116話 カッコ付けたいお年頃
「あ、あんまり笑ってると、私が連れて帰っちゃうんだから!」
怒った私は怖いのだぞ!
人質……いや、犬質だって、とっちゃうのだぞ!
そう思い、膨れながら文句を言う。まったく。
いやでもこれ、セツには意味ないな。
何かいい鼻を明かす方法はないものか、と下を向いて考えていると。
「本当に可愛らしいほどに、愚かで愚鈍だ」
「えっ」
バッと顔を上げると……目の前にいる、ノアール君の細められた瞳がーー赤い?
「ワンワンワンッ‼︎」
子犬ちゃんの鳴き声で、ハッと瞬きすると、そこには変わらぬ、ノアール君がいるだけだった。
瞳の色は……深緑だ。
気の、せい……?
光の加減かもしれない。
背中に冷たい汗が伝う。はぁ、と息を吐き出す、どうやら息を止めていたらしい。なんだったのだろうか。疲れてる?
「ノアール君……?」
「……ノアって呼んで」
「え?」
「その呼び方は、なんか嫌だから。僕も、兄様と同じようにして」
いつもの平坦な声で、無表情な顔で言う。いつも通りだ。変なところなんて、変わったところなんて、ひとつもなかった……うん、勘違いだな!
にしても、あだ名がいいって事かな?
確かに1人だけ浮いちゃうしね。
「うん分かった、じゃあ私は……」
「クリスって呼べばいいぞ」
ドンッと人の肩に腕を乗せながら、ヴィンスが言う。なんだこいつは。私はまだ何も言ってないぞ。
「先に許可を出しただけだ。どうせあだ名でいいとか言うんだろ?」
「まだ何も言ってないんですけど!」
「……ダメ?」
少し不安そうに、ノアール君……ううん、ノア君が訊ねる。小首を傾げて。
くっ! 私が可愛いものに甘いと知っての狼藉か‼︎
「いいってさー」
「何故弟が答える⁉︎」
「ダメなの?」
「ダメじゃないですけど!」
「だってさ」
「……ありがとう」
そう言って……ノア君は少し微笑んだ……‼︎
その瞬間私はヴィンスをガシッと捕まえた。
「ヴィンス! シャッターチャンスだわ‼︎ 写真! スチル‼︎」
「いやなんだよそれ⁉︎」
「くっ! じゃあ頭のフィルムに焼き付けときなさい‼︎ 可愛い弟の笑顔、それも今だけよ、プライスレスなのよ‼︎」
「……?」
必死に重要性を説明したが、もう既にノア君は、いつもの表情に戻っていた。
「あぁー! もう笑ってないわ! 遅かった‼︎」
「えっ僕なんか貴重なものを見逃したのか?」
この兄、ことの重大性が全く分かっていない!
「ていうか、熱すぎてヤバい。これが姉とかツラいんですけど」
「こうなるのよ! こうなっちゃう前に残しておかなきゃなのよ‼︎」
「ぐっ! 首! 首絞まってるから‼︎」
失礼なセツを片腕でホールドする。あっちはバシバシ腕を叩く。
こうなる前は貴重なの!
素直な時期って一瞬なんだから!
「……離してあげて?」
「あ、ごめん」
ノア君に言われ、パッとセツを解放する。途端に崩れる弟。そこにしゃがみ込むノア君。
「……大丈夫? 治す?」
「いや……大丈夫。助かったよ。オレもセスで良いよ。ノアって呼べば良い?」
「……! うん」
こくこくと、首を振って肯くノア君。
大きく振りすぎて、体が動いている。
そのまま2人はお喋りをし出した。
ヴィンスに「こういうのを脳裏に焼き付けるのよ!」と、小声で伝えると、「お、おう」と返事された。これは分かってないわね。
「あ、ヴィンス。ノア君の心が読める話、話すなら人を選んでね。あれ結構、本人も悩むものみたいだから」
こそこそついでに言っておく。フィーちゃんも悩んでたのだ。ノア君だって悩むかもしれない。
「……人の事もいいけど、自分も気を付けろよな」
ちらりとこちらを見た後、ヴィンスは目を逸らしながら、ポンポンと私の頭を撫でた。
「! 上手くなった……じゃない! アルになんて言うのよ!」
「いや今更だろ……あと僕が今撫でてるのは犬だから、大丈夫だ」
「何も大丈夫じゃないんですけど! 犬じゃないんですけど⁉︎」
「あー。 喋る犬だから、大丈夫大丈夫」
なんだその、適当すぎる返しは⁉︎
ちゃんとこっちの目を見て言ってみなさいよ!
「ワン!」
「ほら、ワンって言った」
「今のは子犬ちゃんなんですけど‼︎」
私の頭の上から手を引っ張って、子犬ちゃんの方へ持っていく。子犬ちゃんは慣れたのか、上を向いて手をペロペロ舐めた。
「うわぁ! ちょ、びっくりするだろ!」
「人を犬扱いするのがいけない」
「アルバだってしてるだろ……」
「アルは私のご主人様だからいいの!」
「……ノアだってしてたろ」
「ノア君は可愛い癒し系だからいいの!」
「理不尽‼︎」
「いや犬扱いされる方が理不尽だからね⁉︎」
私は犬ではないのだ! 忠犬にはなる予定だけど‼︎
そこを間違えないで欲しい‼︎
「……僕は」
「うん?」
「……僕は、可愛くないのか?」
……うん⁉︎ ヴィンス今なんて言った⁉︎
ババッとヴィンスを振り向くと、フイッと顔を背けられた!
えー! 可愛がって欲しいの⁉︎
そうなの⁉︎ いやもう可愛いけど‼︎
「……ヴィンスは可愛くなりたかったの?」
「ち、違う! そうじゃなくて……!」
グリンッとこっちを向いた、その顔は赤い。照れてるー! 可愛いー‼︎
「なんか、仲間外れなのが気に食わなかっただけだ!」
眉を寄せて、視線を逸らしながら、そう言う。
そっかー! やきもちなのかー! 可愛いねぇ‼︎
「……笑うなよ!」
「えへへー! いやー可愛いなぁって」
「……可愛いのはそっちだろ」
「へ?」
「なんでもない! ……とにかく、僕は別に、可愛くなりたい訳じゃない。そこは本当だからな!」
「うんそうだねぇ、どっちかというと、ヴィンスはカッコいいタイプだよねぇ」
まぁ今のは本当に可愛かったけどね。
こういうのも、成長しちゃうと無くなっちゃうのよ。今だけなの。プライスレスよ。
「可愛い子は守りたくなるけど、カッコいい子だと頼りやすいっていうか、そういう意味では、ヴィンスはお兄ちゃん向き……」
「そうか! 僕はカッコいいんだな!」
今日のヴィンスは忙しい。今度はいきなり喜び始めた。見るからに嬉しそうな笑顔だ。
「う? うん、カッコいいよ?」
「カッコいいならいい!」
「そ、そう……まぁ、カッコいいお兄ちゃんになるためには、もうちょっと言葉遣いとか、優しく大人っぽくしたらいいかなって思う……」
「分かった、参考にする」
「うん……まぁ、無理しないでね?」
なんかよく分からないが、機嫌良くなったなら良いかな?
「ワンワン‼︎」
「そうだよなー! お前もそう思うよな、クリストファー!」
「え?」
クリストファー……って犬の名前?
「我が国の英雄様の名前にあやかるの、最近流行なんだぞ……クリス?」
気が抜けた私の腕から、子犬ちゃんを抜き取って、抱きしめながらそうヴィンスが笑う。さすがですね、華のある悪い笑みだった。
「だからうちでも許可出たんだ。記念にって。まぁ、ノアにいい影響があれば良いなってのもあったけど。珍しく母上が賛同して下さったからな」
「……最初から犬扱いをされていた……」
「まぁまぁ、オレは色々感謝してるんだぜ? クリストファーのおかげで、姉たちとも話すようになったし、ノアは扱いが上手いから、一目置かれてるし」
そうですか。仲良くできて、良い事尽くめなら良かったですね……しかし犬扱いは怒るからね⁉︎
「全部クリスのお陰だな! ありがと!」
「む、むう……まぁ、ヴィンスが頑張ったからだよ」
「おう! でもありがとな!」
「……。」
ヴィンスがあまりにも幸せそうに、そう笑って言うから、毒気が抜かれて結局そのまま、4人と1匹で遊んで終わりました……怒り損ねた。