491話 全力の本心
今の私は冷静だ。冷静だからこそ余計にいけない。ノリとテンションがあればいけてしまうことも、冷静だと色々考えてしまう……そもそも私からハグしたことあったっけ⁉
罪悪感と困惑が頭の中で輪になって踊る。
なんかいろいろダメじゃないかな⁉
アルもいやじゃない⁉
たしかに親しい人とのハグはセロトニンが出るとかは知ってるけど……親しい人限定だよ⁉ 戸惑いと助けを求めてアルの方を見ると、不思議そうな顔をしていた。
「おや? してくれないんですか?」
「え……と」
「傷心を癒やしてはくれないのですか?」
「うぐ……!」
一瞬のたくらむ悪い顔を見逃したわけじゃない。でもしょぼんとした顔を向けられると弱い。おまけにどうぞと言わんばかりに手を広げられると、遊ばれてるのはわかっていても行かなきゃいけない気になってくる。
「——もー! どうにかなれー!」
「おっと」
なさけない掛け声で自分を鼓舞して、首元めがけてぎゅっと腕を回す。
あまり意識したくないんだけど、自分から手をまわしてしまうと、硬い背中や大きな肩幅があー男の人なんだなとか考えてしまう。密着したところから心音が伝わってしまわないか、正直恥ずかしい。
さっきまでリリちゃんがにこにこして離れているところを見るに、誘導された気がしないでもない。でも、飛びこむのを選んだのは私だ。
「はは、今回は正真正銘、ティアからのハグでいいですよね? 君はいつも切羽詰まった時しかしてくれませんが」
「そんなことはな……ある、かも?」
「ありますよ。大体私を置いていくときか飛び移るときか……」
「は、はは……どうもすみません」
「私としても、こうして素直に喜べる時だとありがたいですね」
こっちを見ている気配はするけど、私は下を向いたまま答える。ハグ自体はいいらしい。いいんだ? そっか。恥ずかしいのは私だけか……健全だなぁ。
私と違ってアルはただ普通に嬉しいだけみたいだ。いつの間にかやさしく背中に回された手が温かい。たまに思うけれど、アルは安心感に飢えているのかもしれない。
これを壊したくないな。
そう思うと、頭の中が静かになる。
一番大事なのは、この気持ち。
深呼吸を1つして、そっと口を開く。
「……アル」
「はい?」
「その……あのね」
本気の言葉は、いつも伝えるのがおもはゆい。でも言わないと、伝わらないと見えなくなってしまう、幻のようなものだから。
「アルが今、ここにいてくれて私は嬉しいし、無事でよかったって心底思ってる」
だから、あなたに伝えておきたい。
不器用でもちゃんと伝わってほしい。
そう思うから、ためらいつつも顔を上げる。
「過去は変えてあげられないし、私に傷を癒す力はないかもしれないけど——でも」
体を起こして、目を見つめて言葉を紡ぐ。
今だけ覚えておいてほしい、私の本心を。
いつか雪のように消えても、何かが残ればいい。
「私、アルの笑顔が好きなの。できればずっと幸せでいてほしい。だからこの先、あなたが悲しい思いをしなくて済むように……私頑張るから!」
もし近くにいられなくなったとしても。
私があなたのことが好きなのは変わらないから。
その不安を払うくらいは、許されるよね?
あっけにとられて瞬きする様子に、ニコッと笑って一言付け足す。
「なんたって忠犬目指してますから! ふふん、最強の私はお役に立ちますよ、殿下?」
「なんですかその言い方は……」
「いやぁ仕える忠臣として誠意見せとこうかなって」
「今のじゃまるで番犬でしたよ」
「まーでも、間違いじゃないでしょ? 最終兵器としては結構使える方だと思うよ……焦らなければ」
尻尾を振ってあげたのに、アルの顔はだんだんコマ送りのアニメーションみたいに眉が寄って険しくなっていく。ちょっと見てて面白いくらいだ。
「その前に、君は私の婚約者では?」
「えー? まぁ、う~ん……」
「愛の告白だと思ったのに一瞬にして振られた私のこの気持ち、わかりますか?」
「えっ⁉ ちがっ、ちがうからねっ⁉ そんな恥ずかしいことできな……あぁ! だめだ捕まってる! 引きはがせない‼ 放してよアル!!!!」
「ははは」
「ちょっとぉ⁉ 笑ってないで放して……ぐぬぬぬ!」
離れようと肩においた手に力をこめてつっぱったり体をねじってみるけれど、面白がってかアルが余計に力を入れている。もぉー!
「お姉様、それじゃまるで脱走を試みる子犬ですの……」
「実際脱走を試みてるんだよっ! 見てないで助けて‼」
「でもお姉様が悪いと思いますわ……私、この件に関しましてはお兄様の味方ですの」
「う、うらぎりものー! ……いや、兄妹なんだから当然か?」
「何故そこは冷静なんですか……」
アルはこのやり取りに脱力したのか、腕の力が抜けている。チャンス! と思って体をねじり立ち上が……ったと思った隙から、伸びてきた腕に引っぱられてアルの膝の上に結構な勢いで尻もちをついた。
「わぁっ! あっごめん痛かった⁉ 大丈夫⁉」
「ふ……っふふ、大丈夫です」
「? 楽しそうだけど今度はなんで笑ってるの……?」
ふせた顔と小刻みに揺れる肩が、あきらかにツボにはまった人のそれだ。だから訝しげにのぞき込んだら、いまだツボから抜け出せてない兄の代わりに妹が教えてくれた。
「お気になさらないでくださいなお姉様……あまりに狙った通り見事にお姉様を座らせられたのに、お姉様自身が気付かずお兄様を心配しているからだと思いますけれど」
「⁉ 私の間抜けで変なツボに入っちゃったってこと⁉」
「まぁ……機械仕掛けのような見事さでしたので」
「間抜けは否定してもらえないんだ⁉」
「でもそういうところがお姉様の愛らしいところですのよ!」
「フォローになってない‼ 私心配しただけで悪いこと何もしてないのにこんなにどうして……ほらもう! アルなんて頭の力も入らなくなっちゃった!」
肩にのった頭から振動が伝わってくる。いや笑いすぎでしょ……。じとーっと視線をその頭に突き刺してみるけれど伝わりそうにないので、軽い抵抗とお仕置きとして頭をポンポンたたいておいた。
それでやっと落ち着きはじめたらしく、ことんと傾いた頭。その髪の隙間からへにょへにょに下がった眉が見えて、きゅっと細められたきらっきらな瞳と目が合った。
「ふふ、すみません……急に愛おしくなってしまいまして」
「あまりにも嘘すぎる……泣くほど笑うことないよ。普通におかしかったって言ってほしい……」
「お姉様。お兄様は愛おしさが天元突破してクラッシュしてしまっただけで、嘘ではないですのよ?」
「それはそれで困るし急すぎるよ……」
ただ急にツボっておかしくなっちゃっただけなのを、無理に隠さなくてもいいんだけどね。私が一応傷つかないようにしようとしてくれてるんだろうけど、王族って人をフォローすることがあんまりないの? 下手すぎじゃない?
「ふふ、不満そうですね?」
「そうですよ。だから放してただいても?」
「君が勝手にどこかにいかないのであれば多少我慢しますが……」
「ご主人様、私にも一応、自由意志があるのですが」
「私の子犬は本当につれないですね。人の気も知らないで……いつも気を揉んでいるんですよ?」
さて人の気も知らないのはどっちなんでしょうか。
私の鋼の意志に感謝してほしい。
その気になれば好き勝手できるんだよ? しないけど!
「ティア、君がいたら私は幸せでいられますよ」
「あれだけ笑えばそうかもね」
「だから離れないでくださいね」
「はいはい。私に価値があるうちはね」
「すねても照れても可愛いだけですよ?」
「もうどうしろっていうのこのドS魔王様はっ⁉」
結局面白がられて帰るまで開放してもらえず、長い間お人形のように膝に抱えられているハメになった——もうっ! だれかこれに耐えた私のこと褒めてよ‼




