280話 遠い理想は美しく
「ふふ、まぁ頼まれると断れないのは、ティアの良いところだと思いますよ」
そんなに反応が面白かったのか。
私を抱えているのとは別の方の手で、口元に手を寄せて。アルは笑いながらも、そんな事を口にした。いい笑顔ですこと。
「褒められている気がしない……」
「褒めているんですけどね?」
「どうせ押しに弱い人間ですわよー」
むっと口を尖らせて。こんなに反抗的に睨んでいるというのに、全然伝わらないのかその笑顔は崩れない。
「優しくていいじゃないですか」
その一言に、少し考える。
「優しい……のかな?」
「違うんですか?」
「んー……私のは、弱いだけな気がする……」
自然と視線がアルからずれる。真っ直ぐ見ては、いけない気分になる。
私の思う優しさは、強さなのだ。
例えばフィーちゃんのように。
何よりも、人を考えられるような。
押し負けるのではなく、自分で選ぶ強さ。
そこにあるのは、心の強さなのだ。
彼女が光であって、私が闇である理由。
だからこそ、憧れる主人公。
なりたいと思っても、なれない。決定的な違いがそこにはある。押しで負けるのは、ただ嫌われたくないからだろう。
「そういう意味では、私よりもアルの方が全然優しいと思うよ」
実際、本当にそうだと思うんだけど。
アルの方を向いて心から漏れた声は、じめっとした苦笑混じりの声だった。
「そうでしょうか? そんなに変わりますか?」
「うん。アルは強いよ。私は……弱いから、優しいとは違うんだよ」
見上げた先に見えたのは、納得いかなさそうな顔。困ったように笑ってしまう。まだこの感覚は、その歳じゃわからないかな。
……いや。違うかも。
人として、分かり合えないかな。
そしてそうであって欲しい。
こういう、仄暗い感情は知らなくていい。私からしたらダイヤのように輝く彼は、そのまま綺麗でいて欲しいのだ。光を奪いたくない。
落ちた先なんて、知らなくていい。
なれないから、惹かれるのだ。
だからこそ、近付きたくなる。
この感情はーー。
「ではそこに、つけ込まれないで下さいね」
かけられた声に、ハッと我に返る。
なんだか嫌な汗をかいた。よかった、なんか気付いちゃいけない事に気付きそうだった気がする……!
「え、何?」
ドギマギしながら、瞬きをして。いつのまにかズレていたピントが合った視界に、真剣な顔をした彼が映る。
「弱いと言うなら、つけ込まれないよう気をつけて下さいと言ったんです。私から見たら、君のそれはどう見てもお人好しですけど」
「えー……そういうのじゃないんだよ……」
「不満そうですけど。今だって、私につけ込まれてるじゃないですか」
「それ自分で言うの……?」
少し怒るように、険しくなる顔。
そう思うなら、しなければいいだけなのでは……? ちょっと言ってる事おかしいですよ?
その疑問を瞳に込めれば、言葉より先に表情が謎の笑みに変わる。
「私はいいんです。婚約者ですから」
「横暴! そんなキラキラ笑顔で言う事じゃない‼︎」
「でも私は優しいのでしょう?」
「そりゃそう言ったけど‼︎」
ずずい、と寄ってくる顔に、思わず足を止める。でもアルはそんな事お構いなしだ。
「ふふ、まぁ優しいと思ってくれるのは何よりですが。君が思っているより、私は綺麗な性格ではないと思いますよ?」
「え、大丈夫でしょ。アルだもん」
きょとんとすると、何故か悪そうだった笑顔が真顔気味になる。
あれ? なんかまずかった?
「こんなだから心配になるんですけどね。私、割と真面目に言ってますよ? 一度懐に入れると……いや、その前からだいぶ甘いですし」
「えー! 私すごいしっかりしてるよ⁉︎ もーすごいしっかり‼︎」
「その発言は、しっかりしている人がする物ではありませんね」
ガッツポーズまでつけたのに、やれやれとそう言われてしまう。なんでよー‼︎
「あと、自分を弱いと言いましたけど」
そこで伏せていた目を上げて、こちらを見る。変装してても、意思のこもったその煌めくイエローダイヤの瞳は変わらない。
「弱い人間は人のために動けません。今回みたいな大胆な行動も、しないんですよ」
それは子供に噛み砕いて教えるように、ゆっくりと言い聞かせるように。まるで私が、特別みたいに言ってくれる。
「大胆さあった? 隠密行動だったよ?」
「そもそも城を脱走して、どうにかしようと言う発想が出ませんよ。私のためなんでしょう?」
「……でもそれだけじゃないもん」
そんな発想でないですかね……?
私、学校抜け出すくらいのノリだったよ。
フォローなんだろうけど、そんな大層な事は思っていない。口をモゴモゴさせ居心地がなんとなく悪くなりながら、言葉を絞り出す。
「アルもだけど。あそこにいるみんなも大変だし、もちろん探してる騎士の人たちも大変だしーー何より、私が退屈だったからだから!」
そう、なんだかんだ言ったって。
私は結局、自分が中心なのだ!
だからそんないい感じの人ではない。
自分の事を考えてるうちは、弱い。
「私は自分の利益も求めてるから、それは優しさじゃないんだよ!」
しかし、気合のこもった反論は。
「何故悪者になりたがるのか分かりませんけど……最後に自分が来てる時点で、人の方を優先してませんか?」
「……ぐぬ」
綺麗に言いくるめられた。
苦笑混じりに言われてしまい、私はまた口をつぐむ。
「自分の事を少しも考えないなんて、神でも無理だと思いますよ」
「えー⁉︎ そんな事ないよ多分‼︎」
「少なくともフィンセントの神話は、そんな綺麗じゃなかったと思いますけど」
思案顔で告げられて、私も思い起こす。
神……というと。
私は女神様が真っ先に思い浮かぶんだけど。
……恋愛に溺れてたな、あの女神。
それでこの世界は割と荒れたことは、きちんと残ってるくらいには……。
「それにその回答でいくと、ティアの侍女は優しくない事になりませんか?」
「いや! まぁ! あの子別枠というかなんというか、わかりにくいけどちゃんと気は……遣えるのに遣わなかったりはするけど‼︎」
勘違いされたら可哀想だと必死にフォローしながら、フォローが怪しい方向になっていく。も、もう! シーナがあんな言動するから!
しかし私の泳ぐ目と。
しっちゃかめっちゃかな言葉より。
彼が気に留めたのは……。
「あの子? ……彼女、歳上ですよね?」
「えっなんか変⁉︎」
「変というか……ティアは歳上だと立場関係なく、敬うイメージがあったので。距離感が近いと言えば、それまでですが」
「‼︎」
や、やばい!
いやすぐにどうこうはないけど‼︎
顔に動揺が出たのか、アルも軽い疑問から何かの疑いの眼に変わる。
「……あ! クレープ! 私クレープ食べたいなー⁉︎」
「逃げましたね……いいですけど」
返答に困ったので通りを見渡したら、クレープの屋台が見えたのでかぶりつきました!
指をさしてあからさまに、気を逸らすためのお願いをする。それに気付いてすこし呆れ、肩を上げながらもアルは話に載ってくれる。
「まぁ私も、今は楽しく過ごしたいですしね。今度でいいですよ」
「今度も何もありませんけど……」
ごにょごにょと言えば、ん? とにこやかな顔を向けられて。大人しく首を振って、降参のポーズをした……今だけだけどね!




