聖戦
びゅおぉぉぉぉ……
季節外れの強風がフェリシアのローブを巻き上げた。
フェリシアは小さくかがみこみ、風で乱れたローブをそっと整える。
「はぁ……」
そして一人ため息を漏らすと、フェリシアはそのまま地面に座り込んでしまった。はしたない振る舞いではあったが、前途の困難さを思うとこのまま辛い行軍を続ける気力も湧き上がってこない。
時の女神との戦いから早3日が過ぎていた。
フェリシア達一行は、”聖戦”の宣言をした聖女と聖騎士8人が率いる聖騎士団に、半ば強引に誘われる形で行動を共にしているのだった。
”聖戦”とはラ・ゼルカ聖王国が持つ最大の宗教的権威の発動であり、女神の啓示によって認定された神敵を討ち滅ぼすために、普段は聖女の護衛にしかつかない聖騎士及び聖騎士団を戦場に派遣できる権限が付与されるものだった。
また、”聖戦”発動後の聖女は他国においても様々な戦時特権が行使できた。
例えば先に行われたキャンプ地での会談で、時の女神との”戦争”に対する協力依頼がフェリシア達に提示されたわけだが、フェリシア達の側でその申し出を拒否する事は甚だしく難しい状況であった。
聖女率いる聖騎士団の現行戦力でもって、時の女神が率いる謎の軍勢に奇襲攻撃を仕掛け、乾坤一擲の一撃を与える。
大雑把にラ・ゼルカの作戦を述べるとこれだけなのだが、フェリシアはこの作戦が失敗する事を予め『知って』いた。
(今回のラ・ゼルカが立てた奇襲作戦……どんなに勝算が高くてもおそらくそれは失敗する。──しかし説得しようにも、その根拠が『アルベルトから昔聞いた与太話』……だけではねぇ……)
フェリシア達は、アルベルトがたまに話してくれた未来予知とも思える謎の知識に大いに助けられる形で、これまでの様々な難局を切り抜けてきていた。
だからフェリシア達はそのアルベルトがもたらした謎知識に対して高い信頼感を持っていたのだが、残念ながらラ・ゼルカの聖女達は彼女達ほどその情報の信憑性を信じてはいなかったのだ。
説得するために必要なアルベルト本人はすでにこの世におらず、しかも微妙にそのアルベルトに対して対立感情を持っているっぽい聖女が相手では(どうやら女神の神託絡みで何かトラブルがあったらしい)、立場的に外様のフェリシア達では有効なカウンターアイデアを聖女達に提案する事ができない問題があった。
(サキは復讐の良い機会だと喜んでいたけれども、以前に聞いたアルベルトの予言の話だと、過去の聖戦で無敵を誇ったラ・ゼルカの聖騎士団も、強烈な女神の時魔法によって完膚なきまでに敗れるって話なのよね……)
一度は聖騎士団が女神の軍勢に勝利する寸前まで持っていくけれども、時魔法の巻き戻しによってその勝利は無効化されてしまい、時を巻き戻された事を知らない聖騎士団側は時の女神の策略で全滅寸前まで敗北する、という話だった。
(……そもそもなんでアルベルトがそんなことを知っていたのか、そこのところも正直謎だったのだけれどねぇ)
また在りし日のアルベルトを思い浮かべてしまい、涙が出そうになったフェリシアは、慌てて顔を伏せ、心の動揺を鎮めた。
「───フェリシアさま。この作戦、本当に上手くいくのでしょうか……」
座りこんで心を落ち着かせていたフェリシアの後ろから、リーゼが躊躇いがちに声をかけてくる。
リーゼはアルベルトから予言の話を聞いてはいなかったはずだが、ラ・ゼルカ首脳陣との会議の場でフェリシアが述べた時魔法についての懸念事項に対して、彼女なりに思うところがあったらしい。
「……賽はすでに投げられたわ、リーゼ。残念ながら私達に選択肢はないの。……例えこの作戦の成功率が低いと分かっていても、ここで退いたら結局のところ王国は時の女神の軍勢によって蹂躪されてしまうかもしれない。……だから私達はここで戦うしかないわ」
「フェリシアさま……」
リーゼは心細そうにフェリシアを見つめる。
そうだ。例え聖騎士団が敗北する運命にあろうとも、時魔法に対する対抗手段が未だ見つけられなくとも、このまま座して時の女神による王国の蹂躪を待っているわけにはいかないのだ。
「……リーゼ、希望を捨ててはダメよ。絶対になんとかなる……いえ、なんとかする。私達が王国の最後の砦なんだから」
自分自身ですら騙せない悲壮な覚悟を持って、フェリシアは死地とも思える戦場へと向かうのだった。
─────
……
…………
……………………
(俺は───)
瞬間、意識がはっきりとする。
「………はっ!?」
がばりと起き上がる、俺。
「………ここは?」
眠気まなこを擦ったまま、周囲を見回す。
六畳一間の安アパートの間取り。小さな液晶テレビとホワイトオークの色合いを持つハンガーラックが壁に並んでいる。
壁紙は白の無地で、窓にかかるカーテンは北欧っぽい色合いをした水色だった。
床のラグの上には動物を模したファンシーなぬいぐるみがクッション代わりにちょこんと置かれている。
そして、窓際には白い鉢の上に造花みたいな背の高い緑の植物が生えており、日差しを少しだけ遮っていた。
うん。どこからどう見ても現代日本の部屋だよね。
なぜに? WHY?
そしてベッドの横に置かれていた姿見に映る自分の姿を見て、俺はギョッとした。
安物のベッドの上で上半身を起こした俺は、素っ裸だった。
鍛え上げられた身体に、歴戦を思わせる数々の傷跡。
まぁ、そこまではいつもの事だ。
問題はそれ以外にあった。
意識しないようにあえて触れなかったが、シーツで隠された下半身に違和感があった。
何かが俺の上に乗っている。
……いや、そんな言葉で誤魔化すのは止めよう。
姿見に映っていたのは、シーツにくるまり、俺の下半身に抱きつくような格好で寝ている、翡翠色の髪の毛がシーツからはみ出しまくっている誰かさんだった。
そしてこれがひたすら柔らかい。もう本当に柔らかいのだ。
(見たい……見たくない……やっぱり見たい……でも見たくない……)
俺の頭の中では、現状が何を意味しているのかほぼ分かっていたのだが、感情はそれに追いついていなかった。
───この誰かさんに気づかれる前に、ここから逃げる事はできないだろうか?
俺の意識の中では、ついさっきまでクロノと死闘を演じていたわけで、現状との乖離が酷すぎる。
俺はそーっと俺の上に乗っている女子大生っぽい誰かさんを横に動かそうとした。
何かが色々まずいところに当たっているような気もしたが、全部無視だ。
もう少しで誰かさんを横に退かせる事ができるかなと思った時、それはモゾモゾと動きだした。
「…………」
しばらく動きを止めて様子を窺う。それはモゾモゾと動き続け、段々と───
ばん!
「あいたっ!」
シーツの中から悲鳴が上がる。俺は基本的に女性への暴力は振るわない主義だが、流石に身の危険を感じたので誰かさんの動きを物理的に止めたのだった。
「ちょっとアッくん、今割と本気で殴ったでしょ?」
「……ねぇ、女神様。俺達愛称で呼び合うほど親密な仲でしたっけ?」
「まぁ、酷いよアッくん! 昨日の夜はベッドの上であれだけ激しかったっていうのに! 私とは遊びだったわけ!?」
「そんな記憶ねーよッ! ……本当にないよね?」
シーツと俺の下半身の隙間からモゾモゾと這い出て来たのは、翡翠色の髪をした見知った絶世の美女。
地上世界で6大女神の一柱と崇め建てられている、風の女神その人だった。
というわけで久しぶりに主人公登場。
なお、フェリシア達も知らない事ですが、ゲームでの聖騎士団全滅後の話には実は続きがあります。
敗北を受けて這這の体で逃げ出した聖騎士団御一行。謙虚になったラ・ゼルカ聖王国は、その後女神に祝福されたゲーム主人公のパーティーのバックアップに回って奔走します。
そして、各国の足並みを揃えた最終決戦の場において、聖騎士達の汚名返上の機会が与えられていたりするのですが、関係ない話なのでバッサリと本文から削除です。




