閑話 父と子
「明けましておめでとう。今年も良い年となるよう、各自一層努力するように。それでは……乾杯!」
「「「乾杯っ!!」」」
朗々とした宰相閣下の挨拶が、静まった部屋に響き渡り、その声に応じて皆が乾杯の唱和を行う。
新年開始の恒例行事である家族揃っての夕食会は、こうして和やかに始まったのだった。
「ああ、お兄様。杯を空にしておりますわ。私が入れさせていただきますね!」
隣に座る異母妹のサリュートが、甲斐甲斐しくお酌をしてきた。
例年この役は自称専属奴隷のサキが勝手に独占していたのだったが、今年はサキの親戚筋にあたるフレト藩王のたっての望みにより、サキはあちらの家へと新年の挨拶に出かけていたのであった。
サキは、「今年だけは仕方がありませんからあちらの顔を立ててやります。しかし次はありませんよ」と言っていたが、天涯孤独と思っていたら実は叔父や従妹が生きていたというのは誰でも思うところはあるだろう。
まさか本当にこれっきりって事はないよね?
「ん、ありがとうサリュ。……そういえば今年の春からサリュは学園の予備コースに入学予定だったかな?」
俺は考え事を途中で止めて、サリュに話しかける。
「はい、お兄様! サリュはお兄様よりも1年早く学園に入学予定……一緒の学校へと通えるのですわ!」
満面の笑顔で応えるサリュ。
ヴェルサリア魔法学園は、基本的に15歳からの入学が魔法を使える貴族の子弟に義務付けられているのだが、任意でその1年前から学園に隣接する予備コースへと入学することも可能だった。
「まぁ学年もキャンパスも寮も違うからあまりサリュとは学園内で会うこともないとは思うが、何か困ったことがあったら俺に言ってこいよ?」
「え!? お兄様、私はお兄様とお部屋のシェアをしようと思っていたのですが、できないのですか!?」
驚いた顔で詰め寄ってくるサリュ。顔が近い。
「学園は基本的に自助独立の精神だから、身内といえども同居はできないよ。個室か同性の相部屋かになるんだけど、まぁサリュの場合は個室になるんじゃないかな?」
俺が学園のルールとかについて説明していくと、段々とサリュの目が死んでいった。
「……ああ、お兄様と楽しいキャンパスライフを過ごせると思ったのに……狭いお部屋で2人で過ごして……偶然にシャワーを覗かれたり……寒くて暗い部屋の中で温め合おうと抱き合って…………サリュ、やっぱり学園行くの辞めちゃおうかなぁ……」
「おいおい、学園入学前からテンション落としてどうするんだよ……」
ブツブツと死んだ目をしながら独り言を呟いているサリュ。俺の妹もいい加減兄離れをしてほしい。
「アルベルトさん、学園の方は如何かしら?」
サリュを慰めている俺に横から質問を投げかけてきたのは、親父殿の後妻に収まった義母だ。サリュの実の母に当たる人だった。
「まぁ、座学も運動も学年の平均くらい、ってところですかね?」
学園ではあまり目立ちたくなかったので成績はなるべく低くなるように点数調整をしているのだが、平均点を見極めるのはそれはそれで難しい技術なのだった。
誰からも褒めてもらえないけどな。
「由緒あるサルト家の嫡子が並の成績でなんとしますか! ……まぁもっとも、入学前の数々の奇行を思えば、並程度とはいえ普通に学生として過ごせている事は充分に評価に値する事なのかしらねぇ」
「あはは、義母上は相変わらず手厳しいなぁ」
因みに義母は30くらいの年齢だったが、そのギラギラとした野心の賜物なのか、年齢よりも相当若く見えた。
なお言葉とは裏腹に、義母はあれこれと面倒を見てくれて俺に対して結構優しかったりする。
でも怪我もしてないのに身体は大丈夫かとペタペタと触ってきたり、風呂上がりによく遭遇して「サルト家の男子がそのような格好で出歩いてはいけません!」と、上半身裸だった俺に真正面から長時間お説教するのはやめてほしい。
「ははは、それくらいにしなさい。アルベルトも反省して精進を続けるのだぞ」
頃合いを見計らって、親父殿が仲裁に入ってきた。
「ところでアルベルト、学園では多くの女生徒と仲良くしているみたいだったが……実際のところ本命はどの娘なのかな?」
そして唐突に、親父殿が爆弾発言を投げ入れてきたのだった。
にわかに緊迫する室内。サリュが恐ろしい目をしながらこちらを見ているし、義母も……って義母もなんで!?
「まぁ、数名の女生徒と一緒にいる事は多いですが皆普通の友達ですよ。……ほら夏休みにみんな家に来ていたでしょ? 許嫁のフェリシア嬢とも清い交際を続けておりますし、特段話すような事はありませんよ」
俺は場の緊張を和らげるべく、みんな友達、と強調した。
「なんだ、アルベルトはまだまだお子様だな。早く身を焦がす恋の1つや2つでも体験してみるといい」
親父殿はおかしそうに笑っている。この恋愛上級者め、上から目線で見やがって。
「そういう父上は身を焦がすような恋をした経験がお有りで?」
俺は意趣返しに親父殿へ同じ質問をしてみた。
「応ともさ、アルベルト。私はこの身体、立場すら捨ててもいいと思えるような燃える恋をしたことがあるぞ」
「父上にそのような事が?」
その返しにちょっとだけびっくりした。へぇ〜、宰相殿にもそんな若気の至りな時期があったんだなぁ。
「ああ。あの頃の私にとっては、彼女との恋が人生の全てだったと言っても過言じゃないよ。あの子のためならば何もかも失ってもいいと思っていたんだがね。……まぁ結局は彼女との関係は悲恋で終わってしまったわけだがね」
そういってどこか遠くを見つめている親父殿。過去の出来事を追想しているのだろうか。
「ははは、すまない。湿っぽい話になってしまったな。さぁさぁ、みんな。食事を続けようじゃないか」
場はとりなされ、再び食事を再開する俺たちだった。
「なぁ、アルベルト」
暫く穏やかな食事を続けていたそんな最中、再び親父殿から声がかけられた。
「なんでしょう、父上」
「もしも己が正義と相手の正義が妥協できずぶつかった場合、お前ならどうする?」
中々抽象的で観念的な質問だ。俺は親父殿の質問の意図が分からず、困惑の眼差しを向けた。
「ああ、具体例がないと答えにくいよな。……そうだな、例えば私が誰かを助けたいと願い、その結果多くの被害が世界に巻き散らかされたとする。それならどうだ?」
俺が親父殿の質問を聞いて思い浮かべたのは、クリスを救いたいがために世界を見捨てる選択肢だった。
「俺なら……その誰かを救う手段を別に見つけて世界を救います」
「ふむ……その方法で助かった誰かは幸せなのかね?」
俺は総てが終わったあとに俺の遺体の前で泣き崩れるクリスを幻視するが、意図的にそれを無視する。
「それは分かりません。……質問を質問で返すのは恐縮ですが、父上。世界を見捨てて助かるその誰かは、本当に幸せなのですか? 世界と引き換えに救われるその重みに、その誰かは耐えられるのですか?」
俺のその言葉は実感が伴っていた。絶対にクリスはそんなことを容認しない。だから俺とクリスは、時の女神を倒すという目的でブレる事は決してないのだ。
「ははは、アルベルトはやはりまだまだ子供だなぁ」
そしてそんな俺になぜか笑顔を向ける親父殿。
「いいかい、アルベルト。その助けられた側の事を真摯に考えられる奴は幸せな人生を送ってきた証拠なんだよ。本当にどうしようなくなった場合、その子の意図なんて関係なく、その子を助けたくなってしまうものなのさ」
「父…上……?」
そういって助けられる人の意思にかかわらず助ける事を選ぼうとする父の目は、なんだか若干の狂気が含まれているように俺には感じられたのだった。
─────
「ハッピーニューイヤー。みんな、今を楽しみましょうねぇ〜♪」
アルベルト達の夕食会と同時刻。エクスバーツ領事館内の敷地の一角でも、ささやかな新年の祝いが催されていた。
乾杯の音頭は彼らの首魁たるヴリエーミアがとり、その仲間たちが思い思いのバーベキューの串を手にとっていた。
「む、少年。元気がないでアルな」
「あ、シーアさん」
シーアと呼ばれた少女は、串肉をクリスティンに差し出しながら話しかけてきた。
シーアは、ミーアと同じ古代魔法帝国の遺産であるAEEM1号機であり、ゴスロリの格好をしたまま串に刺したマトンの肉をガツガツと食べていた。
「この前の戦闘をまだ気にしているのでアルか? あれは仕方がないのでアル。あいつはお前とはレベルが違う戦巧者だったからな。お前は充分によくやっているのでアル」
慰めの言葉をシーアはクリスティンに投げかけるのだったが、クリスティンにはその言葉の裏の意味が突き刺さっていた。
「僕では彼に……アルベルトに勝てませんか?」
「正直に言えば100戦してもお前の勝ち筋は1か2でアルな。それもお前の戦力を過大に見積もって演算しても、でアル」
その言葉を聞いて深く何かを考え込むクリスティン。
「なに、我々はチームでアル。チームは総合力で勝負するものでアル。お前の援護は我がチームにとって重要でアルのだから、己を卑下する事は全く必要ないのでアル」
シーアの慰めは殆ど彼の耳に入らず、クリスティンは遠くで黙々と独りで串肉を食べているヘルメスを黙って見つめていた。
(師匠は言っていたな……)
クリスティンの師匠であるヴリエーミアが先日クリスティンに話した事。それは覚悟があるならまだ悪魔の装備は残っているという言葉だった。
『使うか使わないかは、私は判断しないわぁ〜。自分で考えなさいなぁ〜』
いつだって正しい道を事前に指し示してくれていたヴリエーミアであったが、今回の事については完全にクリスティンに一任していた。
(俺は────)
クリスティンは独り、悩み続けるのであった。




