115話 同じ顔
いまだに声も出せないほど、笑っているヴィンスを放置して、傷付いた私はセツに抱っこされている、その子犬を撫でる。もうひたすら撫でる。
撫でるたびにブンブンと、尻尾が千切れんばかりに振られる。赤い舌をだしながら、こちらを見上げる瞳はアイスブルーで、そのブルーコートもあいあまって知的な感じなのだが……多分、中身は何も考えていない。
だがそこが可愛い‼︎
可愛いは正義なのである‼︎
「セツ! 私にも抱っこさせてよ!」
「えー」
「いいじゃないの! 満足したらさせてよ!」
「あーはいはい」
私の話を流しながすセツはと言えば、子犬の顔を覗き込んだ途端に、顔を舐められている。
すごい勢いだ。
大変だぞこの子!
どこまでも舐めるぞ!
耐えられなくなった弟が渡してくる。
そして撫でる。
それより顔がベタベタじゃない?
大丈夫なの?
案の定、渡された私も舐められた。それも何故か必死に、前足で上へ駆け上ろうとしながら舐めるので、尻餅をついてしまった。
「へぶっ! ちょ、勢いがすごい!」
「……リスト、2人のこと好きだって」
「うん! よく分かった! 分かったからちょっと止まって欲しいな!」
全身でスキスキアピールをされ、可愛いのだがすごく大変なのだ。特に顔が。
「いやだから離せよ……」
笑い地獄から帰ってきたヴィンスが、呆れた顔をして子犬の首根っこを掴み、引き離した。その間に、服から土を払って立ち上がる。
「ちょっと、そんなかわいそうな持ち方ダメでしょ」
「でもこれで大人しくなるから」
そう言われた通り、子犬はむちむちの足をピーンと伸ばして、ダラーンとぶら下げられている。
ただしその瞳だけは、何かを訴えるようにちらちらと、そして「くーん」と鳴きながら、こちらに向けられている。可愛い……。
「……ヴィンス、嫌われちゃうよ?」
「このタイプは躾失敗すると、ただのポンコツになるから」
「私は失敗だと⁉︎」
「クリスはいつから犬になったんだよ」
心配して言ったのに、生意気である。だから噛み付いたら、呆れて返されました。
む、そう言われると私は犬じゃないけど。
いかんな。犬扱いに慣れている。
そしてかわいそうなので、脇に手を入れるようにして、ヴィンスから子犬を引き受ける。
子犬は足をパタパタとしながら、手をペロリと舐めた。
もう可愛ければ良くない? ダメ?
「……2人とも顔、洗う? 預かる」
「ありがとー! さすがノアール君はお兄ちゃんと違って、気が利くわ‼︎」
こっちを見つめたまま、ブンブン尻尾を振り続ける子犬を、ノアール君に渡す。子犬の興味はすぐにそちらへ移る。
ノアール君は子犬を優しく撫でている。
撫でるの上手いな!
「なんでだよ⁉︎ 助けてやったのに‼︎」
「ヴィンスは相手への優しさが足りないわ」
「甘やかすだけが優しさじゃないけどね」
せっかく注意したのに、弟の要らぬ茶々が入る。
ちょっと睨んでおいた。
ヴィンスは共感者がいて喜んでいるようだが。
「だよなセス! よく言った!」
「でもこのままだと、鞭だけの人になるよ」
その結果が、リリちゃんとこの子犬ちゃんであると、何故気付かないのか。
どうもヴィンスには、女好きルートがなくなっちゃいそうだから、時には優しく接する大事さを学んで欲しいのだけど。
「ヴィン君は優しいと思うけど?」
「……うん。兄様は優しい」
弟組に援護されて、背後に花でも咲きそうなほど、ヴィンスは見るからに嬉しそうである。
うん、いや、微笑ましい上に可愛いな、とか思っちゃったけど、ダメだから!
「それは2人が、ヴィンスは良い人って知ってるからでしょ! ヴィンス! あなた、リリちゃんみたいな子を増やしたいの⁉︎」
「う……っ」
心を鬼にして注意すると、刺さったらしい。
そう。ヴィンスは結局意地を張るので、リリちゃんと前よりマシだけど、仲良くはなれてない。困ったものだ。
「ヴィンスには、滲み出る優しさが足りないわ……目指すはブランよ!」
「は、ハードル高くないか?」
「ブラン君は無理なんじゃ……」
「よし、やってやろうじゃねぇか!」
3秒で掌返しである。負けず嫌いだからね……セツが今回はいい仕事した。
「お兄ちゃん力を鍛えることは、それ即ち優しさが溢れることだわ! まずはなでなでマスターからよ!」
「……その前に、顔洗う?」
優しいノアール君の配慮により、まずは顔を洗うことにしました。ずっと気にしてくれてたのね。
「……では、さっぱりした所で! 実践! なでなで特訓を開始します!」
私の宣言に、ノアール君だけはパチパチと拍手してくれる。良い子!
ちなみにその足元には、ころころの子犬がくるくる回ってます。ここは癒し担当だな!
「アホくさ」
「口を慎みなさいセツ! こっちは大真面目よ!」
「悪いなセス……でもここには、負けられない戦いがあるんだ!」
「ヴィン君は何と戦ってんの?」
「ワンワン‼︎」
ほらほら見なさいよ! 子犬ちゃんも応援してるわ‼︎
「という訳で、この子犬ちゃんにも協力してもらうわ!」
「ワン!」
脇の下に手を通し、お尻を持つようにして持ち上げる。向きは外向きに持って、みんなに見えるようにしている。
でも子犬ちゃんは元気なので、首を後ろにしようと頑張っている。足も水掻きしそうなくらい、忙しなく動く。
「ヴィンスはいつも、どうやって撫でてるの?」
「どうやってって、こう……」
片手を持ち上げたヴィンスは、そのまま頭を掴む勢いで手を伸ばす。
「ストーップ!」
「⁉︎」
「見てみなさい! 尻尾が縮こまっちゃったわ!」
案の定、目の前に手が迫って怯えた子犬ちゃんは、尻尾をお腹側にクルンとしている。
「セツ! お手本!」
「えっ急に言われてもなぁ……」
そう言いながらもセツは、手を子犬ちゃんの鼻先に伸ばして、ぺろだらとされてから、横からゆっくり撫でた。
「ヴィンス見た⁉︎ これが正解よ!」
「え、ごめん何が違うんだ?」
その戸惑いに戸惑う。初心者には難しいのか?
「まず頭の上から手を伸ばすのがダメ! 叩かれるかもって警戒するわ! だから最初は敵じゃないっていうアピール、まぁ挨拶ね。挨拶をしてから、横から手を伸ばす!」
そう伝え、ヴィンスの方に子犬ちゃんを向ける。
ヴィンスは恐る恐る、その鼻先に指を近づける。子犬ちゃんはぺろっと舐めてから、様子を伺うようにヴィンスを見る……か、可愛い……じゃない!
褒めるのそっちじゃないや!
「ヴィンスいいよー! その調子よー! じゃあ次頭よ! ゆっくり! 優しく! 慈しむようにね‼︎」
「お、おう……」
そろ〜っと手を横に動かして、頭にポンッと置くと、ゆっくりゆっくり、優しく撫で始めた。
すごくぎこちない。
ヴィンスの顔も、強張っている。
でも、子犬ちゃんの尻尾は、ゆらゆら揺れ始めた。
「ワンワン!」
もっと撫でろ、というように、子犬ちゃんはヴィンスを見つめながら吠える。ヴィンスが少し力を込めて撫で始めると、尻尾はブンブン振れだした。
「そーよヴィンス! その感じよ‼︎ 子犬ちゃんも喜んでるわ‼︎」
「お、おう……これだけ分かりやすいと、確かに大事なのは分かるな……しかし、並んでると……」
「ん? 何?」
ヴィンスがちらちら、こちらと子犬ちゃんを見る。
思わず小首を傾げると、子犬ちゃんもタイミングを計ったかのように、コテンッとした。
「……犬が2匹」
「「ぶっ‼︎」」
ノアール君の発言に、約2名の負笑者がでた……ってなんでよ⁉︎ 今私、何もしてないんですけど‼︎
「……よしよし」
私の怒りを感じ取ったのか、ノアール君は私と子犬ちゃんを撫で始めた……違う、これ犬扱いだ‼︎