113話 思い出はそのままで
「あ、溶けるとは違うんだけど、そういえば水晶がね、割れちゃったんだ」
「え、それはあの、最初に見せてくれた水晶ですか?」
「うん……お父さんのだったから、ちょっと残念だな」
私が倒れた拍子に、一緒に落として割ってしまった。まぁ、その前にもうヒビが入っていたんだけど。
「……自分では、直さないのですか?」
少し言いにくそうに、アルが問う。
「どういう事?」
「闇の魔力なら、幻惑……百合を作り替えたように、リリーの髪飾りにしたように、元に戻す事ができるでしょう?」
あぁ……そういう事か。確かに思いつかなかったけど、可能なんだろうな。でも。
「私ね、あの水晶は『お父さんの水晶』であって欲しいの……確かに私なら直せるよね、元通りにも、もっと綺麗にも出来るかも。でもさぁ……それって、なんか違うなって思っちゃうの」
例えばあの水晶には、もしかしてお父さんが使ってるうちに付いた、小さな傷もあったかもしれない。でも、私はそれが何処にあったか知らない。作り替えた時、それは元に戻らない気がしてしまう。
「私があれに手を加えちゃうと……見た目は同じでも、中身が違う気がしちゃうというかね。まぁ、心理的なものなんだろうけど……アルは、スワンプマン問題って知ってる?」
「スワンプマン、ですか?」
「うん、思考実験なんだけどね」
一呼吸置いて、視線をテーブルに逸らす。カップはもう空だ。
「沼の近くで雷が落ちたとします。そこにたまたま人がいて、当たって黒焦げで死んでしまうの。でも、雷の衝撃でたまたま、同じ分子構造が作られて、沼から記憶まで同じ人が生まれる。その人はそんな事知らないから、さっき死んだ人の続きの行動をし始める。これは、死んだ人と同じ人なのかな? って話なんだけど」
まぁ今回は水晶だから、そこまで悩むほどではないのかもしれない。でももう2度と手に入らない、私にとっては特別な物、という意味では同じなのだ。
「アルはどう思う? 同じ人かな?」
「それは……随分と難しい問題ですね……」
こんなの、6歳に聞く話じゃない。知ってる。ただの私の感傷だから。
「ふふ、私はね、違うなーって思う方なんだ。私はあの水晶が良かったの。だから、変わってしまうなら、割れたままでも良いかなって。直した瞬間に、あれは『お父さんの水晶』じゃ、なくなってしまう気がして」
死んだ人なら、話は別なのかもしれない。だってどんな形でも、居て欲しいと思うかもしれないから。でもあれは物だ。意思も何もない。ただ、お父さんが使ってた物。
「……何が正しいかは、私にはまだ分かりません。でも……」
テーブルに目を向けてそう言って。その後アルはまた、こちらを向いてふっと微笑む。
「私は、ティアの考え方が好きです。大事にしているんだなと、すごく感じられるので」
「ふふ、ありがとう。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
私、アルのそういう、広い捉え方ができる所、すごく好きだな。言わないけど。だってこれを言ったら、何か違う……違ってしまう気がするから。
だから代わりに、紅茶のおかわりを頼んだ。全部飲み込んでしまいたい気分だ。
「では新しい水晶をプレゼントしますね!」
「え?」
「そんなに大切にして貰えるなんて、あげる甲斐があるじゃないですか! それにティアは、もうすぐ誕生日でしょう?」
そうだ。そうだった。お返しと、何頼むか考えなきゃで……って。
「あれ、なんで知ってるの?」
「お父上に聞きました」
「お父様は何をアルに話してるの⁉︎」
「嬉々として話されました」
「本当に何をしてるの⁉︎」
どうも最近、溺愛っぷりがヤバい気がする。どうしたんだろうか。そんなに娘が欲しかったのか? セツだって、まぁ可愛いと思うよ?
焦る私をよそに、アルはコロコロ笑っている。……まぁ、アルが怒ってないなら良いのか?
「ティアは人の心を動かす天才ですね。そうそう、聞きましたか? ヴィスの話」
「え? 何それ聞いてないけど……」
今度はどんな問題話が来るのか。身構えて聞く。
「ヴィスの家は、お母上がその、おっとりされた方でして。少し子供に放任的なんですけれど……ティアも気付いてましたよね。お母上の話がでない事」
あぁ、それか。それが原因で、ヴィンスは女好きになっちゃうんだもんね。おまけにお姉さん達とも、上手くいってなかった筈だけど。
「この前のーーティアの為に養子を打診した件で、どうも一目置かれるようになったらしく」
「え、それどういう事なの? 普通、養子打診されたら、ふざけてるとか思うんじゃないの?」
「いえそれが、一つの意見をしっかりと主張出来た事で、子供ではないのだと思わせたようでして……どうも最近は、話をするようになったようなのです」
へ、へぇ……それはまた。ヴィンス相当頑張ったのね。今度会ったらすごいね! って言わなきゃ!
「あとお姉様達に関しても……」
「まだあるんだ⁉︎ すごいなぁヴィンス!」
「……ふふ、そうですね。お母上に認められた事で、どうもお姉様達へのお母様の対応も、変わられたようでして」
子供に興味を持ったって事なのかな? それは良い事だね。
普通のお母さんみたいには、今更なるのは難しいかもしれないけど、それでも子供には、やっぱりお母さんはお母さんだよね。……まぁそれが、呪縛になる時もあるけど。
「そのことでよくやったと、お姉様達に褒められた、しかも撫でられたとヴィンスが言ってました」
「……へ?」
「すごく満足げでしたので、嬉しかったんじゃないでしょうか」
「そ、そっかぁ……」
なんだそれ。想像するとちょっと可愛いじゃないか。やっぱりヴィンスも子供だもんね。お姉様達とも上手くいくなら、その方がいいよね。
「その後すぐ喧嘩したみたいですけど」
「ほっこりしたのにダメじゃん!」
「そうですね、でも今までとは変わってきそうです」
そーかぁ……ヴィンス頑張ってたんだねぇ。……私は迷惑を掛けて何してたんでしょうね……ごめんよ。
「まぁ、ティアのお陰だということですよ。恐らく後で何か言われると思いますけど」
「それは違うよ! ヴィンスが頑張ったからだよ!」
「……そう言うと思いました。でも、きっかけはティアですから。感謝の言葉があれば、受け取ってあげて下さいね」
こう言う話をするときのアルは、まるで大人だ。瞳を閉じて、薄く微笑む姿が決まっている。私はこうはなれないだろうなぁ……。
物思いに耽っていると。
「おにいちゃん‼︎ おねえちゃんがきてるの、リリーきいてないの! 独り占めきんしなの!」
またもやすごい勢いで部屋に入ってきたのは、リリちゃんだった。
「……バレてしまいましたか」
「ひどいの! リリーをよばないなんて!」
「たまにはお兄ちゃんが独り占めしても、許されると思いませんか?」
「リリーも独り占めしたいの! おにいちゃんだけずるいの!」
「私の婚約者なんですけどね……」
「リリーは妹なの! リリーに譲るの!」
「あの私、物じゃないんですけど……」
私の意思や何処に?
まぁ、アルもたまには息抜きで、静かにしたかったのかなぁ。リリちゃんいると、静かにお茶は出来ないもんね。お兄ちゃんの悩みだねぇ。
分かるよー、可愛いんだけどね。下の子ってどこでも追いかけて来て大変だから、とにこにこして見守る。
「ティア、多分考えている事違います」
「え?」
こうしてお茶の時間は、今日も賑やかな主張大会へと変わったのであった。