ー閑話ー ひめりんごのきもち
おまけのこぼれ話。
後味悪いかもしれません。
読まなくても本編に支障はございません。
帰らなきゃ、帰らなきゃ!
頭の中に、シスターの声が響いている。
とっても怒っている。
いつまで経っても彼女が帰ってこないので、次の人が休めないと。
本当は約束だと夕日が消えたらすぐに、仕事に戻る予定だった。
いつもなら、他の人のことを考える余裕が彼女にはあった。
むしろ、少し休憩時間を繰り上げてまで戻っているタイプだ。
それなのに、今日はとっても遅れてしまった。
だって、初めてあんなに楽しかったのだ。
あの子は怖がらないでいてくれた。
それどころか仲良くなりたいと言ってくれた。
そして、最後には魔術の正しい使い方のアドバイスもくれた。
本当は貴族の女の子じゃないかなって思う。
あの子は中流階級っていってたけど、やっぱりそれにしては髪がツヤツヤだし、洋服も高そうだし。
それに、あの黒い髪は見たことがない。
そう、見たことがない魔法をつかっていた。
きっとあんまりいない魔力を持っているんだ。
そんなの、平民にはなかなかいない。
ましてやそれをあの歳で使いこなせるなど、貴族以外いない。
けれど、気を遣わないように言葉を崩してくれていると思えば、嘘をつかれているのに、とっても嬉しくなった。
ああ、でも今は急がなきゃ!
近道しちゃおう!
丘の下り道を外れて、草むらを進む。
もし、足を切っても治しちゃえばいいという、彼女の力技だ。ちょっと大胆な行動にでるようなーー彼女は、主人公気質の女の子だ。
こ、転んで、これだけは割らないようにしないと!
右ポケットは大きく膨らんでいる。
何故ならそこに、あの子に貰ったレッドバルーンがはいっているから。
もちろん入りきらないので、ポケットから木の棒が出ていて危ないが、そんなの些細なことだ。
まだ気持ちがふわふわしているけれど、何かにぶつからないようにと思えば、気が引き締まった。
頭の中でシスターに、『ごめんなさい! 空を見るのを忘れてました、今急いで帰ります!』と伝えながら、坂を滑るように降りた。
帰ったらもっと謝らなきゃ……。
それでも、帰ればシスターの怒号が飛ぶであろうにも関わらず、彼女の心はとても晴れやかであった。
やっとできたのだ。
自分にも、自分の事を分かってくれる友達が。
あの子は歳相応な無邪気さと無鉄砲さを感じさせながら、何故か時折、話が大人のようだった。
とっても不思議な子。
会っていたのはあんなにちょっとだったのに、とっても大好きになった友達。
「リスティちゃん、また会えるかなぁ」
急いで走る中でも、思わず声に出てしまった。自分でもびっくりするくらい、弾んだ声だ。
いつもはひとりごとなんて、言わないけど。
それくらい、今日の出会いは特別。
もう少しで、あの屋台に着く。
謝らなきゃ、謝らなきゃ。
でも不思議と、後悔の念はない。
頬が緩んでいる。まずい。謝る時はちゃんとしないと。
そうして駆けていく彼女の横を、何か凄い勢いで黒いものが通り過ぎた気が……あれはなんだったのだろうか?
あぁ、そんな場合じゃなかった。
もうちょっとだ、帰ろう。
そして、たくさん謝ってからたくさんお手伝いしなきゃ。今の私なら、なんだってできる気がする。
教会が出している屋台に辿り着いた彼女は、それはもうこれでもかと謝り、その体からは考えられないくらい働いた。
そしてその夜、彼女は隠れてこっそりとあの、小ぶりながらも赤く輝くレッドバルーンーー姫りんごで作られた、りんご飴を食べた。
なんの疑いもなく。
今日の出来事に浸りながら。
それが、呪われているなんて知らずに。
その林檎は、今まで食べた中で1番、甘かった。
次の日起きた彼女は、シスターに
「とても楽しかったのはわかったけれど、時間は守らねばなりませんからね。そうでなければ、いい人のところに行けませんよ」
と、言われた。
楽しかった? ……なんの話だろう。
分からない。昨日は屋台で働いて、お昼を食べて、また働いて、それからーー。
「それ、から……」
何か、大切なものが抜け落ちてしまったような、そんな喪失感がある気がする。
でも、夢かもしれない。
その夢の中で、言われたことだけは覚えている。
「魔力を、抑えるようにーー」
誰だろう。思い出せない。
夢だからかな?
それより今は、服を洗わなきゃ。
そう思って昨日の服を手に取ると、左ポケットが膨らんでいる。
手を突っ込んで取り出せば、これはハンカチ?
見たことない、レースの、端に花の模様があるハンカチ。明らかに自分のではない。貴族のだろう。
なんということか。返さなければ。
けれど貴族は、ハンカチ1つで困ったりしない。
むしろいらないと言われそうだ。
拾ったのだろうか?
でも、微かに湿っている……落としたのなら、これが汚れてないのはおかしい?
「私が使った……?」
ズキリと頭が痛む。
これだ。さっきからなんだろう。
夢の中で借りた気がするーー。
「……夢じゃない?」
誰だろう。
私に笑いかけて、とっても楽しくおしゃべりした。
誰だろう。
ハンカチを貸してくれて、アドバイスをくれた。
誰だろう。誰だろう。誰だろう。
『幸せにな〜れ』
そう言って、渡された、何を? ハンカチ?
言われたことは覚えているのに、声すらわからない。焦る気持ちだけが空回りして、指先が冷たくなる。目頭は熱くなる。
こんなに思い出したいのに、ちっとも思い出せない。
これでは会っても分からない。
会えないのと一緒。
「そんなの、やだ……!」
手がかりは、このハンカチだけ。
ハンカチがなければ、きっと夢だと思っていた。
いい夢を見たと。
小さな少女ーーフィリアナの手に握られているこれだけが、確かにあのことは昨日あった出来事なのだと、物語っていた。




