481話 曖昧な不安
「私も悪女だなー」
夏の夜風に吹かれるバルコニーは、じんわりと熱くまとわりつくような湿った空気がだるい。でも、けだるげな空気が今の私を隠してくれる気がした。
「ほんとのこと知ってるのに、嘘ついて。で、リリちゃんが苦しんでもまだ隠してて。……はぁ。なにが正解なんだろ。でもさぁ、ムリじゃない? だってノア君はノア君だし……」
あんなに信じてくれているリリちゃんも、私は結局うらぎっているようなもの。ここで死なないと悟った私は、リリちゃんに対してだいぶ冷静だったし。結構ひどいよなーと思う。
もっと単純で簡単ならいいのに。
考えることが多すぎる。
私の頭ではキャパオーバーだ。
唯一話せるかもしれない女神さまは、この件に関しては敵だ。利害関係が違う。……私は、今ある奇跡のような日常の均衡が、だんだんと崩れていくことに気づきながらまだ様子を見ている。
なんとかならないかなぁと、淡い期待を諦められずに。
「臆病者め……」
はったりが上手くなっても、自分の気持ちはダマせない。忙しかった今日という日から抜けだしてひとりになると、どうも——思考の海の中でとりのこされたような気持ちは、どんどん鉛のように重く沈んでいく。
それでも、前世よりは。
マシ……な、はず!!!!
少しは成長して……ほんとにしてる?
悩んでも仕方がないのだけれど、悩まずにもいられない。そんなに薄情になりたくもないけれど、うじうじ悩む自分もめんどくさくて嫌いだ。結局、自分は不器用なのだろうと思う。
お城に来るなりリリちゃんとは別れ、部屋に通された。ただ、ここは前とは違う。リリちゃんやアルの部屋とははなれたところにある客間だ。……うんまあ、容疑はまだぜんぜん晴らせてないのでね!
「はぁー……でもリリちゃん大丈夫かな……。いや、大丈夫なはずだけどね。フィーちゃんの光魔法以上の治療なんてないんだから」
あたりまえだけど、倒れたことが周りに伝わったリリちゃんは速攻連れていかれた。異常がないか、王宮医師に検査されるためだ。こればかりはリリちゃんがいくら抵抗しても強制執行だ。
とはいえ、聖女様の治療済み。
異常なんて出ようがない。
まぁ、検査に理屈は関係ないけど。
そんなの、彼女がお姫様ってだけで理由は十二分にあるのだから。
「……これも心配してるフリ、かぁ~。私ってば、悪役令嬢が意外とはまり役なのかなぁ」
フィーちゃんを疑わないなら、心配する理由はない。なのに口に出た言葉がおかしくて、自分で失笑する。石造りの柵につっぷすと、おでこがひんやりと冷える。
「……きもちいな。このまま寝ちゃおうかなぁ……」
そういうわけにもいかない。私たちは抜けてきたけど、アルたちはまだ帰ってきてない。だるいなぁとそのまま顔を横にすると、下に警備する人たちが見える。心なしか、いつもより厳重そうだ。
当たり前ながら、ちょっと思ってしまう。
「これは……疑われんのか、リリちゃんの警備でなのかどっちかな。いやどっちもか。リリちゃん、私と帰ってきたのも怒られてたしな……」
ほっぺが冷たい。
冷たさが現実に引きもどす。
夢見心地にさせてくれない。
だけど一瞬、緑の光が見えた気がした。
「ん? 気のせい?」
「おね~さま~~~~!!!!」
「ほぁ?」
声のする方へ目を向けた結果——なんとリリちゃんが隣のバルコニーから飛び移ってきている最中だった。
「わぁー!?? なにしてんのリリちゃんっ⁉」
「邪魔されたのでこっちからきましたの!」
「あぶない!! あぶないからやめて!??」
「うふふ。もう遅いですの! それに、そのおかげでお姉様に抱きしめてもらえましたもの‼」
「これはあぶないから思わず受け止めちゃっただけ!!!!」
けど、覚悟していたほどの衝撃が来なかったところをみるに……風魔法を使った様子。だからって、飛び移ってきてはほしくないんだけどね⁉
「やめてねほんとに!! 私の肝が冷えるから!」
「まぁ。いつももっと飛ばしてますのに?」
「物理的な飛ばしの許可は緊急時以外いつだって出しませんけどね⁉」
「うふふ」
「ごまかされませんけど⁉」
白いナイトドレスのリリちゃんは、今は髪もおろしていて美少女感が強い。舞い降りてきた天使ってこんな感じなんだろうなと思った……けど! 怖さで上書きされたよ‼
ため息をつきながら、リリちゃんを離してあげる。リリちゃんは名残おしかったのか、唇をとがらせながら私の腕をちょっと撫でて離した。
「も~心臓に悪いよ~‼ 落ちちゃわないかドキドキした!」
「落ちるわけありませんの。私、『愛し子』ですのよ?」
「そーだけどそうじゃないでしょ! わかってても心配なのは心配でしょ!」
「心配?」
「そうでしょ!」
キョトンとした顔をしているけど、ほんとに怖かったんだけどな。
「それは私が姫だからですの? それともお兄様の妹だから?」
「えぇ⁉ そんな打算ないよ!」
「でも普通は……あ、容姿も自信はありますけれど」
「たしかにかわいいけど、そこじゃないよ……?」
今度は別の意味で心配になってきた。
「……? でもお姉様は私が大好きですものね?」
「あ、そこは疑わないんだ」
「それは近くにいればわかりますのよ」
「うんじゃあ、大好きだから心配するとは思わないの?」
そう尋ねると、リリちゃんの眉が寄る。そんなに難しいことなのかなぁ……?
「うーん? わかんない? でもアルでも注意するでしょ?」
「それはお行儀に関しての注意で、心配ではないですの」
「そんなことないと思うけどな……」
「ありますのよ。というか、みんなそうですの。私にそんな心配をするのは、実力を疑っているようなもので……」
「え⁉ ごめん! そんな気はなくて‼」
貴族の言語外の決まりってこと⁉
え、でも心配しないとか無理じゃない⁉
でもでも、失礼ってことなのかな⁉
あせって訂正しようとしたら、リリちゃんがくすくす笑っている。
「知ってますの。さっき聞きましたもの」
「え? あれ? 私なんか言ったっけ?」
「言ってましたのよ」
「そっかよかった! じゃあ、何がダメ……?」
「ダメというか、不思議で」
えぇ……そう言われると説明が難しいな。私にとってはそんなに難しい感情じゃないんだけど。でも、感覚が違うってことなのかなぁ。
目を閉じて、腕を組む。全力でいい言葉を探す。
「うーん……リリちゃんだって、私が飛び移ろうとしたらびっくりするでしょ?」
「だってお姉様は、失敗すると思いますもの」
「えぇー⁉ そりゃ、私は風魔法使えないけどー! でもなんでも可能にする闇使いですよ⁉」
「でも……お姉様なら鳥が飛び立ったぐらいで失敗する可能性がありますの」
「それは否定でない……!」
そう思った時点で失敗しますね! 完膚なきまでに論破されてしまった私は、自分の無力さとみんなのすごさに打ちひしがれてくずれ落ちた。




