矜持(下)
「時の……精霊……」
フェリシアは呆然と呟いた。
《覚えてもらっていて僥倖だ、女よ。もっとも、すぐ永遠に忘れることになるわけだがな》
不気味に嗤う、時の女神の力で復活を果たした、時の精霊。
すでにフェリシアの仲間達だけではなく、聖騎士団の下級兵士達や聖歌隊の面々も、超重力の餌食となり、身動きが取れないでいた。
遠くにはゆっくりとフェリシア達の方へと近づいてくる生き残った魔獣達がおり、その咆哮が徐々に近くで聞こえるようになってきていた。
今、この危地を乗り越えることができるかどうかは、フェリシアの双肩にかかっているのだった。
「見ていて、ヒノちゃん、アルベルト」
絶体絶命の危機であったにもかかわらず、フェリシアの心は凪いでいた。
《さぁ、ブザマに足掻け女よ! そして届かぬ希望に絶望しろッ! それでこそ我が溜飲は下がるというものだッ!》
時の精霊がフェリシアを嘲笑し、かかってこいとばかりに大仰なポーズをとった。
「……ふんっ!」
一気に加速し、腰に佩いていた剣を抜き打つフェリシア。
ガツン!
しかしその会心の斬撃は、時の精霊の鉤爪によって簡単に防がれてしまった。
「…………」
無言で数合ほど剣を叩きつけるフェリシア。
だがやはりそれらも簡単に時の精霊は受け止めてしまう。
《くくく、まるで進歩のない女だな。これだから人間というものは度し難い》
そう言うと時の精霊は両手を後ろに組んで、胸を反らす。
《ハンデだ。私は何もしない。そのなまくら剣で我を斬ってみよ》
あからさまな時の精霊の挑発に、フェリシアは半眼になり、無言で一閃を加える。
ザシュッ!!
勢いよく振られたフェリシアの剣は、深々と時の精霊に刺さった。
時の精霊は前言通り、フェリシアの剣を無造作に身体で受けたのだった。
「!?」
だがそこで驚愕すべき事態が起こった。
フェリシアにとって改心の一閃が決まったはずだった。だが時の精霊に与えた傷は瞬く間に逆再生されたかのように消えていき、めり込んでいた剣が身体からポンッと弾き出されてしまったのだった。
後に残ったのは傷跡一つない時の精霊の身体。
《フハハハハハッ!! これこそが我が偉大なる時の女神クロノ様より賜った恩寵の力よっ! 貴様がどう足掻こうが我を倒すこと能わず!》
「くっ! 魔法剣”焰帝”ッ!」
今度は魔力賦与を使い、魔法の焔を纏わせた剣で時の精霊に斬りつける。
だが、やはり結果は同じで、逆再生されたかのように時の精霊の傷は治ってしまうのだった。
《……貴様のつまらない手品はもう品切れか女? ならば次はこちらからいかせてもらおう!》
時の精霊はそう叫ぶと、腕からワイヤーのようなものを数本フェリシアに向けて射出してきた。
「こんなものっ!」
フェリシアは円を描くように剣を滑らせ、それらワイヤーのような何かを弾き飛ばした。
そのワイヤーのようなものはピアノ線のように細かったが、フェリシアの剣にのし掛かる圧は、まるで大きな斧で斬りつけられたかのような重さを感じるものだった。
《防いだか。ふむ……今度はもう少し数を増やそうか》
更に数を増したワイヤーもどきが、フェリシアへと襲いかかる。
「くっ!」
数が多すぎて全てを捌ききれないと判断したフェリシアは、致命的な攻撃だけを弾く動きへと瞬時に切り替える。
「ふぇ、フェリシア様ぁぁぁぁっ!」
リーゼの悲鳴が遠くから聞こえてきた。
フェリシアは防御箇所の修整を図ることで、自身の継戦能力を維持する選択肢を選んだのだった。
だがそうなると、当然捌ききれなかった残りのワイヤーは、躱せないフェリシアに獰猛に襲いかかってくるのだ。
ザシュッ……ザシュ……ザシュ……っ!
フェリシアの白磁のような肌から、いくつもの鮮血が舞い散る。
フェリシアが受けた裂傷は多い。だが不思議とそれらの攻撃は、強い威力よりも、わざと肌を掠めることを意図して予め攻撃しているような気がしたのだった。
(まさか……私は嬲られている?)
キッとした表情で時の精霊を睨みつけるフェリシア。だが、時の精霊からは嘲笑するような気配だけが漂ってくるのだった。
《足掻け、女。だがどんなに貴様が足掻こうとも下等な人間には超えられぬ摂理があるのだと理解し、絶望しながら逝け。
そしてそのブザマな骸を衆人に晒し、我らが偉大なるクロノ様に逆らった愚か者の末路を愚昧なる者どもに見せつけるのだ!》
そこからは一方的な展開だった。
時の精霊は前回の戦いをさらに過激にしたかのような嬲る攻撃をフェリシアに与え続け、ただそれを見ていることしかできない下級兵士や聖歌隊等の衆人達に絶望を味わわせていた。
「はぁっ! はぁっ!」
フェリシアは荒い息を吐きながら片膝をつく。
手に持つ剣も半ばから刃が折れ、すでに攻撃能力は大きく落ちこんでいた。
フェリシアの肌は殆どの箇所が自身の血で赤く染まっており、防具もただ身体にぶら下がっているだけのような酷い有様だった。
すでに満身創痍を通り越して、なんで生きているのか不思議なような状態だった。
(皮肉な事にコイツが私を嬲るために手加減してくれたから、ここまで保ったのよね……)
だがこの絶体絶命の状況においても、フェリシアの目はまだ死んでいなかった。
彼女にはここまで背負ってきたものがあるのだ。仲間たちとの絆、ヒノちゃんとの思い、そしてアルベルトから託された願い───
「”氷刃”ッ!!」
「”雷光”ッ!!」
突然、聞き慣れた頼り甲斐がある仲間達の声が、フェリシアの耳朶に届いた。
フェリシアが粘っている間、サキやクリスもまたなんとかフェリシアを援護しようと、時の精霊による魔法攻撃に対して足掻いていたのだった。
《ぬぅっ!》
その攻撃はほとんど時の精霊に手傷を与えることはできなかった。だが、完全な不意打ちだったため、戦闘慣れしていない時の精霊に対しては有効な攻撃となったのだ。
その牽制の攻撃によって、一瞬とはいえ完全にフェリシアへと向けていた意識を外す事ができたのだ。
当然、こんな千載一遇のチャンスを見逃すような歴戦の戦士ではない。
フェリシアはアルベルト仕込みの特殊な歩法により、一瞬で時の精霊との距離を詰める。
「この一撃に、全てを賭けるわッ!!」
フェリシアの手には、刃が半ばから折れた剣が握られている。
シュボッ!
その折れた剣には、いつの間にか強い輝きを放つ焔が宿り、擬似的な焔の刃が形成されていた。
《その攻撃は……まさかッ!?》
「私とヒノちゃんとの絆っ! ……焔魔法、”紅蓮”ッ!!」
焔魔法の極致の術が発動する。
この『あらゆるものを燃やす原初の焔』を生み出す大魔法は、本来、焔の精霊王のみが扱うことを赦された魔法だった。
だがフェリシアの体内には焔の精霊王の化身たる神鳥の残滓が残されており、その残滓をきっかけにして大量の魔力を注ぎ込むことで不完全ながら大魔法の使用が可能なのであった。
ザシュッッ!!
フェリシアの全てを賭けた一撃が、時の精霊に突き刺さる。
《グォォォォォォォッッ!!》
一瞬で魔法の焔に包まれる時の精霊。
確かに時の精霊は、時の女神が持つ”時戻り”の力によって現世へと復活を果たした。
だがその復活はあくまでも時の女神の魔法による仮初めのものであり、現世で存在し続けるための縁の楔としては、その強力な魔力に比してかなり脆弱であるという弱点を持っていたのだ。
偶然にもフェリシアは、存在そのものにダメージを与える事ができる焔の攻撃によって、時の精霊が持つその弱点を的確に突くことができたのだった。
「や、やったわ! ……ぐっ」
焔に包まれた時の精霊を見て、勝利を確信したフェリシアは、気が抜けたのか足をもつれさせ地面に倒れそうになる。
「フェリシア様、大丈夫ですか!?」
そこに横からリーゼの手が差し伸べられた。時の精霊にはもう超重力の魔法を維持する余裕すらなく、リーゼ達はその拘束から解放されたのだった。
「ええ、もう大丈夫よ。ありがとう」
フェリシアはふと時の精霊の方を見やる。フェリシアの一撃を受けた時の精霊は、その膨大な自身の魔力を燃料にして、天に赤々と原初の焔を伸ばしていた。
勝った……そう、勝ったはずだったのだ。にもかかわらず、なぜ私はこんなにも不安なのだろうかとフェリシアは思った。
《ククク……女よ。ああ、認めよう。今回は我の負けだ》
突然、原初の焔によって存在が消えかかっているはずの時の精霊が、不気味な笑いと共にフェリシアへと声をかけてきた。
「……なに? 今更命乞いかしら?」
警戒するフェリシア。だが時の精霊は変わらぬ不遜な態度で言葉を続ける。
《今回の我の敗北は、お前の底力を見誤った事だ》
「何を言って───」
《だから次は上手くやることとしよう》
にわかに時の精霊の魔力が強まる。
「みんな、時の精霊を止めてェェェッ!!」
時の精霊が何かマズいことをする。確信にも似た思いがフェリシアにはあったが、残念ながら彼女自身は深手のため動くこともままならず、また周りの人間には彼女の焦りが十分に共有されず時の精霊の魔法は完成してしまった。
《時魔法・最秘奥…………”巻き戻し”───》
「あ………」
空間が歪む。すでに魔法は発動されてしまった。
《女……いや、フェリシアよ。この『時戻し』の秘法を使わせた貴様に我は敬意を示そう。もっとも、巻き戻った時間ではお前はもうこのことを覚えていないだろうがな》
そんな時の精霊の呟きは、誰にも聞かれず、時は巻き戻っていった。
………
……………
………………………
「───私とヒノちゃんとの絆っ! ……焔魔法、”紅蓮”ッ!!」
焔魔法の極致の術が発動する。
フェリシアの全てを賭けた一撃が、時の精霊に突き刺さるかと思われた瞬間、それは起こった。
《……軌道はすでに覚えた》
ズシャッ!
「あ………」
………ぽたり …………ぽたり
フェリシアの脇腹から血が溢れる。フェリシアの捨身の一撃は、『予め軌道を知っていたかのように』時の精霊によって紙一重で避けられ、逆に時の精霊により放たれたカウンターの一撃で、フェリシアは致命傷に届く一撃を受けてしまったのだった。
《残念だったな女。ただの人間であったことを悔やみながら死ね》
死が迫る中、フェリシアに去来するのはアルベルトの優しい笑顔だった。
(………アルベルト………ごめんなさい。私、約束守れなかった……)
死んで生まれ変わったならば、またアルベルトに会いたいなとぼんやりと思いながら、フェリシアは振り上げられた時の精霊の鉤爪を眺める。
《さらばだ》
時の精霊が死刑宣告をフェリシアに告げた。そして誰もその流れを止められない。
大勢の人が絶望の想いを抱く中で、無慈悲に時の精霊の腕が振り下ろされた。
「───ちょっと待ってほしいのだぜぇ〜」
その時、横合いから不意打ちのように時の精霊めがけて槍が飛んできた。
《なんだと!?》
余りにも予想外な槍の投擲に、慌てて攻撃を中止して距離をとる時の精霊。
《何奴ッ!?》
時の精霊は誰何の声をあげる。
「本当はまだ介入するつもりはなかったけど、流石に見過ごせなかったのだぜぇ〜」
超重力で動けない聖騎士団の面々を掻き分けて軽い足取りで後方から姿を現したのは、大きな背丈の、若い男だった。
………もっともその男はずんぐりむっくりなシルエットであったのだが。
「え、エドワードくんっ!?」
クリスの素っ頓狂な大声が当たりに響く。
「お久しぶりなんだぜぇ〜」
そこに現れたのは、ヴェルサリア魔法学園の生徒でアルベルトやクリスの悪友である、デブのエドワードであった。
次回、主人公無双(予定)




