閑話 私のお兄さまは世界一素敵です(3)
「……えへへ。ど、どうかなアルくん。似合って……いるかな?」
少し早い時間に食堂についた俺を、はにかみながら出迎えてくれたのは、白と黒を基色とする可憐なメイド服に身を包んでいる、クリスだった。
意図しているのかしていないのか俺には分からないが、オーソドックスでシックなデザインのメイド服を着込んだクリスは、とてもあざとく素敵に可愛かった。
「あ、ああ。……とても似合っていると思うが、今日は家に着いたばかりで疲れているだろうし、別に仕事は明日からでも良かったんだがなぁ」
「だ、ダメだよ、アルくん! 私はお仕事をしにアルくんの家に来たんだから、ちょっとでも早くお役に立たないと!」
両手を握って力説するクリス。すでにクリスは働く気マンマンだった。
「……じゃあ、今日は配膳の手伝いだけしてくれればいいよ。そしてその後はしっかりと休むこと。
後の仕事は明日から覚えてくれ。これは雇い主としての命令だから、しっかりと従ってくれよな」
俺は優しい口調でクリスに諭す。
一刻でも早く働きたい、というクリスの心意気は嬉しいのだが、俺としてはクリスにはリーゼやメアリーと親睦を増やす時間を増やしてほしいのだ。
更に言うと、クリスの学費の対価として、クリスの納得を得るために我が家での労働を勧めてはみたものの、実際のところクリスが学校に留まる事はゲーム展開の都合上、どうしても必要な事であり、逆にクリスが恩義に感じてしまっている事に対して、俺の心情としては少なからぬ罪悪感があったりするのだった。
「うん! じゃあ私はお仕事手伝ってくるから……アルくん、またね!」
スキップをするように足取り軽く厨房へと入っていくクリス。俺はそれを最後まで見送った。
─────
「ご主人様、お立場を利用した破廉恥行為はいけませんからね?」
「へ?」
クリスが厨房の奥へと消えていくのをぼんやりと眺めていたら、いつのまにか隣に陣取っていたサキが頬を膨らませてこちらを半眼で睨んでいた。
サキもクリスと同じデザインのメイド服なのだが、ところどころに肌が見えやすいような改造が施されており、清楚さよりも妖艶な雰囲気が漂っていた。
俺は少し落ち着こうと、手元のカップに注がれている紅茶に口をつける。
「ご学友のクリスさんが女だった事が分かったからといって、夏休みにご実家に連れ込んで、メイド服を着させて……一体どんないやらしいプレイを強要しようと目論んでいるんですか?」
「ブーッ!!」
俺はサキの不意打ち気味の発言を聞いて、思わず口に含んだ紅茶を吹いてしまった。
いやいやいやいや。
サキは一体どういった思考回路を通ってそんな結論に至ったのか。
確かにゲーム時代のアルベルトだったならば、そういった破廉恥な振る舞いをしていたのかもしれないが、今の俺にはそんな事を強要する意思も欲望も度胸もない。
「因みに私でしたら、いつだってそういったプレイオッケーですから! ドンと来い、ですよっ!」
ドヤ顔で変態行為を推奨してくるサキ。おいおいおい……
「アホな事を言ってないで、お前もちょっとはクリスを見習って厨房を手伝ってこいよ。いつも自分の事を奴隷とかなんとか言っているんだから、たまには家の手伝いでもしとけ」
俺は諭すようにサキへと説法を説くのだが、サキとしては馬耳東風のごとく聞き流していた。
「え〜! 私はそんなつまらないお仕事よりもご主人様といちゃいちゃしなければならないという崇高な使命があるのに……あ、ご主人様! ちょっと私と一緒にお仕事のロールプレイをしませんか!?」
「ん? ロールプレイ?」
はて、ロールプレイとはどういう事だ?
「そんなに難しく考えないでくださいませ。私なりに奴隷メイドとご主人様の関係を研究する一環として、ご主人様本人と仕事の練習をしたいなぁと思っていたんですよ」
「おお……サキが立派になった……」
何か専属奴隷の定義を相当履き違えていたサキではあったが、ついに職業意識に目覚めたのか。
ひょっとしたらクリスのプロ意識に何かしら触発される部分があったのかもしれないな。
俺は思いがけないサキの成長を実感し、思わず目頭が熱くなってきた。
「うふふ、では始めますね。…………がっしゃーん」
サキが手に持っていた何かを地面に落とす動作をする。
「???」
俺は頭の中にクエスチョンマークを浮かべた。サキの意図が分からん。
「ああ、しまったわぁ! ご主人様が大切にしていた壺を割ってしまいましたぁ! あ、ご主人様! ……み、見ていらしたんですかぁ?」
科を作りながらも怯えた表情を浮かべるという非常に判断に困る態度を取りつつ、こちらを凝視してくるサキ。
「……え、えーと、サキ? 結局俺は何をすればいいの?」
するとフー、と残念そうな溜息をつくサキ。
「ご主人様、その反応はダメのダメダメなのですよ。
いいですか、ご主人様。シチュエーションとしては、ご主人様が大事にしていた壺を、若くて身体が美味しそうな奴隷によって割られてしまったのです。
つまりご主人様は、目の前で粗相をした奴隷に対して、折檻をするチャンスが転がってきた、のですよ?」
「はぁ」
サキが何を言いたいのかサッパリ分からん。
「なんで気のない返事をするのですか。粗相をした奴隷には、ご主人様が大切にしていた壺を何とかする力がなく、払えるものはその若くて美味しそうな身体しかないのです。……後はもう分かりますよね?」
サキがにっこり微笑んで俺のリアクションを待っている。
俺は暫く悩んだが、とりあえずサキへと俺なりの解答を返した。
「いやでも、サキだったら凍結系の魔法でいくらでも壺なんて修復できるんじゃないのか? そもそもサキの魔術の腕なら、壺を地面に落とす前に何とでもなるだろうが」
俺はサキの能力から当然と思える対処法を説明する。するとサキは大仰に天を仰ぎ、これみよがしにため息をつく。
「ご主人様、そんな解答ではダメのダメダメなのですよ。
いいですか。あくまでもロールプレイなのですよ? そこはそういった行動が取れないという前提でお話を進めてくださいな」
「お、おう。ごめん」
あれ? 何で俺が謝っているのだろうか。
「……では続きですよ。ご主人様の大切な壺を割ってしまった私。それに対してご主人様は、『誠意を見せろ』と舐め回すように私を見るのです。
そして私は唯一自分に商品価値のある、自分自身を差し出すのです…………」
そう言いながら、テキパキと自身のメイド服を脱ぎ捨てていくサキ。非常に初々しさを感じない手慣れた動作だった。
そしてあっという間に下着だけの姿になる。頬は上気し、身体は仄かに汗ばんでいる感じだ。
場所は食堂なのに一体どんなシチュエーションなのか。
「はぁはぁはぁ。そして獲物を目の前にしたご主人様は、辛抱たまらん、とばかりにその若い身体へとむしゃぶりつくのですぅぅぅッ!!」
そう言っていきなり俺に抱きついてこようとするサキ。
「うわっ!」
思わず反射的に避けてしまった。
確かに目の前には絶世の美少女と言っても過言ではないサキが半裸の格好で俺に迫ってきているわけだが、シチュエーションがあまりにもあんまり過ぎて、これっぽっちも性的な気分になってこない。
まぁ、それはそうだろう。例え絶世の美少女が相手であろうとも、こんなムードもへったくれもない場所で事をおっぱじめることができるほど、俺は変態ではなかった。
「ご主人様! ロールプレイ! ロールプレイですぞぉぉぉッ!」
好色な瞳を浮かべて、俺を手篭めにしようと襲いかかってくるサキ。
ロールプレイを言い訳にして、大分理性がぶっ飛んでいる感じだ。
「いい加減、に……しろッ!!」
「ぎゃんっ!」
空気を操って巨大なハリセンを作った俺は、容赦なくサキの頭に叩きつける。
少々乱暴な気もするが、サキの魔法防御力は極めて高いので、スタン効果のある魔法で一時的に意識を刈り取るのが一番効率的に大人しくさせられる方法なのだった。
「よっ……と」
俺の魔法のハリセンを喰らい、目を回してぶっ倒れるサキを、俺は優しく抱き止める。
「……はぁ。静かにしていれば、こんなにも可愛らしいんだがなぁ」
嘆息する俺。そして気を失って俺にもたれかかっているサキのケモミミを、優しく撫でる。
サキはおそらく俺に対して好意を持っているのではなかろうか。
最近、流石に鈍い俺でもサキの好意を感じる事が増えてきたが、サキの将来を考えるとおいそれと簡単に手を出すわけにはいかない。
ゲーム展開を考えると、この娘の将来は前途洋々なのだ。だからこそこの娘の将来の選択肢を狭めるような真似はしたくないし、そもそも俺の死亡フラグ問題は何も解決していないのだから明るい未来を見通せるわけではない。
「俺はもっと強くならなきゃな」
サキだけではない。フェリシアの将来に対しても。更にリーゼやメアリー、そしてクリスの将来に対しても。
ゲーム展開を歪めて、自分の保身を考えている俺には。彼女達の見通せる将来に対して、何かしらの責任があるのは間違いないのだ。
だからそんな自分勝手な俺に対して、好意を向けられるのは……正直複雑だ。
嬉しいと思う気持ちと申し訳ないと慚愧に堪えぬ気持ちとが複雑に絡み合った感じなのだ。
だから俺はその気持ちに蓋をする。今は前に進むしかないのだ。
そうシリアスに考えていた時、不運が起こった。
「お兄…………さま?」
ちょうど食堂に妹のサリュが入ってくるところだった。
そして絶望的な表情を浮かべてこちらを凝視してくるサリュ。
ん?
冷静になって自分の姿を見ると、意識を失っている下着姿のサキを俺は抱きかかえていた。
ん〜、これって客観的に見ると、非常に拙いシチュエーションじゃね?
「ん、どうしたのかしら?」「何かあったのですか?」「どしたんー?」
そこに立て続けにフェリシア、リーゼ、メアリーが入ってきた。
「ちょっと、アルベルト。……流石にそれは拙いわよ」
「アルベルトさん、も、もしかしてサキさんを……」
「あちゃあ〜、これは言い訳できませんなぁ〜」
拡がる誤解の輪。
俺はこのピンチを脱出するべく、救世主を召喚する。
「カモン、クリスっ! ”覚醒”の魔法でサキを起こしてくれ!」
「ん〜? …………わ、わわ! どうしたの、サキさん!?」
厨房の奥から現れたクリスは、下着姿で意識を失っているサキを見て、大慌てだ。
「クリスっ! 光魔法の”覚醒”をサキに! はやーくっ!」
「う、うん! …………”覚醒”ッ!」
手早く”覚醒”の魔法をサキにかけるクリス。
よし、これで誤解が晴れるぜ。
俺はやれやれと安堵し、サキが覚醒するのを待つ。
「────ご主人様?」
「おお、サキ良かった! 気がついたか!」
俺の腕の中で目が覚めたサキ。まだ少しぼーっとしているようだが、問題ないだろう。
よし、これで誤解を解いてもらえるぞ!
「えへへ。ご主人様ぁ〜。最後のアレ、すっごくイタ気持ちよかったですよぉ〜?」
ピシッ!
周囲の空間が一気に固まったような気がした。
「さ、サキさん? ……な、何を言って……いるのですか?」
思わずダラダラと脂汗を流す俺。何かは分からないが、非常に拙い状況になっている気がしてならない。
「だから最後にご主人様からいただいたアレですよぉ〜? 打たれた瞬間、ビクンと弾けるような気持ちよさで…………思わず意識が持ってかれちゃいましたぁ。……ご主人様って本当にテクニシャンなんですね!」
邪気のない笑顔で邪気溢れる発言を繰り返すサキ。
そうか。考えてみればこの世界にハリセンなんて存在しないし、綺麗に意識を刈り取っているから苦痛も大して感じなかったのか。
はっ!
一際強い殺気を感じる方向に俺は目を向ける。
そこにはぷるぷると震えて俯いているサリュの姿が。
「お、おいサリュ……? 何か誤解しているみたいだが、魔法……魔法の話だから……な?」
自分でも説得力がないな、と頭の片隅の冷静な部分で思いながらも、なんとかサリュの誤解を解こうと試みる。
「お……」
「お?」
「お、お兄さまの…………バカぁっ!!!」
サリュが大声で俺に罵声を浴びせて、ダッシュで食堂から駆け出す。
「さ、サリュっ!?」
慌てて追ったが、凄い速度で駆け出したサリュはアッという間に自分の部屋に入ってしまった。
「お、おいサリュ〜! 誤解! 誤解だからぁ〜っ!」
俺は扉越しにサリュの誤解を解こうと頑張ったが、固く閉ざした扉は頑ななサリュの心のようにピクリとも反応しなかった。
暫く頑張って扉越しに説得を試みたものの全く成果を得られなかった俺は、トボトボとした重い足取りで食堂に戻ったのだった。
そして顔を上げて食堂に入ってみると、そこにはフェリシアによって餅のように頬を左右に引っ張られているサキの姿があった。
「あなたは! あなたは! あーなーたーはー!!」
「あうぅ〜!」
どうやらこちらの方は、俺のいない間に無事誤解が解かれたようだが、サリュの方は……。
「アルくん」
「クリス、どうした?」
真摯な表情で俺に近づいてくるクリス。
クリスはしばし瞑目し、目を開けると真っ直ぐな眼差しで俺と向き合い、願いを口に出す。
「ねぇアルくん。サリュちゃんの件…………私に任せてもらえないかな?」
「クリス……?」
クリスは決然と俺に言うのだった。
プロットなしで書いているのでページ配分がめちゃくちゃなのがちょっと気になるなぁ。




