閑話 私のお兄さまは世界一素敵です(7)
「あ、あの……お兄様…………せ、背中を……洗わせて……貰えませんか…………?」
情感たっぷりに、お兄様へとおねだりをする私。
お兄様は…………無言で首肯しましたわ。
そして私は、手ずからお兄様のお背中を流す運びとなりました。
ふ、ふひ……ふひひひひ…………ついについに、お兄様の”はじめて”を頂戴する時が来ましたわ!
ドサクサに紛れて、お兄様の貞操を奪う瞬間を想像し、思わず涎が出てきそうになる私。
おっと妄想は後回しよ、私。今はその妄想を実行に移す時なんですから。
お兄様の後ろに構えた私は、まずはジャブ的に、わざと胸をお兄様に軽く押し当ててみて、様子を窺ってみた。
結果は、恥ずかしがりながらも私を拒否しないお兄様。
ふぅ〜。第一段階は成功ね。
次に、軽いスキンシップを重ねて、私の身体に慣れてもらう作戦だ。最初はおずおずと。徐々に大胆に。
お兄様は隠しているつもりみたいだけれども、私にはバレバレよ。かなり私を意識しているみたいだわ。ふふふ、可愛いものね。
ここまでで第二段階終了。今のところは順調ね。…………さて、ここで運命の第三段階発動よ。
これは賭けだわ。お兄様は、ここで拒否する可能性がもっとも高いんだもの。
「ま、前も洗わさせて欲しいのですけれど…………ダメ、ですか……?」
小声でお兄様におねだりする私。どうだ?
「い、いや。そこは流石に自分で…………」
やはり拒否してきたわね、お兄様。
でも私も今更後には引けないわ。
私は咄嗟に嘘をつく。
あーでもないこーでもないと嘘を並べながら、よく私はこんなにもペラペラともっともらしい嘘がつけるものね、と自分で自分に感心してしまった。
私がお兄様以外の男性の身体を洗う? はっ! 論外も良いところね。
あとお兄様。社交でそんな話が出るわけないでしょうが。
お兄様が全く社交に詳しくないことが、私にとって良い方向に働いたわね。
ん? お兄様は何かを真剣に検討しているわね。そして何か閃いたらしい。
…………は? 私が、お父様の、身体を、洗う?
これは不味いわ。そっちに押し込まれたらかわされちゃいそうだわ。
ここは社交で鍛えた猫を被るしかないわね。頑張れ、私の震える猫なで声ッ!
……
…………
…………………
賭けは成功した。やはりお兄様は私に激甘だ。
お兄様を騙したようでほんの少しだけ良心が痛んだけれども、私とお兄様の将来のためを思えば、そんな事は些事に過ぎなかった。
ああ、お父様、お母様。不肖サリュは今日、処女を卒業し、晴れてお兄様の妻として迎えられる事になりました。
私はお兄様の気が変わらないうちに、素早くお兄様の前に移動する。
お兄様は恥ずかしいのか、頑なに目を閉じていらっしゃる。
ふふふ、可愛いヤツめ。
椅子に座り、大事なところをタオルで隠しているだけの、あられもない格好のお兄様。
え、私? 真っ裸ですがそれが何か?
さぁ、さっさとお兄様のタオルをとって、腰を落とそう。それで全てが終わるのだから───
私は、お兄様の腰に巻いてあるタオルにするすると手を伸ばした。
─────
うわ、躊躇なく前に来やがった!
前も洗って良いと許可を出した瞬間、妹のサリュは、颯爽と俺の前に移動してきた。
動体視力と記憶力に優れた俺は、横を通りすぎる真っ裸のサリュの全身を、横目で咄嗟に拝んでしまった。
慌てて目を閉じて感覚をシャットアウトする俺。
やばいやばいやばいっ!!
小さい頃のイメージを引きずっていたため、意外と女性らしい丸みをもったサリュの華奢な肢体が網膜に焼き付いてしまい、とても動揺してしまった。
目を閉じて感覚をシャットアウトしても、残念ながら俺にはサリュの動きがわかってしまう。
魔力の動きだ。
サリュはさっきまでのおどおどとした雰囲気をいつの間にか散逸させていて、患者を前にした冷静な医者のような雰囲気を纏わせながら、俺の側に近づいてきた。
「………?」
サリュが俺の肩に手を置いて、すぐ目の前に立つ。そして両足で俺の身体を挟むように、密着してきた。
「お、おいサリュ! 俺の身体を洗うのに、こんなに密着する必要はないだろう!」
「駄目ですわお兄様。離れて洗いますと、また身体を滑らせてしまい危ないですもの」
慌ててサリュに声をかけるが、サリュはさも当然なことをしているとばかりに普通の声音で返答を返してくる。
流石にまずいと思って逃げようと思った刹那、サリュの片手が誤って俺の腰に巻いたタオルに引っかかってしまい、バランスを崩したサリュが尻餅をつきそうになっていた。
俺の腰の上で。
うわ! 風の魔法で吹き飛ば…………すわけにもいかないし、暴力も駄目だし、一体どうすればッ!?
一瞬の逡巡のせいで初動が遅れた俺は、それを目撃してしまう。
ニヤつく妹が狙い定めて腰を落として───
「ぶへっ!!」
急角度で横に吹っ飛んでいった。
「へ?」
凄い勢いで吹っ飛ばされて地面に衝突したかと思った瞬間、体操選手のように綺麗に受け身をとって何事も無かったかのように立ち上がるサリュ。
その顔はいつも見慣れたたおやかなものとは異なる、好戦的な眼差しだった。
「…………そう。またしてもあなたが私の邪魔をするのね…………羽虫ィィィッ!!!!」
「間に合って良かったですわ、ご主人様。今回のサリュートお嬢様の暴走は、流石に目に余るものがありますねぇ。
……これはちょっとお仕置きが必要です」
素っ裸なのに隠す素振りも見せずに、優雅なポーズでサリュの殺気立った眼差しを受け止めているのは、俺の専属奴隷のサキだった。
ただしサキの黒いケモミミはピーンとそばだっており、サリュを強く警戒しているのが窺えた。
俺は対峙する二人に呆然としてしまう。
何よりもサリュの表情だ。だってサリュはいつも大人しくて、静かな女の子で。
───こんなにも刺々しい感情が表に出る子だとは思ってもいなかった。
ドカンッ! ドカンッ! ドカーンッ!!
サキが無系統の衝撃魔法をサリュに連発している。
サキは威力の手加減こそしているもの、手数等を考えればそれなりに本気でサリュを攻撃しているようだ。
多分回復魔法のエキスパートであるクリスがいるから無茶をしているのだろう。……そう信じたい。
一方、攻撃を受けているサリュの方だが、猫のような身軽さと天性のカンだけを頼りに、サキの絨毯爆撃を紙一重で躱し続けていた。
サリュは、風呂場という安定しない足元であるにもかかわらず、本職の戦闘技能者も唸らせるほどの、非常に機敏な機動をみせている。
なんで俺の背中とかを洗った時は、あんなにも滑ったのだろうか。全くもって謎である。
「だーめ」
2人の戦闘を眺めていたら、ふわりと俺の背後から両手で目隠しをされた。
「…………クリス?」
「当たり〜。でもそんなにまじまじと女の子の裸を眺めちゃだめだよ。
たとえサキさんやサリュちゃんがアルくんに見せても良いと思っていたとしても、紳士なアルくんは自主的に見ないようにしないとねぇ〜」
「それは、分かった。……クリスあの…………」
「ん、なんだい?」
言えない。今まさに俺の目をその小さな両手で隠すために、その身体を俺の背中にピッタリとくっつけているために、クリスの……む、胸が俺の背中に密着しているだなんて、この状況で言えるわけがないだろうがッ!
女の子特有の良い匂いと柔らかい感触を感じつつ、耳からは遠くサキとサリュの小競り合いの残響が聴こえてくる。
「ね、アルくん。寒いからお風呂入ろうか」
「……ああ、そうだな」
サルト家は今日も平和だった。
因みに、このあと冷静さを取り戻したクリスが自分の行いを自覚してしまい、真っ赤になってお風呂に沈んでいったことを追記しておこう。
─────
お風呂事件の後日談を少し記そう。
あの後、サキとサリュの諍いは、メイド長が風呂場を覗き、泡を吹いて卒倒してしまった事で有耶無耶な決着となっていた。
そしてこの件が親父殿に速攻でバレてしまい親父殿は大激怒。2人には3週間の俺との接触禁止令が出されていた。
サキは「私は止めただけなのにぃぃぃっ!」と絶叫していたが、日頃の行いが悪すぎて喧嘩両成敗となっていた。南無三。
なおサリュの方はあまり変わった印象はなく、俺への態度も普段そのものだった。
こうして、サルト家での割とどうでもいい出来事は幕を下ろしたのである。
─────
「今回は、羽虫の横槍というイレギュラーのせいで『お兄様の貞操ゲット作戦』が惜しくも失敗してしまったわ。
けれどまだまだ夏休みは長い。この夏の間に、必ずお兄様の貞操を食い散らかしてやるんだからねっ!!」
乾坤一擲の作戦はものの見事に失敗に終わったけれども、私の意気は軒昂だった。
この3週間の間に、今次作戦の反省点を織り込んだ新たな作戦を練り上げて、お兄様との接触禁止令が解除されたその時、お兄様の童貞を改めていただくのだっ!
この3週間後に、お兄様が父からの言いつけで領内視察に行くことを知らされていなかった私は、ウキウキと次の作戦を部屋の中で練っているのであった。
私、合掌。
これにて閑話妹編終了。
閑話はあと1話分、別のを投下する予定です。
その後は2学期編開幕予定です。




