489話 出会いは知恵の扉の鍵
ヴィスはふてくされて「もういい」と言いましたが……私から離れていくわけでもなく。顔を背けて、その場でじっとうずくまっていました。
「あなたはさがしにきてほしいのに、どうしてかくれたのですか?」
私も年の近い他者との交流が少なかったせいでしょうか。すぐに離れてしまえば良かったのに、気まぐれに小さな背中に質問を投げかけてしまいました。まぁ、今となっては良いきっかけでしたが。
振り向いたその顔はまだ険しいままでしたけれど、ヴィスもあれで大概……いえ。あの時は子どもでしたから、寂しかったんでしょう。よく喋りました。
「あなたじゃなくて、ヴィンセント・ローザさまだぞ」
「ではローザこうしゃくしそく」
「ぎょーぎょーしいな」
「ただしいとおもいますが」
「ただしいのと、きもちわるいのはべつだろ」
「よくわかりませんね……」
「おまえ、見ためはこどもなのに、おとなみたいなこというんだな」
「そうでしょうか。まだたりないところがたくさんありますが……」
「精霊ってむずかしいことかんがえるんだな。きもちわる~」
「……どういういみでしょう?」
この頃の彼はまだ子供で、言いたいことがよくわからないことが多かった気がします。まぁだからこそうまくいかない面もあったのではないかと思いますが……けれど、賢さもうかがえました。
きちんと尋ねれば、理由も教えてくれましたからね。ティアはなんとなく、わかるのでは?
「こどもなのにこどもっぽくないと、きみわるがられるだろ」
「……ふむ? したがえるうえでは、わるいことではないはずですが」
「いーやちがうね。おとなはこどもにあんしんしたいんだ。したのそんざいだって」
「そんなことは」
「あるだろ。いまおまえが、おれやほかのにんげんをしたにみてるみたいに」
「まぁおまえはひとじゃないけど」とヴィスが言うので、少しドキッとした気がします。何故なのか分からなかったんですが……初めて見透かされた気がしたから、ですかね。
けれどそれと同時に、まだ気づかないのかとも思いました——もっと上手く演じようとすれば、私は精霊を知っていましたから真似できたんです。それをしなかったということは、まぁ……そういうことです。
自分の中の落胆に気付いた時、どうも自分はこの少年が気になるらしいとも気付きました。
私の周りにいるどんなに賢く身分の高い、高名な名のある者たちの言葉より、この寂しそうな少年の素直な言葉が気にかかりました——何かがそこにある気がして。
「まぁ、だからみためは……かおはかわいいのかもしれないけど! でももったいないだろ」
「もったいない?」
「うん。こどもってむじゃきなのに、かしこそうで人形みたいにむひょーじょーだときみがわるいし、なまいきそうだろ」
「……そうなのですか?」
「そうなんだって。だからぼくみたいにめいわくかけるほうが、けっかかわいがられるはずだ。かしこいだろ!」
「それは、どうでしょう……」
あの自慢げな少年は結局、大人に構ってほしかっただけなのでしょう。けれど考えてみれば、その言葉にはたしかに思い当たりました。
リリーも少なからず経験があるかもしれませんが……始めは笑顔だった者たちが異様なものを見る目を向けてくることがあるでしょう?
しかしその時の私はそのような視点を知らなかったので——そういう意味で、ヴィスの発言は一際惹きつけるものがあったのだと思います。
少し話しただけでも、教えられてきたことと別の見方があるのが分かったのです。
そしてそれはきっと、自分が周りから隠されてきた真実だと——まぁ当時はここまで難しく考えてはいませんが。見つけられなかった何かを掴んだ気がしたのです。
「そもそもあなたはおとなからしても、かわいいというより『おくめんがない』とおもわれそうですが」
「あなたじゃなくて、ヴィンセント、な!」
「ではヴィンセント」
「よびすてか……まぁいいや! ぼくはえらいからとくべつにゆるしてやる! ……ところでおくめんがない、ってなんだ?」
「ふふっ」
「だからわらうな!」
笑ってしまったしてしまったことを謝ってから、私たちは茂みでうずくまってずっと話をしていました。彼はおしゃべりでして、日が傾くまで話していました。
ほとんどがヴィスの不満で、大した話はしませんでしたが。でもだからこそ考えることができたのです。
正しさは1つではないかもしれないこと。
目的で手段を変えるべきこと。
そして——疑いを持つことで視野が広がること。
あの時初めて、自分が疑いを持たないように牙を抜かれて躾けられているのかもしれないと思いました。
武器だと思っていたものが実は自分を縛る鎖で、従わなければいけない正義だと思っていたものが悪そのものかもしれないと——封じて殺していた感情はこれだったのだと思い至りました。
だから彼に聞いてみました。
「ヴィンセント。あなたなら……おとなをだしぬくには、どうしたらいいとおもいますか?」
「なんだそんなの。カンタンだろ?」
そして彼は言いました。
「こどもであることをつかうんだ。かわいそうでも、かわいいでも、ちゅーもくされたらかち、だ。おおければおおいほどいい。『ぐんしゅーはぶき』だって、とおさまもいってたぞ!」
「ところで、なんでそんなこときくんだ?」と不思議そうに尋ねてくるヴィスに、私は立ち上がりながら笑顔を返しました。
「ありがとうございます。ぶき、つかってみましょう。えがおも、おぼえました」
「は? なぁしつもんは?」
「てをかしてください。おれいに、まほうをおしえましょう」
「え、なんだよきゅうに……ふうん、精霊もあったかいんだな」
小さな手を握ると、緊張したのか口先と違い少しこわばっていましたが——私はもう決めていたので気にせず続けました。
「いまからつかうのは、かぜまほうをぎゃくにりようするやりかたです」
「ん? ふつうのじゃないのか?」
「まりょくのながれを、おぼえておいてください。そうしたらきっと、はやくつかえるようになります」
「え、じゅもんは……」
同じ属性の魔法を組み合わせて使うときに呪文を使うのって、逆に難しいんです。けれどそれを説明するのは手間だったので……私はそのまま無視して魔力を流しました。
「っ⁉︎」
「いきますよ——『だれか! だれかいないか! ここにローザのこどもがいるぞ!』」
「わぁっ⁉ な、なんでおおごえでよぶんだよバカ!!??」
魔法で強化された私の声と存在感は、すぐに城の者たちに届いて人を集めます。あっという間に、私たちは逃げられないほど大人数に包囲され捕まりました。
「殿下! 殿下‼ いままでどちらにいらっしゃったのですか⁉」
「あぁローザ卿のご子息様も! よかった、しかしおふたりでかくれんぼとは……感心いたしかねますが」
「え……殿下って……」
口々に言う周りの声に、ヴィンスの表情は怪訝なものに変わりました。
「おまえ、精霊じゃなくておーじょさまかよ!!!!」
「ヴィンセント! 殿下になんて口を利いている!」
「ったぁ!!??」
お父上の宰相殿に鉄槌を頭に受けた彼を後目に、私は引き取りに来た乳母に連れられて行くところでした……が。
「なぁ!!!! ぼく、なまえきいてないぞ!!!!」
「こら、ヴィンセント……‼︎」
「うるさい! ぼくはともだちのなまえをきいてるだけだ!!!!」
元気な少年の声に引き留められて、皆が一瞬止まりました。そのおかげで、私はもう一度だけ話しをする隙ができたのです。睨む乳母に気づかないフリをして、応えました。
「その『こたえあわせ』は、つぎ、おあいしたらにしましょうか――あなたがわたしのなをおぼえ、そこにいる精霊がみえるようになったら……またおあいましょう」
「はぁー⁉︎ にげんのかよっ⁉︎」
「そのときにおはなししますよ。きょうのはなしと、このさきにあるはなしのつづきを」
それだけ言うと、私もその場を後にしました。
見つかった私はこのあと待ち構えていた乳母の折檻が待っていましたから……どちらにせよ、私は私を操ろうと企む者の手から逃れないと会うのもままなりません。
「やくそくしろ! ぜったいだぞ! おまえはもうぼくのともだちだ! ぜったいあいにいくから――おまえもぼくのなまえ、わすれるなよ‼︎」
「こら! 殿下になんて口を‼︎」
「いったぁ〜〜〜〜!!!!」
あの時は頭を叩く重い音を後ろに聞きながら、笑わないようにするのが大変でした。バカでしょう、ヴィスは。立場的にも衝撃的にも忘れられるわけもないですよね。
まぁこのようにたくさんの秘密の告白をしたこの日をきっかけに、ずる賢さを彼から学んだ私は今の状態に返り咲いたというわけですね。
アルバート王子の使った魔法は風魔法。
中級のブラインドエリア(気配を隠す)と上級の風凪(空気を動かなくして全てを遮断する)の応用です。
風に魔力や香りを乗せて気配を大きく見せることと、声を反響させて(空気中の音の振動を増やす)まるで拡声器を使うかのように大きくしています。
明らかに子供のできる範疇を超えて使えるのは、持ち前の賢さ豊かな想像力と恵まれた魔力量、あとは精霊に愛されているからです。




