顕現
説明会。長い!
「……全く何事も予定通りには行かないものだな」
クロノはマグマの流出を抑えてようやく地面の揺れが落ち着いた後、ため息をつきながら呟いた。
目撃者をまとめて殺すつもりであったが、アルベルトの最後の悪あがきによって何人かを取り逃してしまったのだ。
時を戻して対処する事は可能だったが、自分自身の時間を巻き戻すには大量の魔力を使うため、ホムンクルスのボディに強い負担がかかるという問題があった。
そのため、リスクを考えるとたった数人の人間を殺す対価として、切り札たる”時戻し”の魔法を使う選択肢を選ぶことはあまりメリットがないようにクロノには思えたのだった。
「……まぁ、たかが数人を取り逃しても大して痛手にもならんかな」
クロノはぽつりと呟き意識を切り替えると、自身の新たな肉体へと目を向けた。
「我が主よ。精神の移動に必要な、短剣から御身の肉体への魔法陣転写は完全に終わりました」
ヴリエーミアがいつもの人を食ったような口調とは異なった丁寧な口調で、クロノへと傅く。
アルベルトのものであったその肉体には、胸に刺さった短剣を中心にして放射状に複雑な紋様が浮かび上がっていた。
「よし……では早急に我が魂をコレに移すとするか。──ヴリエーミアよ、貴様へ預けた我が力、返してもらうぞ」
「はっ。仰せのままに、我が主よ」
クロノが動かないアルベルトの身体を抱きしめた瞬間、ヴリエーミアを取り巻く魔力が渦を巻き、クロノとアルベルトの方へと流れ込み、2人の姿を覆い隠した。
2人を包みこんだ強い魔力の塊が、激しい明滅を繰り返す。
数刻の後、渦巻く暴風のように荒れ狂った魔力は徐々に霧散していき、隠されていた2人の姿が再び現れた。
「あぁぁ〜、いいねぇぇ〜この肉体はぁ。とってもとっても馴染むわぁ」
そこにいたのは2人の女だった。
1人は死体のようにピクリとも動かない、クロノだった若い女の肉体だ。
そしてそのクロノだった肉体を抱えているのが新たに現れた女だった。
その女はどこかヴリエーミアに似ていた。
長い銀髪が風に吹かれ、その隙間から超然とした美貌が覗いている。
その大きな瞳には無垢と邪悪と気まぐれの色彩が混在して浮かんでおり、女神の2面性を体現しているようだった。
絶世の美人にして、無垢なる聖女と妖艶なる遊女の表情が同居する二重性。
それがこの世界に顕現した時の女神クロノ、その真の姿であった。
─────
「早速、我が力を試してみるとするか………」
そう呟くと、クロノは天に腕を掲げた。
「我が従僕よ、我が前にその姿を現せッ!!」
クロノから強い魔力が放出され、眩い輝きが辺りを照らす。
「───我が主よ。再び御身の御前に姿を現す栄誉を賜り恐悦至極」
なんとそこに姿を現したのは、先にフェリシアと神鳥のコンビによって討滅された、時の精霊だった。
「私がいる限りお前は不滅よ時の精霊。これからの働きに期待するわ」
「仰せのままに、我が主よ」
そう話すと恭しく頭を下げる時の精霊。
ヴリエーミアは時の精霊にとっては単なる協力者であったが、クロノは彼を生み出した絶対の主だった。
「──我が主よ、どうかこの男にも慈悲を。この男の力は必ず我が主の力になると愚考いたします」
時の精霊を無事召喚しクロノが一息ついた時、ヴリエーミアが突然クロノの前に跪き、深々と頭を垂れた。
その姿は、ただクロノの慈悲へ縋ることしかできない憐れな女のようであった。
魔力をクロノへと返したヴリエーミアには、もう往年の力はない。魔力は人間のレベルに戻り、その表情もかつての超然とした神秘性を喪っていた。
「……ふむ。その男を見ておったが其奴は狂犬の類じゃ。飼い慣らせるとはとても思えんが……」
渋るクロノに対して、ヴリエーミアは見栄も外聞もなく地に頭を擦りつけてクロノに縋る。
「そこを曲げて、どうか……どうか……主よ!」
「ん………よし、ならばヴリエーミアよ。貴様の魂を此奴に分け与えよ。それならばその狂犬を助けてやってもよいぞ」
クロノは邪悪にニンマリと笑うと、ヴリエーミアに過酷な選択を強いた。
元々ヴリエーミアはクロノ顕現のために期限付きで生かされている存在であった。
そのため力を奪われた今のヴリエーミアはとても不安定な存在であり、そこから更にヘルメスへと生命力が移された場合、いつまで生きられるか分からない状態であった。
だがそれでも───
「我が主のご勾配、誠に有り難く思います。どうか、御前のお力を私とこの男に……」
「………ふん。この期に及んで昔の男に情でも移ったか」
クロノはつまらなさそうに腕を振るう。すると地面に斃れ死人同然だったヘルメスの顔に血色が戻り、目を見開いた。
「………ヘルメス」
「……………」
ヴリエーミアは何かを言いたそうにヘルメスを見るが、ヘルメスは何も言わずに立ち上がる。
2人に興味がなくなったクロノは、気絶しているクリスティンと氷漬けにされているAEEM1号機を助けてこいと2人に命令してその場から追い出したのだった。
「……さて他にも手足がほしいところだな……よし、決めた。蘇れ魔獣どもっ!」
さらなる手駒を確保しようと、クロノは女神の力を行使して力ある言葉を唱えた。
するとフィルムを巻き戻したかの如く、地に倒れ伏していた魔獣の死骸達がムクリと起き上がり、クロノの前に整然と集まってきた。
「呵呵っ! ケモノと言えどもこの数は中々壮観よ! そうは思わぬかレナトよ?」
傍らに控えていたレナトにそう声をかけるクロノ。
「はっ……烏合の時でさえ大きな脅威であった魔獣どもを貴女が統一的に制御できるのでしたら、王国軍など勝負にならないでしょうな」
淡々と分析するレナトを見て益々機嫌を良くするクロノ。
「よいよい! 流石にお前は分別があるねぇ!」
ひとしきり呵呵っ!っと嗤った後、クロノは喜色を浮かべてレナトに向き合った。
「さて……ここまでよく働いてくれたなレナトよ。契約通りこの娘は貴様に下賜しようぞ。受け取るがよい」
そう言うとクロノは、抱きかかえていたエリカ姫をレナトへと雑に受け渡した。
レナトが死体のようだったクロノの仮ボディを大切そうに抱え直すと同時に、その死体はうっすらと目を開ける。
「…………お兄様?」
「お、おぉぉ……ユーティアナ……」
今まで能面のようだったレナトの表情に喜びの色が微かに浮かぶ。
その儚げな姿は、彼の思い出の中にだけあった、若かりし頃の自身の最愛たる妹のユーティアナそのものだったからだ。
「さて、我が従僕よ。約束通り貴様の妹の魂をこの世に呼び戻してやったぞ。そしてもう一つの報酬の件だが……」
「…………」
喜色から一転して、能面のような表情に戻るレナト。その顔からは何の情報も読み取れない。
「本当に行き先の指定なしで、貴様達を次元の狭間に飛ばして良いのかえ?」
行き先の指定なく次元の狭間に飛ばされた場合、飛ばされた先が全く予測できなくなる。
人が住めないところに飛ばされるかも知れないし、仮に住めたとしてもサバイバルは過酷だろう。
それはある種の流刑にも似たものだった。
「私はお前のこれまでの働きに感謝しているよ。何と言ってもお前は長い間私によく尽くしてくれたからねぇ。私にだってそれくらいの情はあるさ」
だからクロノは親切心から行き先の指定を提案したのだが、一瞬考えた後にレナトは答えた。
「……私はこれまで貴女にお仕えして分かった事があります。貴女の”時戻し”は対象の肉体など特定できるものがないと発動できない。違いますか?」
レナトの質問に一瞬キョトンとした後、クロノは呵呵と笑った。
「ああ、読めたぞ! つまりお前は自分の居場所が特定されて私に監視され続けるのが嫌なのか! 呵呵っ、愛い奴め!」
「…………恐縮です」
頭を下げるレナト。その様子にクロノは御満悦だ。
「よいよい! 私にとっては魔力の負担が減るだけで特に問題はないわ! では早速に褒美をとらせようぞ。……準備は良いか?」
「いつでも」
レナトはしっかりとユーティアナの身体を抱きしめる。二度と離すまい、と。
クロノの”次元転移”の魔法が発動し、レナト達の姿が徐々に薄くなっていく。
「あ、お世話になったついでに一つ忠告なのですが」
あと少しで転移が完了するかという時、レナトは何でもない事のようにクロノへと呟いた。
「全てが上手く行っていると思った時は、立ち止まって疑った方が良いですよ。アルベルトの失敗ではありませんが、貴方もまた誰かの掌で踊っているのかもしれませんので───」
そう言葉を残すと、レナトとユーティアナは次元の彼方へと消えていったのだった。
「…………?」
クロノは最後の最後で私に何か嫌味を言ってきたのかと聞き捨て、レナトの忠告を無視した。
その忠告こそはクロノに対するレナトの最後の情であったのだが、残念ながらクロノには彼の本心が分からなかったため、その忠告は受け取られる事はなかった。




