50話 違う、そうじゃない
水場に到着し繋いでいた手を離すと、王子はポケットからハンカチを取り出した。
そしてそれをーー。
「おおお、王子⁉︎ ハンカチ! ハンカチ濡れてます‼︎」
「濡らしているのだから、当たり前でしょう」
そのままジャブジャブと水に付け、ハンカチを絞る。
ああっ!
綺麗に畳まれていたハンカチが、ぐちゃぐちゃに!
「どうしたんです⁉︎ ハンカチ汚れてたんですか⁉︎」
「何故そうなるんですかね。汚れてたとしても、ここで君を待たせて洗ったりはしないと思うんですけどね。はい、じっとしててくださいね?」
そう言ってハンカチを私の前髪まで持ってきて……ふきふき。うん⁉︎
「え……え⁉︎ ハンカチ! ハンカチが汚れちゃう‼︎」
「もう濡れてますから、関係ありませんよ」
「で、でも」
「言うことを聞けない人の、言うことは聞きません」
そう言って、拭き続ける。
待って! 泥汚れは落ちにくいの!
そんな真っ白いハンカチで拭くものではないの‼︎
ハンカチに染み込んじゃう‼︎
あぁ! 汚れが! 汚れが‼︎
でも言うこと聞けない人は言う権利がないらしいです……。そもそも王子ですしね……せめて無駄吠えしないように黙りますね……。
「私は君に、遠慮しすぎていたようです」
「え? 遠慮……ですか?」
黙ったら黙ったで気まずくなったのか、ぽつぽつと話し始める。
「君は私が言ったことをすぐ忘れてしまいますーー王子呼びはやめるよう、言いましたよね」
「あっ」
ああああ! また!
また駄犬の烙印があぁぁああ!
……いやもう押されてるから、増えたってこと、かな……はは……。
ねぇ、もう巻き返し難しくない?
「そんなに覚えにくいなら、短くしましょう」
「み、短く?」
戸惑う私にお構いなしな様子で、淡々と王子は続ける。
「アル、と呼べばいいです。様も要りません。その代わり、私も短く呼びますしもう遠慮しません」
ほわ?
それは、あだ名で呼んでいいよってことですか?
こちらの目を見て怒っている表情とは裏腹に、髪やおでこを拭いてくれる手は優しい。
これは仲良くなれ……いや仲良くなれたんじゃない。呆れられてるんだよね。うん。
「あ……アル?」
「……もう一回。君はすぐ忘れちゃいますから」
「アル……」
「……いいでしょう。今度からはそれで、呼んでください。忘れないでくださいね。約束しましたからね」
そう言うと、サッと水場の方に向き直ってまた、ジャブジャブとハンカチを洗い始めた。
は、早……ってねぇ、それより今、顔赤くなかった? ……はっ‼︎
「アル! 今すぐそのマント脱いでください‼︎ そして水! 水飲んで‼︎」
「えっなんですか突然」
驚いてこっちを見る王子……アルの頬に触れる、ていうか両手でがっしり掴む。
「⁉︎」
「アル熱中症なんじゃない⁉︎ こんなマント着て走ってくるから……! いやそうさせたのは多分私のせいなんだろうけど! 水分と塩分! あとちょっと安静にしないと‼︎」
頬やおでこ、首を触って温度を確かめているうちに、みるみる顔が赤くなる。じとりと汗が滲んでくる。
あーもう! なんで最初に気付かなかったの私!
子供は熱中症かかりやすいのに‼︎
小さな体では体内水分が、大人より少ないから熱中症にすぐなるの!
「仕方ない! こっち来て‼︎」
「わ、私は大丈夫で……」
「いいから!」
抵抗しようとしているけど、私は慌ててさっきの芝生のほうに引っ張っていく。
「座って! 立ってるのよくないから‼︎」
「……。」
私の勢いに圧倒されたのか、素直に座る。
「まず水分! お水とってくる! あ、この器じゃ嫌か、新しくーー」
「それでいいです。……どっちが君の使ってた方ですか?」
「こ、こっち……」
溶けかかったコップには、水で薄まったオレンジジュースが入っている。それを手に取ると、アルはそのほぼ水のジュースを飲んだ。
「え! それじゃなくても新しい水入れてきたよ⁉︎」
私が飲んだわけじゃないけど、思わず口の中にあの、薄まった水割りジュースの味が広がる。
甘くないし、美味しくないアレ。
「喉が渇いていたから、別にいいんです。それに、これなら毒味の必要がない」
そ、そっか毒味……王族は大変だよね。
でも思った。
それ、私が嘘付いてたらどうするの?
私が飲んだ方じゃない方には、毒が入ってたりして、私は完全犯罪を行っていたなら。知らないアルはそれで二次被害者にーー。
「君も座ったらどうですか?」
脳内サスペンス劇場を開幕していた私を、アルが呼び戻した。はっとしてすぐに閉幕させ、隣に座る。
うん。ちょっと用心なしかなと思うけど。
そもそも私計画犯罪できないよね。
王子がここに来るの知らなかったしね。
さすがアル頭いいね!
「あの、美味しくなかったでしょ?」
「冷たくて、美味しかったですよ」
困ったように問うけど、目を瞑って堂々と答えられた。
「確かに喉乾いてる時には冷たいのがーーって、あ! ダメじゃん! 体の吸収率考えたら常温の水がいいのに!」
話してて、ハッと気付いた。
もう症状が出ているなら、それを気にするべきだった!
「……君はまるで医者のように知識があるのに、何故すぐ忘れてしまうんでしょうね……」
「水は新しく持ってくるね! あ、でも氷だと冷たくなっちゃう……うーん、竹? 竹筒とかあれば……」
「そしてすぐ話を聞かなくなる……ティア」
「はい⁉︎ 呼びました?」
慌てていた私は、そこではたと思った。
あれ、今、クリスティア呼びじゃなかった?
「グラスはこれで大丈夫です。冷たい方が飲みやすいですし」
「そ、そうですか……まぁ、意識がはっきりしているなら、飲みやすい方がいいですかね。お水足してきます! あ、ケバブ! ケバブ食べて下さい‼︎」
水分と一緒に塩分ミネラルも不足するからね!
袋をガサゴソやって、新しいケバブを取り出すと、アルの手に握らせた。
「これは?」
「ケバブです! 食べたことありませんか? あぁ、あるわけないか庶民の食べ物だし」
不思議そうに見つめるその様子に、勘付いた。
そして屋台の食べ物だし……ってあ、そうだ!
毒味しなきゃだ!
思い出したけれどもう渡しているので、アルの手の上から自分の手を重ねて、私の口元に運ぶ。
がぶり。もぐもぐ。
「……うん! 美味しいです! 毒大丈夫ですよ‼︎ というわけで水とってきます!」
驚きで固まっているアルをその場に置いて、私は水を汲むべくコップをもって水場に走った。




