隠し扉
─────落ちる。墜ちる。おちる。オチル。
どこまでも続く、深い闇。永遠と錯覚させられる程の浮遊感が俺の感覚を麻痺させる。
奈落に向かって吸い込まれているような、恐怖よりも超自然的な感覚に囚われてしまい、今どこにいるのかさえも曖昧になるような気分だった。
「──って、ばかりも言ってられないか」
このまま何もせずに自由落下を続けるならば、俺はともかくユリアナは確実に死ぬだろう。
それが察せられる程の落下高度であり、落下速度だった。
俺は身体の感触を確かめる。
必死に俺に抱きついているユリアナ。しかし暗闇で全く見えないせいか、大女に抱きつかれているというよりも、小柄な少女に抱きつかれているような奇妙な気分を感じるのだった。
俺はユリアナを左腕だけで身体に固定し、右腕を腰の後ろに回す。
そして腰の後ろにマウントされている、愛用の魔法の短剣を抜き放つ。
俺は滑落中の登山家がピッケルを山肌に刺すように、右手に握りしめた肉厚の短剣を暗闇の中に無造作に突き刺す。
最初に堅い感触を感じ、切れ味鋭い短剣は徐々に壁を抉っていく。
「ぐ……ぐぐッ…………」
右腕が千切れるのではないかと錯覚するほどの強烈な衝撃を受けるが、俺は歯を食いしばってそれに耐える。
更に両脚のつま先を壁面に滑らせるように擦り付けて、補助ブレーキの役目と姿勢維持の役目とした。
どれくらい滑り落ちたのか。気がつけば真っ暗な闇の中で、横になっている自分に気がついた。
「あ、アルベルトさん! ご無事ですか!?」
ユリアナが心配そうに俺へと声をかけてくる。
こいつの顔がぼんやり見えているということは、この部屋には仄かな明かりがあるということか。
ヒカリゴケのような天然の小さな明かりがあるようだな。
「……まぁ、無事じゃあないが、そこまで悲観する程でもないかな」
ズキリと痛む右腕を除いては、身体の感覚から、多少の裂傷や打身がある程度だった。
しかし壁面からの衝撃を一手に引き受けた右腕は、無事では無かった。
俺の右腕は千切れてはいないものの、ピクリとも動かなくなっている。おそらくはクリスの魔法でもない限り、回復は難しそうだった。
「あ、アルベルトさん……その右腕───」
「おっとそこまでだユリアナ。そんな湿気た面よりももっとマシな事を話そうぜ」
俺は起き上がって周りを見渡す。
愛用の魔法の短剣は、刃こぼれが酷く、もう戦闘の用には供せなさそうだった。
しかし、幸いにも背中の荷物は無事だったようで、外されて俺の横に無造作に置かれていた。
俺はゴソゴソとその中から灯りを取り出して、燈す。
そして持ち込んだ非常食とストーブを使って、かんたんなスープを作った。
「ほれ、ユリアナも飲んどけ。これで少しは息がつけるだろ」
「あ……ありがとうございます……」
おずおずと受け取り、スープを啜るユリアナ。
それを確認して俺もスープを啜る。
美味い。塩味がよく効いているリゾットに似た味わいだ。
どんな状況でも食事は良いものだ。
あとはクラッカーを少々と紅茶を振る舞って俺たちは食事を終えた。
「さて……これから階段を登ってさっきの所まで戻らなければ行けないわけだが……これは中々骨が折れそうだ」
そう嘆息して、本来は登り階段がある辺りを俺は見やる。
そこには橋の崩落によって生じた残骸が広範に散らばっており、俺達の行く手を遮っているのだった。
コイツをどかすのは大変そうだがやらねば上に戻れない。
「あの………アルベルトさん」
「ん? どうしたユリアナ?」
おずおずと声をかけてくるユリアナに生返事をする俺。
「少し気になる事があって……こっち、見てもらえますか?」
そういうと、なんの変哲もない壁面に向かって無造作に近づいていくユリアナ。
「別に普通の壁───」
ユリアナが壁に接触しそうになったとき、仄かな紫電の光が燦めき、壁の一部が一瞬人工物に見えた。
「え?」
俺は今の現象に茫然となる。そして慌ててその壁を調べてみた。
どんなに触ってもやはり普通の土壁に見える。
しかし、ユリアナが壁の近くにいる間は、手触りが薄っすらと変わるのだ。
これは触覚等までをも騙す、認識を阻害する幻覚系の魔法が土壁にかかっていたが、ユリアナが持つ何かしらの幻覚系の魔法道具と効果がコンフリクトしたため、それが崩れて俺に壁の秘密を指し示したのかもしれない。
「ユリアナ。すまんがもうちょっと俺に近づいてくれ」
俺はユリアナに少し俺に近づいてくれるようお願いする。
ユリアナはコクリと頷くと無言で俺に近づく。壁の近くにいる俺にユリアナが近づくことで、壁の表面を蔽っていた魔法の効果が薄れ、その仕組みが明らかになる。
「隠し……扉か……?」
薄いパネルを開けて、開閉のボタンを押す。するとこれまでただの土の壁だと思っていた部分にスリットが入り、人一人が通れるほどの細い隙間が現れた。
「こいつは驚きだ。こんなところに隠し扉があったとはなぁ……」
「あの……私、少しはお役に立てましたか……?」
おずおずと声をかけてくるユリアナ。
「ああ、素晴らしい仕事だユリアナ。本当に助かったよ」
俺はユリアナの姿を見ずに感謝の言葉を投げかける。
夜目があまり効かない本人は気づいていないようだったが、壁の側に立っているユリアナは、薄っすらと透けていた。
そして何故か、俺の知らない誰かの姿が、ちらりと二重写しのように見えたような気がしたのだった。




