お兄ちゃんが迷惑な件。
葬儀から帰ると、兄が台所に立っていた。
「お帰りー。もうすぐ夕飯出来るよー。」
漂う香りは、私の好物。煮込み野菜のスープと、叔母さんお手製チーズの溶ける香り。
「お兄ちゃん……」
「今日は疲れただろ?ほら、早く手を洗ってこい。ご飯にしよう」
兄はいつも私を気遣ってくれる。落ち込んでいれば励ましてくれるし、疲れていれば労ってくれる。優しくて、料理が出来て、ありがたい兄だ。
そんな兄だが、不満もある。
妹が可愛くて仕方がない、と溢れる愛情を押し付けてくる辺りが、最高に迷惑。
そりゃね?年の離れた兄妹で、感覚としては妹というより娘なのかもしれないよ?両親だって早くに亡くなったし?ずっと二人で生きてきたわけだから?私だって兄は嫌いじゃないのよ?家族だし、尊敬できるところもあるし?
「今日のスープは、何時もよりうまいぞ!ほら、早く食え。」
ニコニコと微笑む兄と向かい合って、食卓につく。はくりとスープを口に含めば、野菜の甘味が口に広がる。
「ベーコンを入れたんだ!昨日トムじいさんがお裾分けしてくれたろ?やっぱりじいさんの作るベーコンはうまいよなー」
「……そうだね…………ところで、お兄ちゃん?」
「ん?」
匙を置いて、私は語りかける。
「墓地に帰って?」
今日の葬儀、主役はわが兄だったのです。
「いやいやいやいや!待て待て!なんで?!どうしてそんなことを言う?!酷くねぇ?!!」
「酷くない。帰れ。」
昼過ぎに埋めた筈の兄が台所に立つ姿に、思わず沸き立った喜びと驚愕による混乱は、既になりを潜めている。
「ヤだね!俺が帰る場所はこの家だけだ!何?疲れすぎて怒ってるのか?」
「帰れ。むしろ還れアンデット。私はバカ兄の喪主をつとめて早く一息つきたいの。」
「おまっ!たった一人の兄を化け物呼ばわり?!そんな娘に育てた覚えは無いぞ?!」
「育ったから。むしろまっとうだから。化けて出てるじゃん。現実を見て?バカ兄。ねぇ?お兄ちゃんは死んだの。分かるでしょ?」
そう。兄は死んだのだ。森で見つけた怪しい箱を不用意に持ち帰り、開けたせいで不治の病の呪いにかかり、5日と保たずに呆気なく。
あの箱、アンデットの呪いまでかかっていたのかしら。ど畜生。
「そんなこと言うなよぅ。お前が心配なんだよぅ。お前を一人にするなんて、死んでも死にきれなかったんだよぅ。」
テーブルに突っ伏してごねる兄。生前と変わらなすぎる姿に眩暈がする。
「お兄ちゃん?私は大丈夫だから。本当、気にしないでいいから死にきって?むしろ死にきってくれないのが迷惑だから。」
「酷いっ!お前なんか、兄ちゃんが守ってやらなかったら、あっという間に悪い虫にたかられるんだぞ!分かってるのか?」
跳ねるように体を起こし、ずびしと私を指す兄に、私の中で何かが切れるような音がした。多分、堪忍袋の何かそれ的なモノが。
「虫除け効果が強すぎたせいで、生まれてこのかた浮いた話のひとつもねーわっ!」
兄の溺愛っぷりは止まる事を知らず、縁談どころか、片恋すらをも軒並み潰し、お兄ちゃんの面目躍如と隣村まで有名だったと知ったのは、20歳と263日目の今日この日、近隣のおいちゃん達の思出話によってだ。幼なじみ達はとうに結婚して、なんなら子供だっているというのに。
投げつけたマグカップが、こーんと良い音を立てて兄の鼻面へヒットした。しかしアンデットに効果は無い。
「なんだよ!良いことじゃん!」
「いいわけあるかーっ!そんなんだからお兄ちゃんだって独り身だったんじゃん!お嫁さん貰えなかったんじゃん!」
「独りじゃねぇし!お前居るじゃん!いいじゃん兄妹で!」
「ふざけるのは存在だけにしろクソ兄貴っ!」
「存在だってふざけてねーわっ!妹想いの良いお兄ちゃんだろうが!」
「クソ重いっての!そんなんだからモテなかったのよっ!」
「なっ!てめっ、小娘!モテたわ!引く程モテるわ!」
「寝言は寝て言えっ!アンデットでシスコンで虚言癖とかマジで無いから!」
「何だとッ!?」
「てゆーか妹の職業考えろーっ!!!!!!」
心からの叫びとともに放ったのは、常に懐に忍ばせている小瓶である。先程のマグカップよろしく、兄の鼻面へヒットし、蓋が外れて中身が漏れる。
「いっっっってえええええええええええええええええっ!」
寺院で酌んできたありがたい聖水を浴びて、兄が七転八倒しています。しかし罪悪感はこれっぽっちもありません。
だって、私の仕事は祓い屋ですから。
「なぁぁにしやがるっ!いってぇだろが!マジでしみるしみるっ!痛いっ!溶けるじゃねぇかコレぇっ!!」
「アンデットだからでしょ!マジで迷惑!営業妨害!還れ!!」
非情?いやいや。たった一人の家族が帰ってきた!なんてね、思えないのがこの職業。アンデットや死体、腐敗、呪い、そんなことについて学び、修行してたら、戻ってくることのデメリットをがっつり認識してますからね!
だいたい、やっと祓い屋として認められはじめたのに、家族がアンデットに成り果てたなどと知れたら、信用問題です。イメージダウンは否めない。つーか私の青春帰せコノヤロウ。初恋のロイが残念な目で私を見ていたのは、もしかしなくても貴様のせいか?
「容赦ねーなコノヤロウ!」
「当然っ!」
聖水で焼けただれた皮膚から煙を上げています。うーん。決め手に欠けたか。兄はそこそこのランクのアンデットになったようです。水瓶一杯くらいないとダメかしら………
かくて、兄妹の争いは続きに続き、朝となく昼となく夜となく続いた。
なんと数ヶ月も。
「……………ふぅ。やっと、終わったね…………お兄ちゃん。」
元兄であった砂が、瓶の中で朝日に煌めく。
聖水、聖歌、呪符、聖魔法、色々試し、やっと決め手となったのは、なんと食べ物であった。
年末の買い出しで見かけた、極東の民族が好むという白くて硬い食べ物は、食べるときに少し注意がいるものだった。水分で柔らかくなり、粘度が生じる、珍しい食べ物は、珍しい物好きの兄を見事に釣った。
ええ。
私はスープに入れたモチを喉に詰まらせ慌てる兄を捕まえて、朝日たっぷり東向の窓辺へ放り出したのです。呼吸の必要が無いアンデットとはいえ、初体験に困惑はする様です。
それにしても………しつこかったな………お兄ちゃん…………
しょっぱい気持ちを振り切って、砂の入った瓶を手に私は立ち上がる。
砂になったけど、水でふやかしたら戻るかもしれない。
砂になったけど、封印が効かないかもしれない。
砂になったけど、あの兄だ。
まずはお師匠様に相談に行こう!休んでいる暇はない!
彼女は知らない。
毎日響く兄妹喧嘩の声は、近隣に響き渡っていたことを。
彼女は知らない。
噂が広がっていることを。
「聞いたかい?あのシスコン、化けて出たらしいよ」
「大人しそうに見えたが、妹に祓いわれたって」
「情に流されないとは、すごい女だな」
噂は尾が付き、鰭がつき、女傑の話として隣村へ。彼女が気付いた頃には町へと広がっていた。噂と反比例するように、彼女に声をかける男は減った。
「あいつを口説くと、呪われるらしいぜ?」
「いや、近づくだけでもダメだって聞いたぜ?」
「死んだ兄貴の呪いだろ?」
「振った男の生き霊じゃなかったか?」
死してなお、祓われてなお、お兄ちゃん効果は薄れない。
彼女に春は、まだ来ない。
「クソ兄貴ーっ!!!!!!」
お兄ちゃん、ただでは負けない。




