526話 嘘も秘密も飲み干して
アルの部屋は初めて入ったけど。
なんというか……大人っぽい部屋だった。
シックというか、モダンというか。
ブルーグレー……というには若干緑? みたいな。そういう色合いのものが多くて、たまにある深緑がおしゃれな感じ。
当然のようにある黄金の刺繍や調度品が美しさを引き立てているのに、部屋の主が一番の宝と言わんばかりに目を惹く。
ああそう、なんていうか。
森の奥で孔雀を見たら。
たぶん、今みたいな感想になる。
「何か面白いものでもありましたか?」
その部屋の主は、向かいのソファーに腰かけて微笑んだ。
「ううん。ただ、あなたがいることで完成する絵画みたいなお部屋だなと思っただけ」
「面白い感想ですね」
「部屋が落ち着いているから、華やかな黄金が映えるのね。でも意外だったな」
「意外ですか?」
「そう。なんというか……結構こだわりを感じたの。いつもの部屋でそんなこと思ったことないのに」
執務室には入ったことがある。
お城~って感じで上品だし似合う。
でも今みたいな感想はわかなかった。
なんだろう。アルは趣味がいいとは思うけど。
ものすごく本人のこだわりがあるというより、求められるものに合わせてる印象だった——ここに来るまでは。
「アルってちゃんと好きなものあったんだ……。なんなら自室なんて、モノトーンとかそれに近い感じかと思ってた」
「酷いですね? ありますよ、好きなもの。それにこの部屋は仕事と切り離すようにしているんです」
「そうなんだ! よかった! ちゃんと休んでるんだ‼」
「何故そんなに喜ばれているんでしょう……」
微妙そうな顔をされてるけど、私は心底嬉しかったの! それはアルが仕事人間みたいな気がしていたからなんだけど。
でもあんまり聞けないし!
言えないじゃない、そんなこと!
頑張りに水もさせないし外野だし!
だからちゃんと切り替えはするタイプで安心したんだよね。失った健康はふつう戻りませんからね! 健康第一だよ~!
「よかったここに珈琲がなくて。似合いすぎるけどアルの仕事人間に拍車がかかりそうだし」
「こう……?」
「珈琲だよ。フィンセントは紅茶文化だから知らないか。これだよ」
そう言ってカップソーサーごと2つ出してあげる——1つは私用!
銘柄は不明です。
だって詳しくないから!
多分喫茶店のブレンドコーヒー。
ティーカップとは違う、直線的な高さのあるカップ。広がりのない口でも焙煎された苦みを含むその強い香りは、部屋に漂う。
「まぁ私はコーヒーミルクしか飲めないから、お砂糖とミルクを入れちゃうけどね。苦かったら変えてあげるね」
つんっと指先でカップをつつけば、その色は白く変わっていく。いや~我ながらマジシャンの気分だなぁ。
そんなおこちゃま舌の私の目の前で、彼は優雅にカップへ口付けた。
「……なるほど。目の覚めるような苦みと香ばしさが新鮮ですね」
「あ、ブラックで大丈夫なんだ。大人だね」
「ところで、これはどちらで?」
途端、一瞬の沈黙。
考える私。泳ぐ視線に動かぬ頭。
えー……何も考えてませんでした!
「そう! 多分昔に、貰い物かなにかで飲んだんだよね! 苦かったから覚えてたんだ~‼」
「そうですか。私でさえ知らないのに世の中は広いですね」
「うんうんすごいね!」
「これについては東の方の話ではないんですね」
「……そうだね」
いやだって珈琲は日本原産じゃないしな……。
ひよった私は嘘がつけませんでした。あぁ気まずい。なのになぜ殿下は微笑んで召し上がる余裕がおありなのでしょう。こわい。
「君に聞きたいことはまだありまして」
「え? な、なんでしょうか……」
「そう身構えないでください。本当に簡単なことです。てっきり君から話してくるかと思ったのですが」
「え、ほんとに何?」
なんかあったけな……と記憶をさかのぼっても出てこない。私の特技は記憶喪失です。
本気で考える人ポーズに落ち着いてしまった私に、カップを丁寧な所作で置いたアルは優しく尋ねる。
「まぁ目まぐるしい1日でしたから仕方ありませんが……昨日『あとで2人ではなしたいことがある』と言ったでしょう?」
「あ」
言いましたね。
そして言えなくなりましたね。
……さぁどうしようかな!
「え~~その件なんですけど。実はくだらないことだったかも! と思って……」
「ティア」
「いやぁ早とちりしちゃって! もうしわけなかったというか? うん、それで……」
「ティア。こっちを見てください」
「……。」
ご主人様の声に圧を感じます。
静かで有無を言わせぬ圧を。
これがわんこの気持ちか……。
抵抗をやめた私は、そろ~っと視線を上にあげる。美しく鋭いイエローダイヤの瞳は、私を逃がす気がないらしい。
「嘘を吐いていますね?」
「…………。」
「そんなに言えないことですか? 私では信用が足りないでしょうか?」
哀愁漂う笑みが心をえぐる。う……! でもこれは多分演技! 知ってる! 知ってるけど申し訳なさもある……!
そしてそれとは別で嫌に絵になるなという邪な気持ちも抱えつつ。ちょっとため息をついた。変に隠しすぎない方がいいか……。
首を振って答えを告げる。
「……言えない。約束しちゃったから」
「約束ですか?」
「それが外に出る条件だったから。これをのんでなければ、まだ私は帰って来てないかも」
アルがどの程度情報を知っているのかは知らない。
だけどもう、耳には入ってるだろう。犯人の足取りが掴めないことや、スライムの話なども。セスやシーナはそれを隠さないだろうから。
そして聡いこの人は気づく。
私のいる状態にも。
だから言いたくなかったんだけど。
「……ティア、君は」
美しい顔は怒ると怖い。
ガラスが割れると鋭いように。
だけど目が離せない、吸引力もある。
「何に巻き込まれてるんですか?」
……さて、なんと嘘をつこうか。
でも応えはきまってるのだ。
あなたにだけは、絶対に言えない。
だから私は瞬きをして、その瞳を真正面から受け止めつつ笑ってみせる。
「怖いよ、かーお。正直私も何が何やらよくわからないんだよね。女神様に頼まれてるのは、本当にリリちゃんを守ることだけなんだってば」
嘘じゃない嘘。
全部本当の嘘。
論点のすり替えと無知のフリ。
実際全貌はわからない――私が恐れているから。きっと見ようと思えば、今の私なら未来が見られる。……それを恐れているから。
だって見たら、その通りに動かなきゃいけない気がして。
それだけ言って、お行儀悪く一気にコーヒーミルクを流しこむ。……飲み物が切れたら、話が切れるタイミングだから。
「心配させてごめんね。アルに言わなきゃってことが出てきたら、絶対話すって約束するから!」
満面の笑みで、柔らかい声で。
いつもやってきた方法で。
私の中に踏み込むのを止める。
私が大事なものとあなたの大事なものは、全部が一緒ではないから。わかり合えない。わからなくていい。それでも表面は成り立つから。
「ほら、指切りげんまんしよっ!」
「は? なんですかそれは……」
「小指を出して! ほらほら!」
席から立って、彼の隣へ押しかける。そして強引に小指を立てさせて、困惑してるアルを押し流して約束を結ばせる。
「ゆーびきーりげんまん、うっそついたらはーりせんぼん、のーます」
私はいつか、針を飲むかもしれないなと思いながら。
「ゆーびきった!」
指切りをした。
「……なんですか、その物騒なかけ声は」
困り顔の彼が、結局なんだかんだ流されて許してくれる彼が結構好きだなと思いながら。
「東の方の国のおまじない、かな!」
私は笑顔で元気にそう答えた。




