囲むようにして接近して来ていたのだ。それを魔術の力で引っ張ってくることでその接近を早めたのだった。
《さぁ、無粋に踊れ弱者よ。我はそれを眺める事で無聊としよう。どうせほとんどの者はすでに力尽きているのだからな》
そう言うと、くっくっく、と低い笑いを時の精霊は発した。
クリスは咄嗟に防御魔法を発動しようと試みる。
だが突如として現れた魔獣の数は余りにも膨大であり、僅かに残った乏しい魔力を注ぎ込んでも、鉄壁とは言えない障壁を張るのが精々と思われた。
(わ、私がなんとかしなくっちゃ! だけど───)
たった一つでもいい。何かしら冴えた方法はないものだろうか。
そうクリスが逡巡していた時、エドワードは相変わらずのんびりとした声でポツリと呟いた。
「───こんだけ肉の壁が周囲にあったなら……まぁ、バレねぇだろ」
瞬間、クリスは一瞬で変化したエドワードの雰囲気にゾクリとした。
クリスの隣に居たのは、確かに彼女がよく知っている、ちょっと抜けたところがある同級生のエドワードの筈だった。
なのに何でだろうか。クリスは雰囲気が変化した今のエドワードに対して、言いしれぬ郷愁にも似た思いを感じるのであった。
エドワードとクリスの周囲に魔獣が殺到する。
そんな絶体絶命の最中、クリスの耳には確かにエドワードが放つ力持つ言葉が届いたのだった。
「顕現せよ…………”翡翠丸”ッ!」
─────
《そろそろ終わったか?》
時の精霊は、周囲の視線が遮られるほど濃密に、重なり合うほど多数の魔獣の群れをエドワード達の周りに展開させていた。
そのため、誰もがその魔獣の群れの中で、クリスとエドワードの虐殺が行われたのだと思っていた。
ザシュッ!!
何か大量の紙が一気に裁断されたかのような鈍い音があたり一面に響き渡ると、魔獣達の群れの動きが一斉に停止した。
《………なに?》
その呆けたような時の精霊の声を合図にして、風船が弾けたかのように派手に血飛沫を上げながら、周囲に肉片を散らばらせて崩れ落ちていく魔獣達の成れの果て。
「今夜はビーフシチューなのだぜぇ〜」
その肉塊の中央部分には、円を描くように血の跡や肉片がなにもない空白地帯が残されており、そこには呆然と座り込んでいるクリスと、抜身の剣を携えているエドワードの姿があった。
「じゃあ、ちょっとお仕事をするのだぜぇ〜」
よっこいしょと気楽な足取りで時の精霊の方へと近づいていくエドワード。
途中エドワードは、その歩線上の近くにいたフェリシアのところで屈み込んだ。そして、呆気にとられていた彼女の口に透明な容器に入っていた虹色の液体を無理やり飲ませたのだった。
「………んご!?」
「それエリクサーなのだぜぇ〜。とりあえず死ぬような状態からは復活できると思うから、あとはクリスに何とかしてもらえ、なのだぜぇ〜」
貴重な最高レベルのポーションであるエリクサーをどうして一介の平民学生であるエドワードが持っていたのか?
───そしてそれが些事に思えるような疑問を、フェリシアは抱いていた。
エドワードが持っている剣──いや、カタナとでも呼ぶべきか──は、どうして過去に見た記憶がある、鮮やかな翡翠の輝きをしているのだろうか?
《………どうやら認識を改めねばなるまい。貴様は一体何者だ?》
時の精霊と正面から相対するエドワード。
彼は腕を組み、不敵に嗤う。
「拙者の名はエドワード。お前に対してはそれしか教えてやらんのだぜぇ〜」




