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心配性とトンネル

よろろんです

 心配性の朝は早い 

 

 何かトラブルがあっても学校に遅刻しないように一時間の余裕を持って登校するのだから、当然目を覚まさなきゃいけない時間は早くなる。

 

 きちんとした生活を送る人は、常に五分前行動を志すというが心配性は五分前の五分前行動をとってしまう。更にその五分前行動と、時間に余裕がある場合は連鎖して続いていくことさえあったりする。

 

 トラブルが起こっても大丈夫なように半分RTAみたいな朝の支度を整え高校へ登校し、朝のHRまで予習をする。


 周囲の話がヒントになり、忘れていたり知らぬ間に出されていたりする課題を成し遂げる事が出来るので重要な時間だ。

 

 後はそのまま真面目に授業を受けていれば大抵波風なく一日が過ぎていく。

 

 放課後はたまに図書委員の仕事があるくらいで、部活にも入っていないので家へ直帰し、授業の復習や趣味や遊びに残り時間を費やして11時に就寝するのだ。

 

 小学校中学年くらいから続くこの生活サイクルは僕に穏やかな日常を与えてくれ、幾多のトラブルを乗り越えてきた。

 

 故に朝早く起きれば大抵の事は解決してくれる、と僕は言い聞かせて心の安寧を得ているのだが。

 

 目が覚めると見知らぬ森の中で見知らぬ網に捕らわれた見知らぬ少女と相対しているこの状況を登り始めたばかりの朝日は解決してくれるだろうか。

 

 いや、無理だ。現実逃避している内にも太陽は上空へ逃走していく。僕は逃げいく太陽にすがる様に呟いた。

 

 「助けてください、胃に穴が空きそうです」

 

 太陽を直視したせいでクシャミが出たが事態には何の影響もなかった。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 僕の休日の習慣は早朝の散歩だ。夜空に冷やされ澄みきった空気の中で、何時もより少し静かな町を歩くと何故か知らないが浄化されたような気分になるからだ。

 

 故に、特別でも何でもない休日である今日も習慣をこなすべく履き慣れたスニーカーに足を通す。

 

 玄関を開けば本当に何気なく訪れる休日の朝が溢れていた。

 

 道端の小さな新緑から朝露が零れ、周辺の家々が寝ぼけ眼で奏でる生活音が周囲に満ち、どうにも欠伸を禁じ得ない。

 

 至極シンプルに言ってしまえば清々しい朝がここにある。

 

 さて、今日はどんな散歩コースにしようか、と自然に頭が考え始める。この素晴らしい朝を堪能するのが主な散歩の目的で間違いはないのだが、この習慣にはもう一つの目的がある。

 

 ご近所に危なそうな人が越していないかの定期確認だ。ここまで来ると自分の心配性が哀れに思えなくもない。

 

 自分が小学生であった時分には、不審者に会ったら近くの家に避難させてもらえという学校側からの指導があった。

 

 周りのクラスメイト達は適当にうんうん頷いていたのだが、幼い僕は[不審者から逃げた先は不審者の家でした]という泣きっ面に蜂な状況を考えるに至り、家の周辺の安全地帯を探るために休日に歩き回ったのだ。

 

 その名残が現在の散歩であるから、こんな哀れな行動にも懐かしさという大義名分を与えてもいいのではないか、と言い訳を着けて考えを棚に上げた。

 

 ついでにショルダーバックに入っている他人の個人情報満載の安全地帯を記したノートの存在も、もう一段上の棚に置くことにしている。

 

 「よし、今日は全力坂の方に行ってみよう」

 

 勢い余って一人言が飛び出してしまったが、足取りは軽く前へ前へと進んでいく。

 

 全力坂というのは正式名称ではない、昔通っていた小学校の近くにある急勾配な坂の事だ。全速力で下から上まで登れなきゃカッコ悪いという小学生理論が染み付いた因縁のある坂だ。あの坂に削られた寿命の事は一生忘れることはないだろう。

 

 20分程歩くと、子犬とすれ違うくらいの和やかなイベントを挟んで全力坂へ到着した。

 

 坂の途中には小さなタバコ屋が一つとコンビニが一つ、後は民家が立ち並ぶ位で、特にこれといった目立つものはない。

 

 「あれ?もしかして灰田?」

 

 昔より剥がれた白線に幾つかの思い出を脳裏に浮かべていると、前方から自転車に乗った青年から声が掛けられた。

 

 短髪で爽やかであることを主張する顔立ちを持つ彼に、何処か既視感を感じる。心当たりはあるが記憶にある姿と目の前にある彼の姿は随分と剥離している。それでも、七割近い確信を持って彼に話し掛けた。

 

 「間違ってたら申し訳ないんだけど、城崎君?」

 

 「いぇーす、正解だ。流石伝説の男。記憶力も抜群だねぇ。」

 

 城崎 翔、小学生であった頃の自分の友人の一人。六年間の内に三回同じクラスになったのでそこそこに仲は良かったのだが、中学校は別になりスマホも持っていなかった自分達の交流は途絶えて久しい。


 「いや、ほら何て言うか、あれは窮鼠猫を噛むみたいな、火事場の馬鹿力だからさ、わ、忘れてくれると有り難いな‥」

 

 「謙遜するなって!この坂を風の如く走り抜けたあのインパクトは七年経った今でも鮮明に思い出せるぜ。」

 

 「あ、あはは‥」

 

 苦笑いに頬がひきつる。黒い歴史を賞賛されど恥ずかしさはあれど、誇らしさは欠片たりとも湧いてこない。

 

 「城崎君は部活?サッカー続けてるの?」


 「いや、今は陸上やってる。サッカーも楽しかったけど、陸上も楽しいぜ。人生楽しんでる実感があるよ。」

  

 彼の快活な笑顔に懐かしいという感想を抱く前に人の根本というなかなか変わらないものなんだなぁと、そんなことを思うと同時に小さな劣等感を感じた。

 

 心配性であるが故に、未来が希望を抱くものだと思えない自分は虚しい人間なのかもしれない。

 

 「っと、朝練行かなきゃ。久しぶりなのに悪いな。これLuinのIDだから、暇なときに遊びに行こうぜ。」

 

 彼は携帯カバーのポケットの中から文字列の書かれた小さな紙を押し付け、強めの踏み込みで長く急な全力坂へペダルを踏み出した。

 

 短い邂逅であったが、この散歩道を選んで間違いは無かったと思えた。ほんのりと美化されつつある過去が偽物では無かったような気がする。

 

 暫しの感傷の後に心配性の散歩は再開され、全力坂を登りきってユルユルとした傾斜の緩い下り坂を進む。

 

 この下り坂は山に俗し、道の片側は木々が生い茂って小さな森を形成し、ハイキングではないが緑色の安らぎを漂わせている。

 

 そんな道中太陽の輝きが目に差し込み、視線を木々の隙間に反らすと木々の奥に見知らぬ空間を発見した。

 

 木漏れ日は深い緑を散らし海中を思わせ、祠を連想させるような神秘を宿し深淵を携え何者かを待つようなトンネルが苔むしたその身を誰に憚ることもなく堂々と現していた。

 

 この道は何度かと言わず何度も通っている。おかしい、こんな所にトンネルなんてある筈がない。よしんば普通のトンネルだしても何処に通じているんだ。こんなに小さな丘にトンネルを通すメリットなんてない筈だ。

 

 混乱の極致に思考回路はグルグルと回り焼き切れそうになる。疑問と仮定と否定が浮かびは泡の様に消滅する。真っ赤な血液が連面と受け継がれてきた心配性の歴史が警鐘を、いや鼓膜を破かんばかりの爆音を響かせる。

 

 そして僕の頭は唐突に冷却された。そうだ、関わらなければいいのだ。触らぬ神に祟りなし、未知は死と同等だ。

 

 何ともあっさりとした結論、覆しようのない正論、帰ればこのトンネルの情報を調べることも出来る。未知が死と同等ならば、情報は命と同等だ。

 

 深く、あのトンネルの深淵を越えるくらいの気持ちで呼吸をする。心臓は激しい鼓動で失った寿命を取り戻すように非常にゆったりと動いている。

 

 風が吹いた

 

 木々がざわめき、木漏れ日が揺れた。

 

 トンネルの深淵から空気が通り抜け、コォォと静かな溜め息が僕を撃った。

 

 「あっ」

 

 小さな声が何処からか漏れ出る

 

 いや、自分の喉から叫び出る

 

 違う、違う、違う違う違う違う違う、僕は僕は僕は僕は…っ!

 

 再び苔むしたトンネルは風を使って小さな溜め息を吐き出す。

 

 僕の人生は怯えるだけの人生じゃない!誰にも心を開けなくてもいいじゃないか!信じていた人に裏切られるのは痛いし怖いじゃないか!

 

 トンネルが意思を持つわけがない、そんな事は考えずとも理解している。だけど、あの溜め息は僕に向けられたものだ。

 

 心臓が痛い、目頭が熱い、全身がグラグラと沸騰しそうだ。何よりあの溜め息に対して心からの反論が出来ない自分の全てが情けない。

 

 人間というのはきっと欠陥品だ。友情の中には裏切りの可能性が含まれ、愛情の熱は冷める可能性を持っている。とある孤独主義者曰く、裏切りは信頼の産物だ。とある小説家曰く、世の中に変わらないものはない。

 

 それでも人間は隣人を持つ。まるで壊れたまま動き続ける機械だ。

 

 それなら、僕が上部だけ真似るだけでいいじゃないか。傷を避けることの何が悪いと言うんだ。壊れかたの違いになんて幾分の価値があるというんだ。

 

 僕は間違ってない、つまらない人生なんて送ってない。

 

 トンネルから溜め息がまた吐き出された。風が鼻腔へと未知から深い森の薫りを運ぶ。

 

 やはり、それでも言い訳だ。

 

 僕は草が足を撫でるのも気にせず駆け出した。

 

 トンネルに向かって

 

 苔むしたコンクリートの壁面を突き飛ばして前へ進む。白いシューズがぬかるみに汚れるのを忘れて駆ける。

 

 あぁ、なんて馬鹿な選択だろう

 

 普段やらないことをやるなんて明確な失敗の予兆だ。虚しいともとれる生活の恩恵ともとれる安寧を捨て去って僕は駆ける。

 

 スポーツをするときのような整えた呼吸法なんてしてられなかった。この時、僕は初めて僕の命を燃やした。

 

 荒い呼吸は血を霧にして吐き出すように熱く焔を宿し、息苦しさに充血する瞳はマグマのような涙を流す。

 

 意味が分からない。僕が行かなくてはならない意味だって分からない。本能も理性も疲れを宿した体さえも僕の行動を否定する中で、僕が深淵を裂いていく。

 

 もしかしたら、全部失ってしまうかもしれない。

 

 深淵の先は崖で、このまま駆け抜ければ真っ逆さまに落下して死んでしまうかもしれない。

 

 戻れないかもしれない。安全で和やかに過ごせる居場所へは戻れないかもしれない。

 

 僕の事を大切だって言ってくれた家族にもう二度と会えないかもしれない。

 

 遂に僕の思考も行動を否定した。

 

 それでも

 

 僕は進んでいく

 

 

 

 

 指先に光が触れた

 

 

 

 

 安堵という未知へ飛び込んだ状況に相応しくない感情を抱き、気を失った。

 

 

 

 

 

 

 『【超進化細胞】条件起動、環境への適応を開始します。適応後、【本能的適応力】の稼働を設定。』

 

 心配性が異世界にやって来た。

 

 

さて、どう暴走させるべきか

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