天界?
ピー。ブーブーブー。
「ここが天界……なわけはないよな」
ウィンディによって強制的に天界へと飛ばされた俺だが、気がつくと人工物だらけの場所に一人で突っ立っていた。
コンクリートと鉄筋と硝子が織りなす、無機質な近代建築のビル群。
そして色とりどりの看板が踊る光景。
懐かしさすら覚える、照りかえった日差しをギラギラと反射させるアスファルトの上を走るのは、カラフルな自動車達。
今までのファンタジーな風景が一変し、コンクリートジャングルな風景が突如俺の前に現出したのだった。
あまりの事態に、さしもの俺もその光景に圧倒されてしまう。
「ここは……ひょっとして現代世界か?」
俺の古い記憶と街並みが色々と合致する。
ウィンディによって天界に連れてこられたはずの俺は、なぜか現代世界へと迷い込んでいたのだった。
─────
「おーい、ウィンディ〜ッ!」
いきなり現代世界に現れた俺は、まずこんな所へと連れてきた事情をウィンディに説明させようとしたのだが、いつの間にかウィンディはどこかへと消えてしまっていた。
「……ウィンディとのリンクも切れているし、魔法素も大分希薄なんで、魔法もほとんど使えないな」
俺はその時、周囲から俺へと視線が集まっているのを感じた。
俺から一定の距離を取って、不躾に俺を見ているギャラリー達。
そこで俺は気がついた。俺の今の姿格好って、金髪外人でファンタジーな服装だ。
客観的には外人が奇抜なコスプレをしているようにしか見えないのではないだろうか。
「アー、スイマセん。ワタシ、イマ、エイがの撮影してまス」
記憶を頼りに、日本語で喋ってみた。
転生の記憶を思い出してからすでに10年近くが経っていたため、俺の日本語はすっかり錆びついていたのだった。
そのため妙にイントネーションが独特となり、本当に外人さんっぽい感じになってしまっている。
「なんだ、映画の撮影か」「ヤバい。外人のモデルさんだ〜」「SNSに載っけてもいいですか?」
俺が日本語を喋る事を理解した周りの人々は、一気に態度を軟化させたのだった。
しかし日本語か。思えば遠くに来たもんだ。
俺はため息をついて空を仰ぎ見た。
ん?
俺が頭を上げると、ちょうど視線の先に電光掲示板の日付が見えた。そしてその日付はなんと、俺が事故で死亡したと思わしき日とピタリと一致していたのだった。
「……」
これはあれか。俺が過去にタイムスリップして自分自身を助けるってやつなのか?
その場合パラドクスはどうなるのだろうかとか色々と考えたが、ウィンディが見つからない今、当面行く先にあてもなかったため、好奇心の赴くまま俺は自分が死亡したと思わしきその事故現場へと脚を運ぶのだった。
─────
「……えーと、確かこっちの方向だったかな?」
やはり記憶が大分薄れているな。俺は事故のあった日にどういった行動を自分が取っていたのかをほとんど忘れてしまっていた。
「うーむ。最後に青いトラックと衝突しそうになった事は覚えているんだがなぁ……」
おそらくそのトラックに跳ねられたから俺は死んだのではないかと推測できたが、なにぶん細かい記憶は薄れており、曖昧な記憶を頼りに一つ一つ自分の過去の行動を追っていくしかなかった。
「もし、そこの若者」
「はい?」
俺がブツブツ言いながら道を歩いていると、突然横から見知らぬ老人に声をかけられたのだった。
「あノ〜、俺ニ何か御用でしょうカ」
俺はとりあえずその老人を観察する。
流暢に日本語を話すその老人は、どう見ても日本人には見えなかった。
身長は俺とほとんど変わらないくらいあったし、顔中に皺が刻まれ髪も白髪ではあったが、褐色の浅黒さと彫りの深さも相まって、ただただ精悍という印象が強い感じだった。
「なに、お主のオーラが非常に変わっていたのでな。少し気になって話しかけたまでよ」
老人はニヤリと笑いその鋭い眼光を俺に向けてくる。
「……すまないが、俺にはあんたとかかずらっている暇はないんだ。だから───」
「ふ〜む、お主が探しているのは人だな? それも若い日本人の男……違うか?」
俺は思わず目を剥いて老人を見やってしまった。
「ワシには色々と”見える”のじゃよ。その男とお主との邂逅はまだ幾分か先の話じゃて。それまで少しワシと茶でも飲んでいけ」
少し考えたが、確かに闇雲に俺の過去の足跡を探すよりもこの老人からいくばくかの情報を拾うほうがマシかと思い直し、俺は老人に誘われるまま、老人が居座っているカフェへと入っていくのだった。
─────
「さて、まずはこうして会ったからには自己紹介をせんといかんな。ワシの名はクーリエじゃ。覚えておくとよいぞ」
禿頭をペしりと叩き、目の前の老人が自己紹介してきた。
「俺はアルベルトだ。……そんなことよりじいさん、俺が探している奴は一体今どこにいるんだ?」
俺は先程からマイペースにしているこの老人に、若干の苛立ちを感じていた。
この瞬間にも過去の俺が事故に遭遇しているのかもしれないのに、この老人からは微塵も焦りが見受けられない。
「ふぉっふぉっふぉ。焦るな焦るな若者。まずは一杯紅茶でも飲んで落ち着きなさい」
そう言うと老人はちょうど給仕が持ってきたティーポットを引っ掴むように受け取り、自分のカップへと溢れるほどになみなみと注いでいた。
「ふっはぁ〜! やはり紅茶は人類の最高の発明品じゃわい。ワシの五臓六腑に染み渡るのぉ〜」
俺はそんな爺さんをジト目で見ながら、給仕が持ってきたミルクティーをひったくるように掴み、グイッと一気に飲み干した。
普段あまり飲まないタイプの紅茶だったので、その甘さが喉に絡みつくようだった。
それから暫く、老人の愚痴が続いた。やれ都市は物価が高いとか、老人への敬老の精神が足りないとかどうでもいい話ばかりだった。
段々と老人との会話に辟易としてきた頃、唐突にその話題が現れた。
「さて、若者よ。お主は今疑問に思っておるはずじゃ。『なぜ俺はここにいるのか』、とな」
老人の言葉に俺はドキッとしてしまう。この老人、何か俺の事を知っているのか?
「気持ちはわかる。外国から身一つで異国に来たという事は、それなりにカルチャーショックとホームシックになることもあるじゃろうてな」
俺は老人の言葉に今度はガクッとくる。なんだ、俺の早とちりか───
「しかし、それ以上に自身の記憶の違和感について、本能的に恐れておるのではないかな?」
老人の言葉が俺の耳の中へとスルリと入り込んでくる。
記憶に違和感だと? 何を言っているんだ、この老人は。
「お前さんのその姿はまさにこの国の人間のそれではない。なのにお前さんにはこの国の人間の記憶がある」
なぜ話してもいない俺の秘密についてこの老人は知っているんだ?
俺は先程までの弛緩した空気を振り払い、緊張した動きで目の前の得体のしれない老人と相対する。
「お前さんはもうこの現象について知識として知っておるはずじゃ。様々なパーツはすでに揃っておる。そろそろ自分について知らないと、後々痛い目に会うぞい」
「ちょっと待て爺さん! あんたは一体誰なんだ!?」
席を立とうとする老人に向かって慌てて俺は手を伸ばそうとする。
「おいおい、お前さん。トラックはそこにもうおるよ。見なくとも良いのかな?」
俺は老人の言葉にハッとし、慌てて後ろを振り向く。
するとそこには見覚えのある日本人の青年が、青いトラックに轢かれそうになっている現場が拡がっていたのだった。
「あ───」
俺は一目散に外に飛び出て、事故の現場へと脚を運ぶ。
走り去るトラックに、地面にうつ伏せとなっている日本人の青年。
まさかここが現場だったのか!
俺は倒れた青年を抱え起こし、急いで癒やしの魔法を使う準備を整える。例えこの世界に魔法素が少なくとも、俺の全力の魔法ならばかなりの回復を期待できるはず!
「うーん……」
倒れた青年が呻く。あれ? まだ魔法を唱えていないんだが───
「……あれ? なんで俺は外人さんに抱えられているんだろ?」
目の前の青年が、どこか恍けた感じでそんなことを言っている。
俺は今度は冷静に青年の四肢を確認する。外傷は───ない。
「いやぁ〜びっくりしましたよ。なんなんですかねぇあのトラック。いきなり突っ込んできて危ないったらないですよねぇ〜」
ヘラヘラと笑う目の前の青年に対して、俺は違和感を覚える。
(こいつは過去の俺だった……はず。なのになぜトラックと衝突していない? ここは俺の過去ではないという事なのか? それとも───)
俺は先程まで老人がいたカフェを見る。すでにそこには老人の姿はなく、何か煙に巻かれたような気分だった。
「お〜、やっと見つけたのじゃ!」
いきなり上空から見知った声が聞こえてきた。
「うわぁぁぁぁッ、人が浮いてる!?」
「お、ウィンディか。ようやく会えたな」
俺はウィンディとのリンクを確認する。やはりしっかり繋がっていた。
「何かよく分からんのじゃが、天界に行く途中に何か変なノイズが混じってしまったのじゃ。小さなアクシデントじゃからワシのせいではないぞい」
あくまでも自分の失態ではないとウィンディは強弁し、新たな転移の体勢に入っている。
「爺さんはなぜこんな景色を俺に見せたんだろうな……」
いくつか考えられるアイデアは有ったが、それはあまり愉快な想像ではなかった。
(まぁ、記憶の隅に留めておくよ。有意義かどうかは分からないけど、とりあえず感謝しておくさ、爺さん)
俺はウィンディに連れられて今度こそ天界へと転移するのであった。




