345話 テコでも動かない
「ま、思い出せてよかったよ! アルも復活したしね! 安心したら眠くなってきたから帰ろー!」
「あんなに寝てたのに」
「それはえっと、ほら、寝てる自覚はないから!」
およそ眠い人とは思えぬテンションで、無理やり部屋に戻ろうとしている。
だってなんか!
ちょっと恥ずかしいこと言ったかもなと!
じわじわ心にきてるんだもん‼︎
なのでじろりとこちらを見る、その黄色い瞳を適当に流して手を引っ張る。今までと、逆の方向へ。
「……ところで、何か気づきませんか?」
「ほへ? 何か?」
何かって、なんだ?
素っ頓狂な声を上げつつそう思い、探るようなアルの顔を見ても答えは出ない。ただ、その視線がちょっと横にズレてる気が……あー‼︎
「百合がないっっっっ‼︎」
「ようやく気づきましたか」
少しほっとしたような彼も放置して、慌てて頭の横に触れるけど百合がないー‼︎
え、え、どうしよ⁉︎
どこで落とした⁉︎
落とした記憶ないけど……倒れた時⁉︎
血の気が引いて、一目散に走り出そうとするも。がっしりと腕がお腹に回って走れなかった……なんで止めるのっ‼︎
「アル! 私百合探しに行かなきゃ……!」
「待って下さい。ここにありますから」
「……え?」
さっきまでの慌てぶりが嘘のように、ぽかんとして顔を上げるとーーそこには百合が握られていた。
「だ、騙されたっ!」
「誰も騙してませんよ……寝かせる時に邪魔だから、預かっただけじゃないですか。まぁその割に気付かなかったようですが」
そう言いながら、まだ混乱する私の髪へ百合を刺す。いつもはあまり気にしない、百合の香りが少し鼻を掠めた。
「はい、いつも通りですよ。……今日の髪型も、可愛らしかったですけどね」
百合を刺すために近付いたその顔が、間近で満足げに微笑む。思わぬところで感想を貰った。いや、嬉しいけど……。
「なんで最初に言わないのよっ⁉︎」
「いつ気付くかと思いまして」
「私で遊ばないでよ⁉︎」
「遊んでは……」
目と鼻の先で、言いかけて泳ぐ瞳。
「少しくらい、いいじゃないですか」
「よくないですけど⁉︎」
明らかに作られたにっこり加減に、眉を吊りあげて抗議した。
「気付かないなんて、そんなに大切じゃないのかと思いましたが……」
「そんなわけないでしょ‼︎」
「……そうみたいですね」
一瞬他人事のように視線を外して言うアルに、腕を振って怒ったけど。
返ってきた視線が、とても柔らかくて。
とろけそうな笑顔に、ドキッとした。
驚き瞬きしても、それは変わらなかった。
「……ってそういえば近い! なんか抱えられてる‼︎」
「それ、思い出す事じゃないのでは?」
「じょ、状況把握に時間がかかったんですー! 百合の事で頭がいっぱいだったんですー!」
思い出したかのようにジタバタする私を、余裕そうな顔でにんまり笑うアル……いいから離してってば!
「やっぱり楽しんでるでしょ‼︎」
「楽しんでると言えば……まぁそうかもしれませんが」
「そうじゃないのよ!」
優雅に指先を下唇へ寄せ、曖昧に惚けながらも片腕が離れてないんですけど!
パワハラだー‼︎
イケメン攻撃禁止だー‼︎
無駄にドギマギしちゃうでしょうが!
「ぐぬぬぬ……はぁっ、片腕のくせにビクともしないっ⁉︎」
「その程度で引き離せるとでも?」
「なんか悪い顔してるー‼︎」
「子犬程度の力では、解放は難しいですね」
この人、完全に楽しんでます!
全力で、両腕で押してるのに動かない。
この腕なんなの⁉︎ 剛腕なの⁉︎
その割に細いですけど⁉︎ 私が非力なの⁉︎
ふぎぎぎ……! と歯を食いしばって、もう一度頑張ってみるも動かない!
「そんなに百合に気付かなかったことを、根に持っていると言うの……⁉︎」
「あーまぁそれは」
「やっぱり!」
「でももう解消しましたが」
「じゃあ何故私は捕まってるんだっ‼︎」
いい加減、腕に入れる力も大声も疲れてきた。ぜぇぜぇと肩で息をしながら、涼しげな王子様を睨む。楽しそうだなぁ⁉︎
「色々我慢してるんですから、これくらいいいと思いませんか?」
「何を! いつ! 我慢したのよぉ……!」
「いつもですかね」
それだけ私が、迷惑掛けてるって事ですかねぇ⁉︎
疲れた私は、もう頑張る力もなく。諦めて、当て付けのようにポスンと。頭と体重をアルの胸元に預ける。……ちょっとあったかい。
太々しい顔で、小言を呟く。
「歩けるか怪しいレベルで疲れ果てたわ……」
「頑張ってましたもんね」
「誰かさんは、それを笑って眺めてましたもんね⁉︎」
「まぁ役得ということで」
「だから何がっ⁉︎」
彼曰く子犬がキャンキャン吠えたところで、問題などないのだろう。眉を下げて微笑み遊ばす。ぐぬー‼︎
それどころかもう片方腕が回りましてよ!
もう完全に逃げられませんわー!
私のキャラも壊れましてよー‼︎
言葉遣いをお嬢様にすることで、なんとか不満をオブラートにしてみたけど。状況がさっぱりです。私は疲れたよ?
「へろへろですね」
「誰かさんのせいでね……!」
「いつもこうなら楽しいんですが」
「ひどい! この人ひどいこと言ってる‼︎」
「では疲れさせたお詫びに、お送り致しますよ。お嬢様?」
嫌に耳元で意味深に言われて。
へ? と口が開き掛けたところで。
解放されたと思ったら、体がふわりと……ふわりと⁉︎
「ななななんで横抱きなのよ⁉︎」
浮いた体は、ただ浮いたわけではなく。
いわゆるお姫様抱っこ状態だった。
「運んだことを知らないと言われるのも、やはりちょっとなと思いまして」
「ちょっとなとは⁉︎」
「反応がある時の方が楽しいですからね」
「楽しまないで⁉︎」
アルが歩き出したせいで揺れるので、小さくガッツポーズのまま固まる。自ずと反論する態度が小さくなって、逆効果だ。
「というか歩けるからー!」
「人の好意は受け取っておいた方がいいですよ」
「果たしてこれは好意なのかな⁉︎」
「好意ではありますよ」
「その含みは何よ⁉︎」
どれだけ声を上げても、返ってくるのは爽やかプリンススマイルだけだ。降ろしてくれる気ないね‼︎
諦めた私は、大人しく。
スチル待ったなしなサラサラの金髪を揺らす横顔と、庭に見える月を眺めたーーせめてスクショをさせてー‼︎




