変わる前提条件
クリスティン強襲の後、舞台の幕間中に俺は急いで楽屋へと向かった。
そしてそこで俺を待ち受けていたものは、半裸の格好で横たわっているあられもない姿のクリスだった。
「お、おい! クリス、しっかりしろッ!」
俺はクリスを抱き上げ、激しく揺する。
「……はにゃ? あ、あれ、私どうし………あっ! そうだ、兄さんが───」
「落ち着けクリス。ひとまずおまえの兄貴はどっかに行っちまったよ」
意識を取り戻したクリスが一瞬慌てて、その後俺と真正面から見つめ合った。
「あ〜、アルくん? 今ってどういう状況なのかな?」
意識を失っていた自分よりも俺に状況を聞いたほうが手っ取り早いと踏んだらしいクリスは、冷静に俺へと状況の確認を促した。
「今は舞台の幕間で、剣劇のシーンが終わったところだ。
色々と説明してやりたいところだが、まずは劇を終わらせた方が落ち着いて話せるだろう。
……劇、行けるか?」
責任感の強いクリスが劇を放置したら、あとでひたすら悔やみそうだ。
だから俺はまず最初に、劇への復帰をクリスに提案した。
「……うん、そうだね。本当は色々とやりたい事があったんだけど……それどころじゃなくなったみたいだしね」
クリスが薄い苦笑いを浮かべる。やはり兄貴の突然の登場にまだ心の整理が追いついていないみたいだな。
「考えるのは、後だ。今は目の前の仕事に集中してくれ」
「うん、分かった。……と、ところでアルくん」
急にもじもじしだしたクリスが、小声で俺に声をかけてくる。
「ん、どうした、クリス? ……どこか痛むのか?」
俺は自分の迂闊さに舌を打つ。たとえ身内と言えども無傷で解放されたとは限らないではないか。
「ちがッ! ……くて……その……」
ん?
「クリス、言え。あまり時間がない」
「───え〜と、結構今の格好が恥ずかしいかな〜、って」
顔を真っ赤にして明後日の方向を向きながらボソボソと呟くクリス。
そこで俺はまじまじとクリスの姿を確認してしまった。
クリスの白い肌が、薄暗い部屋の中で淡く光っているように感じる。
どうやらクリスティンは容赦なく実妹の服を持っていったらしく、今のクリスはほぼ下着だけの非常に扇情的な姿だった。
もしこんな姿をクラスメイト達に見られたら───
がちゃり。
「もう、いつまで仕度に時間かかっているのよ! 次のシーン始まっちゃ……う」
中々舞台に戻ってこない主役二人に業を煮やした進行係の女生徒が、運悪く?楽屋へと俺達を呼びに来た。
「「あ」」
……までは良かったのだが、そこには半裸のクリスとそれを抱き上げている俺。
これは非常にまずい。
「え〜と誤解しないでくれ。これは……その演技の練習で──」「あはは〜、あんまり言いふらさないでね〜」
誤解を解こうとする俺に、被せるようにして言葉を乗っけてくるクリス。
「あ〜、うん。言わない。……なるべく、急いでね」
コクコクとうなずくと、こちらをなるべく見ないようにしながら、そそくさと部屋から出ていく進行の某嬢。
「お、おいクリス! あれじゃ──」「下手に言い訳するよりも、こっちの方が手っ取り早いよ。……じゃあ、衣装着替えちゃうから、ちょっと部屋から出ていてね」
早口にガーッと説明するクリスの迫力に諭されて、ササッと部屋から追い出される俺。
……まぁ、いいか。
─────
そんなトラブルがありつつもなんとか舞台に復帰した俺達は、特に波乱もなく無事、最後の公演を終えることができた。
最後のシーンでクリスが何か変わったことをしたかったみたいだが、「このタイミングではねぇ……」と呟き、何もしなかったみたいだな。
「───さて。みんな集まってもらって済まなかったな」
三日間の学園祭を終え、それぞれ何かと忙しいかと思ったが、今回は俺の都合で強引にいつもの屋上へと集まってもらった。
すでに日は落ち、魔法による小さな照明と、校庭に積み上げられた祭りの残滓を燃やした派手な篝火だけが、漆黒に彩られた夜の世界を紅く彩っているのだった。
「最近、あまりここにも来なくなったけど、この面子を集めたって事は、貴方の隠し事、少しは私達に話す気になったのかしら?」
思えば、ここ暫くは俺の死亡フラグもシナリオの進捗も無かったから小康状態だったな。
……だけどその平穏ももうおしまいだ。
「状況が変わった。俺の知っている事をみんなにも話そうと思う」
クリスティンがここにいると言う事は、おそらく白き魔女も動き出したのだ。
彼女達の狙いはただ一つ。時の女神の現世への降臨だ。
俺はなるべく簡素に、魔女の存在とその目的について説明する。
……本来ならば女神から啓示を受けたラ・ゼルカ法王国の聖女が、ゲーム主人公やゲームヒロイン達に警告を発するのだが、なぜかそれがない。
内心、女神達にブツブツと文句を言いながら、時の女神がどのような手段でこの世界に介入するのかを俺は皆に説明するのだった。
「女神達が維持しているこの世界を護る結界、その綻びから時の女神っていう謎の女神がこの世界に入り込もうとしているねぇ……。
話は分かったけれども、スケールが大きすぎて全く実感が沸かないわね」
フェリシアは難しそうに眉を顰めながら、考えを整理しているようだ。
「……正直、なんで兄さんがそんな大それた事をしようとしている人についていったのか、私にはちょっと分かんないや」
一般人のクリスは戸惑いの方が多いみたいだな。
「しかし、エクスバーツ共和国はどうしてそんな危険な人に協力しているのですか?
もし今の話が本当なら、世界が滅茶苦茶になってしまいますよ!」
リーゼの疑問はもっともだ。おそらく何かしらの手段で国の上層部を操っているんだろうな。
「……いや〜、私よくわからないなぁ〜」
メアリーは理解を放棄したのか。まぁ仕方あるまい。
「難しい事は私には分かりませんが、私はご主人様に従うだけです」
サキは相変わらずブレねぇな。
一通りみんなの反応をもらえたわけだが、ウィンディだけはぼーっとこっちを見つめていた。
「ん? どうしたウィンディ。何か意見があるのか?」
俺は軽くウィンディを問いただす。疑問点があるならば、今のうちに整理しておこうと思ったからだ。
「いや……お前様の話を聞いていて気になったのじゃが……どうして女神の結界が綻びるんじゃ?」
あれ、コイツも当事者だったのに忘れたのか?
「おいおい……風の女神様だよ。
偽りのサル・ロディアス市を魔法の力で維持していた関係で女神が力を喪い、その隙をつかれて時の女神の侵入を許してしまうのさ」
俺は一年前の冒険を思い出しながらウィンディに説明する。
僅か一年前だが、随分昔のことのように思えるな。
「う〜ん、あの時は確かに風の女神は力を落としておったが……結界が維持できる程度の存在感を維持しておったから別に大丈夫だと思うぞい」
ウィンディがあっけらかんと言う。
「え?」
「お前様は自分で自分の活躍を忘れてしまったのかのぉ? お前様はギリギリじゃったが、見事ヴェルテのバカが消えてしまう前に助けることができたじゃろうが。
……一応天の座の近くにおるワシの本体にも確認をとったが、きちんと結界は維持されておるぞい」
「……なん……だと?」
女神の結界が……維持されている?
「なーんだ。じゃあその時の女神ってやつは自分の身体をこの世界に持ってこれないんですね」
「うふふ。アルベルトもたまにはミスをするのね。
その時の女神とやらが降臨できないのならば、そこまで大きな問題は起こらないんじゃないかしら?」
サキとフェリシアがホッとした表情で話す。
「それでも実際にクリス兄さんは暗躍していますし、白き魔女とやらも動いてますし、何かしらの警戒は必要でしょうね」
「まぁ、とりあえず女神のこの世界への侵入はありえないことが分かっただけでも収穫でしょ……ってどうしたのアルベルト?」
フェリシアが心配そうにこちらを覗き込んでくるが、俺はそれどころではなかった。
時の女神はこの世界にやってこれない……?
つまり世界の破滅は訪れない……?
ゲームとは全く違うシナリオ……
ひょっとして……
「俺の死亡フラグが……そもそも存在していない可能性が……?」
信じていたゲームシナリオが根本から崩れた瞬間、俺の未来は一気に先が見通せなくなってしまったのだった。
昔の伏線をようやく回収です。




