393話 夢で終わるわけがない
「ふふ。ティアにそう思っていただけるのならば、この髪にも価値がありましたね」
「いやいやいや……私だけじゃないし。というか、私が言わなくても価値しかないからね⁉︎」
そんな誰もが羨むキラキラっぷりで、何を謙遜してくれちゃってるのか。
「どうでしょうか……。結局、誰が何を言っても。気に入られたい人に気に入られなければ、意味がないと思いませんか?」
優雅に頬杖をつきながらこちらに微笑む彼に、目をぱちくりさせる。そしてすぐに、ムッとした顔を作った……照れ隠しだ。
だ、だから無駄にキメてこないでよ!
乙女心がときめいちゃうじゃないの!
いや! うん! わかってるけど‼︎
どんなにときめこうが、それは意味がないものだーー成就など、ありえないのだから。
……心がスッと冷える。
「まったくもう、意味深なことばっかり言っちゃって……」
「ふふ、少しは考えてくれましたか?」
「何をよ何を! 思わせぶりすぎるわ!」
クスクスと笑う彼に、怒る素振りを見せながらも心がきゅっとなる。
……あぁ、やっぱり。
すとんと落ちてくる感情に、嬉しさではなく悲しみが湧き上がる。
気付きたくなかった。
無視していたかった。
だけど、この感情はーー。
「……いい景色ね。私こんなに高いところに上ったの初めてかも」
そっと目を背けて、見下ろす先に広がる街並み。
ここに他に人はいない。
ただ風だけは、外と同じように吹く。小鳥の囀りさえしない世界は美しくも、先程の賑やかさからすればどのか物悲しい世界だ。
だからこそ、非現実的で。
夢だと言われたら、信じてしまいそう。
ふと、身を乗り出すように手を伸ばしてみた。
「っと。何をしてるんですか」
ちょっと手を伸ばしてみただけなのに、危ないと思ったのか後ろから抱き抱えられている。……子供じゃないんだから大丈夫なのに。
伸ばした手は、握ってみてもーー空を切るだけで、何も掴めなかった。
「ちょっとした遊び心でしょう。心配しなくても大丈夫だから」
アルのせいでもないけれど、ちょっと口を尖らせてその顔を見上げる。
「ティアはたまに……というか、割と子供っぽいところがありますよね」
「まぁ失礼しちゃう。私ってば、見た目は素敵なレディでしょ! ……多分」
「否定はしない上に多分なんですか……」
ぷいっと顔を背けたが、呆れの意志を感じる言葉が聞こえた。声だけでわかる。……そりゃそうだ、もう結構長い付き合いなのだから。
「……実感が湧かないの。こうやってるのも、夢みたいだし。私、明日起きたらただの一般人なんじゃないかなぁ……」
そう、すべては夢で。
こうやって、アルといるのも妄想で。
私は白澤 空璃として目を覚ます。
そっちの方が、しっくりくるのだ。
何も掴めなかった手のひらを、まじまじと見つめたって……当然何もない。溢れた言葉は、風の音に消されていく。
しかし。
「残念ながら、そんなの私が許しませんけどね」
それは少し、冷たさも感じる声で。
先ほどまで緩やかで、忘れていたくらいだったのにーーお腹にまわる手に力を入れられ、気付いた。
私ってば、抱きしめられっぱなしじゃないの!
気付くと同時に、瞬間湯沸かし器のような沸騰具合で顔が熱くなる。
「うわぁぁぁ⁉︎ ちょっと! はな、離して! もうやらないってばっっ‼︎」
「どうしたんしょうかいきなり。こんな高いところで暴れると危ないので、離すわけありませんけれど」
「なんで⁉︎ いや暴れなければいいだけじゃない⁉︎」
「ははは、これが現実ですので思い知っていただかないと」
いや、どういう理屈よっ⁉︎
ばたばたと手足を動かしてみるが、涼しい笑顔でこの王子、びくともしないんですけど……⁉︎
しばらくして。ぜーぜーと息をしながら、私は諦めた……振り解けませんでした!
なんでなの⁉︎
ドッグセラピーなの⁉︎
それとも暴れる犬を捕まえる飼い主なの⁉︎
……後者の方が近い気がして悲しくなった!
「残念ながらこれが現実ですよ。いくら綺麗に見えても、ここでだって時間も流れます。もう帰らなければなりませんね……」
私が大人しくなったからなのか。
どこか想いを馳せるような顔で、遠くを見つめている。
……今、何を考えているのだろうか。
これだけ近くにいても、私にはわからない。
体温がわかるほどの距離にいるのに。
「……どうして泣いているんですか?」
そう言われて。
瞬きをして。
つうっと、落ちていくそれに気付いた。
「あ、あれ……? 私……」
「どうしました? 足が痛みますか? 私が無理をさせたでしょうか」
予想外の出来事に、ただ焦る。鼻声になっている。ぽろぽろと落ちていくけれど、もちろん足は痛くないので首を勢いよく振った。
「では、どうしたのですか? 言ってくれないとわかりませんよ?」
落ち続ける雫に、アルも心配そうな顔をしている。私も困っている。だって、流したいわけじゃないのに何だか止まらないのだ。
「何か、つらいんですか?」
「つらい……?」
彼は横から片手で抱きしめるように体制を変えて、こちらを覗き込んでくる。戸惑う私の目元を、そっと拭っていく。
しかし雫はまた滲む。
「……違うの……私はただ、もうアルと今日みたいな事はできないなって、そう思っただけで……」
せめて隠そうと、視線を逸らす。
泣くつもりなど、微塵もなかった。
でも、その事実が胸を締めつけたのだ。
彼がーーアルのことが好きだと、気付いてしまったから。
でも、彼はこの国の王子で。
釣り合わない私が、いつか別れる人で。
もうこんな時間を、過ごす事はないと。
わかっていた。わかっていたはずなのにーーそのせいで、涙が止まらなくなってしまった。
止めたい。でも、止まってくれないのだ。
困らせたいわけじゃないのに……。
そう、思ったが。
「可愛い……」
「え?」
「あの、抱きしめてもいいでしょうか……?」
「……待って。なんでそんな嬉しそうなの……?」
何故か彼ときたら。
今日一番なんじゃないかという。
キラキラワクワクとした。
そして恍惚の笑顔でこちらを見ていた。
なんなら、バックに一面花が咲きそうな笑顔だった。えぇ⁉︎
「なんでその反応⁉︎ 反応おかしいでしょうっっ⁉︎」
「合ってますあってます! 私、今が人生で一番嬉しいかもしれません‼︎」
「ちょ、あぁもうなんで今! なんで今抱きしめるのよ⁉︎」
「抱きしめたいからです‼︎」
いや意味がわからない!!!!!!
しかしこのおかしな反応のおかげで(?)、涙は見事に引っ込んでしまった。今は抱きしめられながら、別の戸惑いでいっぱいです。
……なんでこうなったんだ……?




