340話 必要ないもの(挿絵)
「それでは、ティアも起きたことですし。私はもう行きますね」
椅子から立ち上がって、アルが離れようとした。
「あ……」
何か言わなきゃいけない気がして、私は咄嗟に彼の服の裾を掴んでいた。
くんっと引っ張られて。
それに反応した、黄色の瞳がこちらを見る。
「何か?」
「えっと……」
……いや、なんで止めたんだ?
何か言わなきゃって何をよ?
正直何も考えてない……!
瞳を動かし言葉を探すも、何が違和感だったのかもよくわからない。ただ、なんか言わなきゃとは思ったのだ。
お礼か?
いや、うん、それもだけど……。
んー……?
「……何もないなら、もう出ますよ? 思い出してから聞きますし。いくら妹の部屋でも、私もずっといるわけにはいきませんから」
「別に私は構わないのですのよ?」
「私は構いますよ。というか、構って下さいリリー。淑女として兄は心配になります」
引っ張ったまま悩み始めた私に、アルは優しく離すように促している。
でも私は掴んだままだ。
リリちゃんとアルのやりとりを、ぼんやり聞いている。多分、リリちゃんが私を尊重して止めてくれてるのはわかる。
ダメだ、言葉にならない!
言葉にならないものは仕方ないのでーー。
バッと顔を上げた私は、リリちゃんの方を見て話す彼に声を掛ける。
「アル!」
「は、はい?」
「散歩しよう‼︎」
「はい?」
何故、という困惑の目を向けられた。
まぁ散歩がしたいというより。
目的は話す事だから!
つまり、時間稼ぎよ!
「散歩がしたい気分なの! ほら、寝過ぎたからさぁ! 夜だし、リリちゃんを連れ回すわけにはいかないでしょ?」
「いや、無理でしょう……」
「なんで⁉︎」
「……自分の服装、お分かりですか?」
勢いで押していたが。少し気まずそうに逸らされる視線に、下を見て確認し思い出した。
なるほど!
私、パジャマだね!
確かにこのままじゃ部屋出られないわ!
そして、ご令嬢のお着替えには時間がかかるわけ……なんだけど。
「ちょっと部屋出て待ってて!」
「え?」
「ついでに他言無用ね!」
「あの、何をする気で」
「リリちゃんお願い!」
「お姉様のお願いとあらば!」
「リリー⁉︎」
リリちゃんの命令と力技により、アルは混乱しながらドアの外に出された。
「ミッション完了ですのお姉様!」
「ありがとう! 後でリリちゃんもお話いっぱいしようね!」
「いえ! お姉様に義妹様として、我が家に招くための努力は惜しみませんもの‼︎」
ビシッと敬礼を決めたリリちゃんに、グッと親指を突き出した。最後の返事は無視したけど。
ま、服が問題なら。
着替えればいいだけですよ!
そんなの簡単じゃないの!
というわけでーー。
銀の光に身を任せれば、視界に映るのはもうさっきの服装だった。
「お見事ですのお姉様ー!」
私の早着替えに、リリちゃんは笑顔で拍手喝采を贈ってくれる。
「……私が言うのもなんだけど、リリちゃんの反応それで合ってるかなぁ?」
「? お姉様はいつでもお姉様ですもの」
「……私がいけないのか」
きょとんとしたその顔に、若干の教育を間違えた感を覚えたけど……まぁ、いいでしょう!
「じゃあリリちゃんは、今のうちにお風呂とか入っておいてね!」
「一緒に入ってくださってもいいですのに……」
「しょぼんとしてもそこは入らないよ⁉︎」
大浴場でもないんだから!
一緒に入ったらおかしいでしょ!
まぁ入れない大きさじゃないけども‼︎
でもお姫様としてアウトなので、キッパリ断ってドアノブを握る。そしてそのまま押して、部屋から出た。
「アル、お待たせ〜……っと、警備ご苦労様です!」
出た瞬間。
驚いた顔のアルと、警備の騎士2人と目があった。そりゃお姫様の部屋だもんいるよね……忘れてたわ。
咄嗟に笑って誤魔化したけど。
私の様子に驚いたようだ。
様子っていうか、服装。
まぁそりゃ、メイドもいない部屋でどう着替えたんだってなるね……。
しかしそこはご令嬢スマイルで、おほほほほ〜とやり過ごした。言い逃れできないほどの変化ではないから、まぁ大丈夫でしょ。
気まずいのでそのままアルの腕を抱いて、適当に歩き出す。
「ちょ、ちょっとティア⁉︎」
「とりあえず逃げるのよ!」
小声でそれだけ告げて引っ張る。騎士たちの視線を背中に感じながら、足をとにかく動かした。しばらくして、背中が痛くなくなる。
「ふぅー……なんとかなったぁー」
「いや、なんとかなったではないですよ⁉︎」
「大丈夫大丈夫、服くらい頑張れば1人で着れるんだから!」
「そこであって、そこではないのですが……」
汗を拭う仕草をしていると、何か言いたげに見つめられる。
私は一仕事終えたような、満足感があったんだけど。アルは真面目だから、多分不安なんだと思う。私の態度がね。
しかし、私は慣れている!
よって、先輩が助言してしんぜよう!
「ちっちっち……こういうのは気にしたもん負けなのよ。気にしないで対応していれば、ある程度は流せるものなんだよ!」
「何故そんなに自信満々なんですか……」
「やり慣れてるから!」
「……。」
人差し指を揺らして決めポーズをすると、呆れ顔どころか鋭い目を向けられた。
む……むぅ。
仕方ないでしょ。
私、やらかし名人なんだもん。
怒られないように、バレないようにと対処してきた結果がこれ。まぁ変に心配かけないようにでもある。結局、嘘ばかり上手くなるのだ。
そうやって身についたものは、変えることができない。
「すみませんね、闇使いなもので」
ぷいっと、わざとらしくそっぽを向く。若干声がトゲっぽくなったけど、すぐには謝れない。
あ、そういえば腕引っ張ってきたままだ。
うっかりしていた。今は逃げる必要もないので、引っ張って歩く必要もない。思い出したので、ついでに腕も解放しようと身を離す……が。
ぱしっ
「ふぁ?」
「なんで離すんですか?」
右手を腕に押さえつけられた。
あわてて見上げれば、こちらを真剣な表情で見つめる瞳と目が合う。
「え、なんでって……必要ないじゃないの、もう」
「謝るので、離さないで下さい」
「あ、謝る意味もわからないし必要ないし……」
「必要なくてもいいじゃないですか」
ちょっと意味がわからない。
真面目に言ってそうだから、余計に。
考えは深まらず、眉間のシワだけ深まっていく。
「必要ないなら、やらなくて良くない……?」
「必要なくても、やってはいけないわけですよね?」
それはまぁそうなんだけど。
それなら、やらなくたっていいわけで。
けれどなんだか、だんだん悲しそうな顔をしてくるので……いや、多分わざとだけど。わかってるけど。絶対作ってるでしょ⁉︎
その顔を見て、むーっと思いながら。
絆された私は、疑問に思いながらもまた腕を絡ませた。
これに意味はないのに。
役にも、何にも立たないのに。
そんなものに、価値はないのに。
それでもアルがなんだか嬉しそうだから。
なんだかちょっと、意味もなく泣きたくなった。でもそれに意味はないから、うっかり泣かないように少し唇を噛んだ。
得体の知れない気持ちは。
名前のないこの気持ちはーーきっと必要ない。
気付きたくもない、いらないものだ。
いらないのなら、捨てるべきで。
捨てられないなら、隠すべきだ。
そう思えば触れる体温は温かいのに、急に心は冷えた気がした。




