閑話 私のお兄さまは世界一素敵です(2)
「坊っちゃま! ようお戻りになられました!」
30分後。屋敷に到着した俺達を、執事長のポチョムキンを筆頭に、家の執事とメイド達がズラリと並んで出迎えてくれた。
「……あ〜、アルくんって普段あまり貴族っぽくないけど、やっぱり本物の貴族様だったんだねぇ〜」
「……うぅ、やはり貴族様ですぅ。うちも結構大きな商店ですが、やはり規模が違いますですぅ」
クリスやリーゼが、屋敷の広さと使用人の多さに圧倒されている。
メアリーも苦笑しているし、平然としているのはサキとフェリシアくらいだな。
「うむ、くるしゅうない。みな元気じゃったかのう〜!」
あ、そういえばこいつもいたか。
「ウィンディ、静かにしとけ」
すぐさま駆け出して、屋敷に突入しそうになっていたウィンディの襟首を、むんずと掴んで静止させる。
まさに躾のなっていない子供そのものだった。
「んぐっ。……ええい、お前様さっさと離すのじゃ! 早く部屋に行かねば、奴が! 奴が来てしまうわい!」
「──誰が来てしまうのですかねぇ、ウィンディ様ぁ〜」
「はうぅッ!」
驚愕に目を見開いたウィンディが、ギギギと錆びついたように首を動かし、声の方を向く。
そこには好色な視線をウィンディに向けている、黒髪ぱっつんがトレードマークの、割と美人な眼鏡メイドが立っていた。
「よぉ、ベティ。ウィンディを頼んだぞ」
「はいぃ、おぼっちゃま! ウィンディ様のお世話はわたくしの生きがいでございます。大きな泥舟に乗った気分でお任せくださいませぇ!」
そう言うとベティは、その豊満な肢体をウィンディに押し付けながら、むんずと後ろから抱え込み、そそくさとウィンディをどこかに連れて行ってしまった。
「い、イヤじゃ! ワシはもう、お主と一緒にお風呂に入りとうない!」
「ダメですよぉ〜ウィンディ様。さぁ、お洋服脱ぎ脱ぎしてお姉さんと一緒にお風呂入りましょうねぇ〜。ぐふ、ぐふ、ぐふふ〜」
遠くの方からよく通る声でウィンディとメイドとの掛け合いが聞こえてくる。
ウィンディはここでは人間のフリをしているので、精霊の力を使って逃げるのが難しいらしい。
もっとも、あの変態が相手だと精霊力を使っても逃げきれないような気もするが、まぁいいや。
「ご主人様ぁ〜。私疲れちゃいましたぁ〜」
ウィンディが拉致されるのを生暖かい眼差しで見送った後、サキはとってつけたかのようにそう言うと、俺にしなだれかかり、俺の左腕に自分の右腕を無理やり絡めてきた。
「お、おい!」
サキの隠しきれないグラマラスな胸が俺の肘に当たり、ちょっと口角が上がりそうになるのを鋼の精神力で耐える。
そしてあまり行儀が良くない態度だとサキに注意しようと思った直後、場を急冷させるに足る冷たい声が俺達へと浴びせられた。
「……お兄さま。帰ってきて早々、見目麗しい多くの女性を侍らせているとは、相変わらずの良い御身分ですね。
てっきりお兄さまは魔術の勉強をしに学園に行っていたとばかり思っておりましたが、実際のところは新しい女性を見繕うために行っているのではありませんか?」
「……あ〜、久しぶりだなサリュ。元気でやっていたか?」
俺は流れる冷汗を無視し、なるべく快活になるよう心がけて、冷たい眼差しで俺を見下ろしている我が妹であるサリュ──サリュート・ディ・サルトに向けて笑顔で話しかけた。
サリュは俺の2つほど年下の女の子であり、もう子供を産めなくなってしまった俺の実母に代わって、第二婦人の座に収まった女性と親父との間に生まれた、いわゆる俺の異母妹だった。
長く美しい金髪が特徴的なその容姿は、まさに可憐な天使そのもの。
一度サリュが笑顔を覗かせれば、それは大輪のひまわりの如くであり、何度か親父達に対してそのとびきり美しい笑顔を向けているのを見たことがあったのだが、未だかつて一度も俺に向けてその笑顔を見せたことがなかった。
「……ええ、お陰さまで。お兄さまと顔を会わせなくて済んだ分、私の心の平安が満たされておりましたので……ね」
ツンドラもかくやと言わんばかりの氷の美貌に冷笑を浮かべ、皮肉げに答えるサリュ。
それだけで泣きそうになってしまう俺。サリュよ、なぜお前は血を分けたお兄ちゃんにそんなに冷たい笑顔を向けられるのか。
お兄ちゃんマジ辛い。
「……お兄さま、いつまでも玄関に突っ立っていてもしょうがないでしょう? 中に入ったらいかがですか。他の方々も荷解きが必要でしょうしね」
「……あ、ああ。そうするよサリュ」
俺はめげずに笑顔をサリュに向ける。
「……っ。私は先に部屋へと戻らさせていただきます。お食事の時間に……また」
サリュは俺の返事も聞かずに、軽く会釈するとそそくさと屋敷の奥に引っ込んでしまった。
「あの〜、アルくん。……ひょっとして、妹さんに嫌われているのかな?」
クリスが恐る恐る聞いてくる。
「……まぁ、見ての通りだ。あまり家に居着かなかったし、放蕩三昧の兄に、やはり思うところがあるんだろうなぁ」
俺は苦笑してクリスに答えた。
そう。俺の妹は俺のことが大嫌いなツンドラお嬢さまだったのだ。
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「うきゃぁぁぁぁ! 失敗した失敗した失敗したぁぁぁッ!!」
頭を抱えて、部屋の床でゴロゴロと転がる私。
またやってしまった。
お兄さまの周りにたくさんの女どもが飛び交っているのを見てしまった私は、怒りの温度が一瞬で沸点に到達してしまい、心とは裏腹に冷たい言葉をお兄さまに浴びせてしまった。
本当は如何にお兄さまが帰ってきてくれて嬉しかったのか、お兄さまがいなくてどれだけ私が寂しかったのか、もういつでもお兄さまをベッド中で迎えられる年齢になったのかを、直接伝えたかったのにもかかわらず、何もかもが上手くいかなかった。
「──これも全て、あの憎っくき羽虫どもが悪いのよ……!」
お兄さまにまとわりつく羽虫ども。そしてその中でも最低最悪のアイツ──サキ。
あのいやらしい淫らな肢体を使って、私の大事なお兄さまを誑す魔女。
あの美貌とグラマラスな肢体…………うらや、もとい不埒で下賤な女め。
「忌々しい羽虫どもめ。……でも私だっていつまでも泣き寝入りするような弱い女ではないわ」
そう自分に発破をかけて、気合を入れ直す。
先制のジャブは相手に打たれてしまったが、まだまだお兄さまはお屋敷に滞在するのだもの。アピールの機会はいくらだってあるわ。
私は姿見に向けて不敵な笑みを浮かべると、足どりも軽く、食堂に向かうのだった。




