時の女神”クロノ”
「お、親父…………?」
ヴリエーミアとの死闘の最中に、不意に背後から俺に短剣を突き刺したのは、人質となっていたはずの俺の父親だった。
「…………」
息子を刺したにもかかわらず、実父の顔にはなんの表情も浮かんでおらず、その感情を推し量ることは俺には出来なかった。
「ぐっ……」
ずきりと胸の刺し傷が痛む。明らかな致命傷だ。さっさと短剣を引き抜いて治癒しないと、確実に絶命するほどの深手だった。
俺はすぐさま身体を無理やり動かして短剣を引き抜こうと試みたが、自身の違和感に気がついた。
(……身体が……動かないッ!?)
致命傷一歩手前の状態ではあったが、普段の俺ならば無理やりにでも身体を動かし、胸の傷の応急処置をしつつ再び敵と対峙することができたはずだった。
だが何故か短剣が刺さった今の俺は、全く身動きをとることができなかったのだ。
(───ならば!)
どうやら何らかの理由で俺は自分の身体を動かすことができないらしい。
だがそれがどうした?
自分の意志で身体を動かせないのならば、別の手段で俺の身体を動かせばいい。
俺は痛みを強引に無視し、意識を集中する。
そして無詠唱で、”念動”の魔術を唱えたのだった。
魔術に精通すると、低級な魔術ならば詠唱や魔法陣なしでも使用することができる。
勿論、低級と言えども無詠唱で魔法を使用するためには極度の集中力が要求されるわけで、普通ならば命にかかわるような怪我を負っている状態ではそんな集中力は保てず、まともに魔法を行使することなんてできない。
だが、度重なる深手を負いながらも、それでもなお戦い続けてきた今の俺にとっては、致命傷を負いながらの魔術行使など最早造作もないことだった。
俺は”念動”を使い、あやつり人形のように自らの四肢を無理やり動かし、強引に傷口から短剣を引き抜いた。
吹き出す血飛沫と痛みをきっちりと無視し、俺はやはり無詠唱で簡単な回復魔法を自身にかけた。
辛うじて傷口からの出血を抑える程度の応急処置の魔法に過ぎないが、それでも少なくとも数分程度の間は戦う時間が稼げるはずだった。
その時、そんな俺の様子をじっと見ていた第2王女が、感嘆の声をあげた。
「ほほう! 流石は我が見込んだ男なだけはあるな。満足に動かぬその身体を無理やり魔術で動かして、我に反撃の構えをとるとはなぁ。その心意気や感心、感心」
呵呵ッと邪悪さが滲み出る笑みを浮かべながら、エリカ姫はこちらへと賛辞の言葉を贈ってくる。
俺は今度は簡易な風魔法で身体を浮かし、少しばかり親父や姫様、そして魔女から距離を取った。
これで一先ず戦う態勢はとれたが、いかんせん状況は芳しくない。
ヴリエーミアは未だ健在で俺はというとやはり身体を満足には動かせず、更に瀕死の状況というバッドステータス付きだ。
そして目の前にはなぜか俺達を裏切った親父と、得体の知れないエリカ姫。
仲間達との距離も遠く、俺は完全に敵中で孤立している状態だった。
正直絶望的な状況ではあったが、俺は決して諦めない。
気力を振り絞り、俺はエリカ姫に問いただす。
「てめぇ……一体何者だ!?」
ゲーム時代とは全く違うその素顔。そして裏切った親父に護られるようにして立つその姿。
「我が何者か? 貴様はすでにある程度予測しておるのではないかえ?」
エリカ姫は、王宮で会ったならば決してしないような高慢な態度でこちらへと告げてくる。
「……まぁな。予測というよりほぼ確信しているけどよ」
俺はちらりと離れたところからこちらの様子を伺っているヴリエーミアを見やる。
あのヴリエーミアですら、エリカ姫の一挙一投足に注意を払い、その意向を伺っている素振りを見せていた。
王国の宰相と敵国の魔女が傅く存在。
そこから導かれる答えはただ唯一つだ。
「ほう……ならば我は何者かな?」
俺は睨みつけるようにしてエリカ姫に告げた。
「お前は……お前こそが諸悪の根源…… 時の女神”クロノ”、だな?」
「呵呵ッ! 流石ぞ! 正解よ!」
そう言うと、エリカ姫=クロノは口の端を孤の字に描いて、哄笑した。
─────
「……ここに来てまさかのラスボス登場かよ。ハハッ……まぁ、ある意味で役者は揃った感じなのかな」
そう言って俺はエリカ姫=クロノを睨みつける。
ゲームの真のラスボスが、今俺の目の前に登場したのだった。
だがしかし、状況は考えられる中で最悪だと言えた。
ヴリエーミア一人が相手だった時でさえ、俺達は万全であることを条件にしてかろうじて薄氷の優位性が保たれていたのだ。
それが今では、戦闘の要である俺が満身創痍となっている事に加え、魔女の他に時の女神まで相手取らねばならなくなったのだから大概である。
(───だが一方で、これは大きなチャンスだ)
そう、この絶望的状況は、その一方で千載一遇のチャンスでもあるのだった。
なぜならば、今俺の目の前にいる時の女神は、決して万全ではないからだ。
その証拠に、彼女の身体はあくまでも仮初のものであり、女神の力を十全に使えるような代物ではない。
かてて加えて、時の女神の設定がゲームに準拠しているのならば、今の時の女神は、その持てる力の何割かをヴリエーミアに移譲しており、その権能や魔力量は相当制限されているはずだった。
難敵なのは間違いない。だが、ここを乗り越えることができれば世界の危機を退けられる!
「サキ! フェリシア! クリス! なんとしてでもヴリエーミアを抑えていてくれ!!」
俺はヴリエーミアが動かぬよう、3人に素早く足止めの指示をした。
そして俺自身は”念動”を使い、鞘から抜いた黒剣を構えた後、風魔法を使って女神へと強引に吶喊する。
ミーアには念話で、爆導筒を用いて女神と父への牽制のための弾幕を張るよう指示。
その直後、あたり一面に閃光と轟音が響き渡った。
「む!?」
「ほう!」
爆導筒を用いた即席のフラッシュグレネードだ。どうやら女神の謎パワーでその威力は大きく減衰しているようだったが、良い目眩ましにはなってくれた。
「クロノォッッ!!!」
吹き荒れる爆風を強引に突っ切り、俺は女神の前へと躍り出る。
近距離で爆導筒が炸裂した影響で、身体中に無視し得ない傷がついたものの、親父も女神も防御に集中していて俺への対処は一呼吸遅れた。
「小癪なッ!」
親父が妨害のために風魔法をこちらへと撃ってくる。
流石は上級貴族さま。その魔法は威力も精度も俺を押し止めるには申し分ないしろものだった。
「はっ! そんなの喰らうかよッ! ……”烈風”ッ!」
だが、明らかに戦闘慣れしていない親父の魔法攻撃は、素直であり単調で読みやすい。
俺は無詠唱とまではいかないが扱い慣れた風の攻撃魔法を唱え、親父の魔法を相殺する。
「あと少しッ!!」
親父の攻撃をいなした俺の目の前には、最後の敵が立ち塞がる。
すでに障害はなく、垂直に構えた黒の剣には充分な推進力が乗せられており、少女一人を突き殺すには過剰なほどだった。
一つの弾丸のようになってクロノへと肉薄する俺。
そしてその切っ先はクロノへと到達し───
「足りんわ」
ガツンと、何か目に見えない壁へとぶつかった。
「ぐっ……!」
クロノが充分な防御魔法を構築できないよう不意を打ったはずだったのだが、やはり時の女神を相手取るには一筋縄ではいかなかったようだ。
クロノの前面には、ヴリエーミアの防御魔法に匹敵するほどの強度を持った障壁が張られていた。
こんなもんをただの魔法剣と風魔法でブーストしただけの突貫力で突破するのは難しい。
だから───
「じゃから、ワシの出番じゃな?」
「何ッ?」
ここへ来て表情を変えるクロノ。
俺の黒剣の先方に、ウィンディが突如現出する。その場所は障壁の向こう側だった。
ウィンディが現出する際には空間の揺らぎが生ずるため、ヘルメスやヴリエーミアのような戦闘強者に対してはこんな不意打ちは通用しない。
だが時の女神は強力な力を有していても、あくまでも彼女は組織の首領に過ぎない。戦士ではないのだ。
だからこんな小細工でも不意が打てる。
「くたばりやがれなのじゃッ!」
「くっ!」
ウィンディから緑のカマイタチがクロノへ向けて放たれる。
俺ならともかく、もうクロノの反応速度では回避は間に合うまい。
勝った───そう確信した時、俺の視界がなぜかブレた。
「「……え?」」
その呟きは誰の呟きだったのだろうか。
「お前様……なぜ……?」
………ぽたり。
ウィンディから放たれた緑のカマイタチ。
………ぽたり。
致命の距離から放たれたそれは、クロノを捉えることができなかった。
………ぽたり。
なぜならば───
「ど、どうしてお前様が、敵を庇ったのじゃ………?」
俺の意思とは無関係に、俺の身体は勝手にクロノの前へと移動し、クロノを庇ってそのカマイタチを全身に浴びていたからだった。




