第六話 [蠢動]
草原に点在する、まばらに潅木が生えた森の中に、少年と魔物の声が響き渡っていた。
「ふんぬふんぬ!!」
「ギャッギャッ!!」
森の中の開けた場所で相対するのは、普通の平服を着たフェリオと全裸の小醜鬼である。
このひとりと一匹が1VS1の戦いを繰り広げていた。
ちなみに小醜鬼というのは、もともと土の妖精種が魔素によって変異した妖人種であり、人里近くに出没しては畑を荒し、家畜を襲い、人を喰う人に似た魔物である。
見た目は緑色の肌をした醜い小人で、平均してだいたい五十~百匹ほどの群を作る。
特徴らしい特徴はないが、繁殖力が旺盛で、一度に三~五匹ほど子供を生み、生まれた子供はおよそ十日ほどで大人になるが、他の魔物に喰われたり共喰いをしたりで大人になるまで成長できるのはおよそ二割程度である(さらにその二割も過酷な生存競争で、日々削られていくが)。
それでも、まるでボウフラのように人里近くに湧いてくるので、ある意味、人間にとってもっとも脅威の高い魔物と言えるかもしれない。
そんなわけで新人冒険者以前の見習い(鉛色の冒険者プレートを持った、いわゆる鉛級)冒険者が受けられる討伐対象としては、ありふれた相手と言えるかも知れない。
なお、魔王軍では小醜鬼は兵としてカウントしないが、大豚鬼など、より高位の魔物には本能的に逆らえないため、必要があればそうした魔物が強制的に野良の小醜鬼を集めて、肉壁として扱ったりしていた。
知能は低く、どうにか木の棒を振り回す程度。
身の丈は一・二メルほどでフェリオの肩ほどしか身長はないが、力はそこそこ……見た目に反して、鍛えられた大人程度あり、なにより野生動物の本能で襲い掛かってくるので、舐めてかかった見習い冒険者(鉛級)が、犠牲になる割合も高い。新人になるための最初の難関とも言える。
「――ファイトです。あと三十分くらい粘れば倒せると思います。多分」
その小醜鬼相手に、延々と二十分ほど、泥仕合をしているフェリオに向かってルシアの声援が飛んだ。
途端、
「あと三十分……」
げんなりした顔になるフェリオ。心なしか、ギルドで借りてきた小剣を振り回す勢いも減じて、緩慢というか投げやりな手つきに変わってしまったようにも見える。
「……あー、面倒なら、もう終わりにしようか?」
手にした魔鋼製の剣で、その一匹以外の小醜鬼の群れ三十匹あまりを、ほぼ瞬殺したランスが、フェリオに助け舟を出す。
「い、いいや。頑張るよ! このくらい俺一人で倒す!」
「そうか。ん~……まあ、辛くなったら言ってくれ」
護身術程度ではあるものの、剣の嗜みはあるから大丈夫! 俺に任せてくれよ! と、始める前はルシアたちに胸を張って言い切った手前、必死に頑張ってはいるのだろうけれど、実際のところフェリオが真剣を使っての実戦はこれが初めての筈である。
肉体的な限界よりも精神的な限界が先に来るかもしれないな……。
フェリオのやせ我慢に苦笑しつつ、ランスはそう思って、一見して自然体ながら、状況に応じていつでも割って入れるように、その場に立って仔細に様子を窺うのだった。
ちなみに曲がりなりにも、こうしてフェリオと小醜鬼の戦いが拮抗しているのは、当然ながら種も仕掛けもある。
通常であれば素人に毛の生えた程度の13歳が、1VS1とは言え、小醜鬼に『いい勝負』ができるわけがないのだ。
まして、フェリオの持っているのは、ただの鉄剣である。魔物というのは無意識に《場》をまとって、これを防御や攻撃に転用する。これを突破できるのは、よほどの強力か専用の武装、あるいは魔術を用いるほかはない。
ところが、フェリオは普通の鉄の塊りで、それなりに魔物を向こうに回して闘えている。あり得ない状況であった。
その手品の種とは――
「う~~ん。フェリオにダウンロードした『剣術Lv1』以上に、使えるスキルを持っている小醜鬼はいないみたいですね」
ランスが仕留めて血の海に沈んでいる他の小醜鬼の死体を、一通り歩いて確認していたルシアが、小さく首を横に振った。
「スキルを付与できるとか、魔王の能力って凄いんだなぁ」
感心するランスに向かって、軽く肩をすくめるルシア。
「正確には、未完成の魔王である私――第九番目の魔王としての特技ですね。これまでに何柱か会ったことがありますけど、他の魔王はできないみたいですから」
ということで、事前にルシアがフェリオに『剣術Lv1』のスキルを、死んだ小醜鬼から移譲しておいたのが理由のひとつ。
それともうひとつ。
「いででででっ! こんちくしょう!!」
「おい、いまのかなりのクリーンヒットだったけど、本当に助けなくていいのかい、ルシア?!」
「大丈夫です。小醜鬼の攻撃など、私の髪の毛一本あれば、一万回当たっても致命傷にはなりません」
と、事前にルシアが自分の髪の毛を一本抜いて、お守りとしてフェリオの小指に巻いておいたため、これが《場》を形成して、下級の妖人の攻撃など寄せ付けないからであった。
結果、お互いに延々と殴り合いを続けるという、当人たちにとっては必死だが、見ている分にははなはだ盛り上がりに欠ける戦いと化していた。
◆ ◇ ◆ ◇
夕方、倒した小醜鬼の魔石を冒険者ギルドへ持っていき、精算を終えたルシア、フェリオ、ランスはギルドに併設された食堂で、今後の話をしていた。
「全部で300ボルか……」
鉛色の冒険者プレートを手に取ってため息をつくフェリオ。冒険者プレートは預貯金にも使えるため、ここへ報酬が振り込まれるシステムとなっていた。
そして、今回の初戦闘で、小剣のレンタル代を払ったフェリオの取り分の残りはそれだけだった。
ちなみに宿の部屋は一泊500ボルである。
「足りないなら少し貸そうか?」
軽く今日だけで一万ボルほど稼いだ(聖銀級冒険者としては、ハナクソのような金額だが)ランスが、自分のプラチナ色の冒険者プレートを振る。
「い、いいよ。最初に約束したろう。自分の食い扶持は自分で稼ぐって!」
ムキになって返すフェリオの様子に、ランスは何度目かになるかわからない苦笑を漏らした。
「……というか、いつまで一緒にいるんですか、ランス?」
おやつ代わりに森の中で見つけてきた木苺を食べていたルシアが、当たり前のような顔でテーブルに並んで座っているランスを横目に見た。
「いつまでって……生活費を稼ぐため、偽名で冒険者登録したいから保証人になってくれって頼んできたのは君だろう!? あと、いまの自分を見て判断してくれっていうからだよ!」
「言いましたけど、ここまで馴れ合うのってどうかと思いますよ、立場的に」
「いいじゃん、姉ちゃん。兄ちゃんとしては少しでも姉ちゃんと一緒にいたいんだよ。少しは察してやれよ」
「……そうなのですか?」
無表情に確認され、ランスは照れたように顔を逸らせた。
「まあいいでしょう。――さて、半日討伐クエストをやってみて、どう思いましたか、フェリオ?」
「疲れた」
「でしょうね。最後の方では小醜鬼に馬乗りになって、その辺の石で顔面を強打していましたし」
「あー、あれは意外と効率的だったな、うん」
「ええ、途中からインストールした『蛮人Lv1』が終わった時には『蛮人Lv3』まで上がってましたからね。『剣術Lv1』は逆に『剣術Lv0』に退化していましたけれど」
最終的に目玉が飛び出して、鼻から脳味噌が溢れていた小醜鬼の死体を前に、血に染まった石を両手で抱えて勝利の雄叫びを上げていたフェリオを思い出して、さすがにもうちょっとなんとかならんものかなぁ、これでもいいところのお坊ちゃんのはずなんだけど。と頭を悩ますランス。
「やはり攻撃力の増強が急務でしょうね。防御はしばらくは私の髪の毛でなんとかなるとしても」
「と、なると魔鋼製の武器が必要か」
難しい顔で腕組みするランス。
「……魔鋼の武器って、もしかして高いの?」
恐る恐る訊ねるフェリオに、ランスが愛用の剣を指して、
「これは重さが変えられるだけで、特になんてことはない剣だけど、これでも百万ボルはするね」
「ひゃ、百万!?」
「これでも安い方だよ。魔鋼ってのは、魔物の素材を特殊な製法で鋼と溶け合わせたものだから、素材になった魔物のランクが上がったり、稀少だったりすると軽く億を超えるんだ」
ちなみに魔王はもとより純魔族を素材にして魔鋼を打つことはできない。魔力量が多すぎて、鋼の方が耐えられないからである。
「うわぁ、じゃあ、とても無理だなぁ」
「あるいはどこかの遺跡とかから、魔鋼製の武器を見つけるか。あるいは自分で材料を持ち込むか」
「う~~ん……」
絶望的な顔で呻るフェリオの反応を、意味ありげに眺めていたランスだが、
「実を言えば、ここに来る前に割と大物の妖獣を倒していてね。それの素材が余っているんだ。それで魔鋼製の武器を作ってみないか? お金の貸し借りは君の矜持に関わるだろうけど、物での貸し借りなら妥協できないかな?」
爽やかに少年に配慮する。
とはいえ、そう言われても、素直に「うん」とは言えない男の子であった。
ちらりとルシアを見れば、
「いいのではないですか。どうせ余っているのなら」
と、あっさりしたものだったので、フェリオはしぶしぶランスの言うまま、とりあえず魔鋼製の武器を見るために鍛冶屋に行くことにした。
そんな三人の様子を、
「なんで、兄ちゃんが魔王になったはずのルシアの姉ちゃんと、滅茶普通に一緒にいるわけ!?」
物陰から旅妖精のダグが、唖然とした顔で窺っていた。
「な、なんかわかんねーけど、皆に知らせないと!」
慌てて踵を返して、小走りに仲間の元へ戻ろうとしたダグだが、
「いてっ」
「――おっと」
通りがかりの背の高い、ドレスを着た亜人にぶつかって尻もちをつく。
「おやおや、大丈夫、坊や?」
おそらくは爬虫類系の獣人なのだろう、全身を青い鱗でびっしりと覆われ、これまた青い毛髪を男性のように刈り込んだその女性(?)は、蛇のような瞳孔を細めて、自分の臍ほどまでしかないダグの手を掴んで立たせてやる。
「あ、ありがとう、姉ちゃん……?」
ほとんど力を込めていないというのに、ひょいと風船みたいに引っ張りあげられたダグは、表面上はにこにこと愛想を振りまきながら頭を下げた。最後が疑問系なのは、一見してその人物が女性か男性か判断がつきかねたからである。
格好は確かに女性のものだが、全体的に女性特有のまろやかさに欠けているような気がする。
それに、何というか、じっと見詰められると自然と背中が寒くなるような、生理的な恐怖を覚える相手であった。
「いいのよ。これからはちゃんと前を向いて歩きなさいな、坊や」
にやりと笑った口元から、爬虫類特有の尖った牙と長い舌がこぼれる。
「んじゃ、姉ちゃん。おいら急いでいるから――」
まだ掴まれたままの腕を振り払おうとするダグだが、まるで万力に掴まれたように、その手はピクリとも動かない。
青い爬虫類女はにこやかに、
「惜しいわね、坊や。私の好みとは懸け離れているので、食指が動きそうにないわね。第九番目の相手の勇者だったら、頭から飲み込んであげるのにねぇ。次に生まれてくる時は、美少女か美少年になってくることね」
「――ッ!?!」
目を見開いたダグの小さな体が、青いドレスの女の影に一瞬にして飲み込まれ、しばし『ポリポリ』『ガリガリ』という咀嚼音がしたかと思うと、ボロボロになったナイフが数本、地面へ投げ出された。
「ふん。最近は好き嫌いが激しくなったものね」
通りを歩く誰も気付かないような早業で、あっという間に旅妖精の青年を始末した青いドレスの女は、そのまま何事もなかったかのように鼻歌を謳いながら、その場を後にするのだった。




