第四話 [魔王が求める代償]
「干しエビと生姜を使ったお粥です。味付けは軽くお塩と鳥の出し汁だけです。アニスは胃腸の負担にならないように三分粥にしてありますが、それでも食べられそうになければ、上澄みの重湯だけでも飲んでください。フェリオと私は五分粥にしました」
宿屋の厨房を借りてルシアが作ったお粥と白湯が、粗末な食器に入れられて各自の前に配られる。
「わあ、すごく美味しそうです。ルシアお姉様っ」
フェリオの手を借りて、寝台のひとつに横になったまま背中に丸めた毛布を当てた楽な姿勢で、上体を起こしたアニスが、湯気を立てるお粥を前に歓声をあげた。
ルシアの神聖魔術で病気は治ったものの、消耗した体力や落ちた筋力は一朝一夕に戻るモノではない。
そのため、こうして無理をしないように、アニスは横になって体力の回復に努めていた。
これもすべてルシアの指示だが、意識不明の状態から気が付いて以降、アニスはすっかりルシアに懐いて「ルシアお姉様」と言って無条件に慕っている。
いちおう第九番目の魔王であることは、暇つぶしのペット代わりにしているウーラやフェリオから聞いてはいるものの、冗談だと思っているのか本気で取り合っていないようだった。
「ありあわせの材料で作ったものなので、お口に合えばいいのだけれど」
もうひとつの寝台に腰を下ろすついでに、アニスの膝の上にヌイグルミのように鎮座しているウーラを、さりげなく下して床に置くルシア。
ついでにその前に、冷や飯に水を掛けただけの水かけご飯を、野良猫のエサよろしく置く。
「……これだけですか」
「生憎とペットフードは売ってませんでしたので」
ヒエラルキーの差に不満顔のウーラに、淡々と返すルシア。
病人や女子供でさすがに大部屋で雑魚寝はできないため、個室をとったものの寝台があるだけで質素な室内にはテーブルなどという洒落たものはなく、またその寝台も子供ふたりで一つなため、フェリオは自分の分の器を抱えてアニスの隣に座った。
「にしても、ルシア姉ちゃんすげえ手際よかったなぁ。厨房の料理人が目を丸くしてたぜ」
「そうですか? ランスたちと旅をしていた時は、大抵、私かエリィが料理番でしたから、まだ体が覚えているのですよ」
「あー、あの兄ちゃんと神官の姉ちゃんか……」
ついさきほどの騒ぎを思い出して、微妙な表情になるフェリオ。
「ええ、基本的にマグヌス派の神官は自給自足がモットーですので、ひと通りの家事は覚えさせられます。あと、この程度は料理のうちに入りません。ふたりの体調が戻れば、きちんとした料理を振る舞いますので、とりあえずこれで我慢してください」
「これでも十分ですけど。でも、楽しみです、ルシアお姉様っ」
魔族に捕まって人質になって以来一年あまり。こんなに嬉しそうな妹の笑顔を見るのは初めてである。
暖かな部屋で、美味しいご飯を、家族や大切な人たちと笑顔で食べる。
そんな当たり前だと思っていた生活が、どんなに眩しくて、どんなに貴重だったのか。
「どうしたのフェリオお兄ちゃん?」
瞼に溜まった涙を右手で拭うフェリオを、不思議そうにアニスが見た。
「……なんでもない。お粥の湯気が目にしみたんだ」
強がりを言うフェリオをちらり横目で一瞥したルシアは、いつもの無表情のまま、
「お粥は冷めるとおいしくありませんから、温かな内に食べてください」
そうふたりを促す。
「そうだな、姉ちゃん」
「そうですね、お姉様」
頷いてフェリオとアニスは食事をすべく、
「「神は天にあり、故に魂と真理もて主を讃えよ。今日の糧を得られたことに感謝いたします」」
いつもの調子で無意識に聖印を切って聖典の言葉を唱えた。
「――ぐはっ!!」
途端、白目を剥いてひっくり返り、その場で痙攣するウーラ。
やってから、フェリオは、ハッとした顔でルシアを見た。
「――神は天にあり、故に魂と真理もて主を讃えよ。今日の糧を得られたことに感謝いたします」
あっさりと同じ祈りの言葉を口に出している――それも自分たちよりよほど堂に入った『聖女』に相応しい仕草である――彼女の様子に、
「本当に魔王なのかよ、姉ちゃん?」
木製のスプーン片手に思わずいつものツッコミがでる。
「実在する天使ならともかく、存在しない全能神に対する祈りなど、単なる音の羅列とポージングにしか過ぎません。無意味です」
「そういうもんなの? 神殿の神官様は『神は常に己の内にいる』って言ってたけど」
「自己満足ですね。突き詰めれば信仰という名の自慰行為にしか過ぎません」
「だけど、これ……ウーラはなんか瀕死の状態でピクピクしてるけど?」
「長年の思い込みで『聖なるもの』にアレルギー反応が出ているのでしょう。自己暗示で自滅しているだけです。そのうち気が付くと思いますから放置しておいて問題ありません」
言葉通り放置して自分の分のお粥を口に運ぶルシア。
「あ、ああ、そうなんだ」
「わかりました、お姉様」
飼い主(?)のルシアがそう言っている以上、大丈夫なのだろう。
そう納得して、ふたりとも食事を開始した。
「「――!?」」
一口口にしたした瞬間、
「美味しい~~っ!!」
「美味ぁ~~~い!!」
ふたりの顔が満面の笑みに変わる。
その後は、無言で餓鬼のようにお粥を流し込むふたりの様子に、
「きちんと噛んで食べてください。あまり一度に食べないように」
満更でもない顔で、かすかに微笑みながらルシアが注意をするのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
草原国家オーガスタに唯一存在する定住者の町ホウチー。
衰弱していたフェリオとアニス兄妹の体力を回復させるため、ルシアがこの町に来て十日が経った。
いつものように市場から転移で宿の屋上へ戻ってきたルシアとフェリオ。
体力も随分と回復してきたので、最近は荷物持ちをしているフェリオが、手にした食材の入った籠をその場に下して、大きく息を吐いた。
「――ふう。今日の半妖精族の姉ちゃんは見境なかったなぁ。あんなところで精霊魔術をぶっ放すなんて」
「イーディスの特技は短弓を使っての連射ですから、まだ、自制をしていたと思います」
「あれでなの!? 洞矮族のおっちゃんや、魔術師のおっさんは、すげーやり難そうに向かって来たのに、あの姉ちゃんはなんかノリノリだったぞ」
「エリィも問答無用で神聖魔術で攻撃してきますし、やはり現実に即応できるのは男性よりも女性のようですね」
「つーか、もしかしてあの姉ちゃんたちって、勇者の兄ちゃんを好きなもんで、この機会にルシア姉ちゃんを亡き者をしようとか考えてない?」
一息ついて落ち着いたのか、「どっこいしょ」と、フェリオは再度荷物を手に持った。
「……なかなか鋭いですね」
口を尖らせて言い募るフェリオに対して、微かに苦笑の気配をにじませるルシア。
「確かにあのふたりは以前からランスに懸想していました。――まあ、ランスはあの性格なので気付いてはいませんでしたけど」
「あ、やっぱり」
「だからと言って以前から私を憎んでいたとか、疎ましく思っていたということはありません。表面上は割り切っていた、と思うのですが」
「あー。まあ、恋敵が聖女様で公女様だからなぁ。勝負になりっこないし、そうなるよな。だけどルシア姉ちゃんが第九番目の魔王になったもんだから……」
「秘めていた恋心が再燃したというところでしょうか? なかなか興味深い状況ですね」
階段を下りて宿の廊下を並んで歩くふたり。
基本的にルシアはよほどのことがない限り転移を使おうとしない。
「人の生活をつぶさに見たいですから」
と言うのが理由らしい。ただ、この宿から外に出る時と帰る時だけは転移を使う。
「昔の仲間に目端の利く旅妖精の盗賊がいますので、後をつけられないように念のためです」
とのことであった。
それでも市場で買い物をしていると、いつの間にかルシアの昔の仲間――勇者の一行――が、どこからともなく集まってきて先ほどのような騒ぎになる。
不思議なことに勇者本人は最初の時以来顔を見せないが、その仲間は毎回必ずやってくる。
その状況を他人事のように口に出すルシアと並んで歩きながら、フェリオはちらりとその淡麗な横顔を窺った。
「ルシア姉ちゃんは……さ、勇者の兄ちゃんのこと、その……まだ、好きなの……?」
「嫌いになる理由はありませんね」
いつもの調子で簡潔に返された。
つまり好きってことか、と自分の気持ちに無自覚なまま、密かに落胆するフェリオ。
「……じゃあ、勇者の兄ちゃんが、ルシア姉ちゃんを敵だと決めて向ってきたら……?」
「本気で戦いますよ。それがランスの選択なら」
気負いのない淡々としたルシアの答えに、フェリオの胸がやるせなく……どうしようもなく切なくなった。
「なにか――」
衝動に駆られるまま、フェリオは自分の無自覚な気持ちを吐露していた。
「俺になにかできることはないの、姉ちゃん? これまでずっと姉ちゃんには見返りなしに助けてもらったんだ。だったら今度は俺が――」
決意を込めたフェリオの顔を、ルシアは歩きながら不思議そうに見返す。
一呼吸置いて、
「見返りなしではありませんよ。代償は必要です」
「――ッッッ!」
思いがけないその言葉にフェリオの息が止まった。
そうだ。なぜ無償の厚意が与えられるなんてと自分は思い込んでいたんだろう。
人間同士でさえ簡単に他人を信用なんてできないのに。まして相手は――。
九番目の魔王が求める『代償』。その言葉の重さに、フェリオの血が凍り、知らず喉がカラカラに乾いていた。
だが、少年は想いを込めて決然と言い切った。
「必要なら命でも魂でも姉ちゃんにやるよ。だから――」
「お金です。実はそろそろ手持ちが尽きそうですので、先立つものがなければ宿代も払えません」
「………」
無言でその場に突っ伏しそうになるフェリオ。
だが、よくよく考えれば13歳の少年にとって、金を稼ぐという行為はある意味、命や魂を売るよりも難しい問題でもあった。
「この間ランスにも言いましたけど、私の貯金は下ろせなくなっているので、当面の生活費を稼ぐ必要があります」
「……あー、まあ、そうだね。つーか、姉ちゃんなら、金を宙から出すとかできるんじゃ?」
「できますけど、人間社会においてお金というのは物や労働の対価です。そうした不正な行為は社会のバランスを崩すもとになるので厳に慎むべきです」
「……姉ちゃん、何回も聞くけど、本当に魔王なわけ? 発想が聖女過ぎて、だんだんと俺も信じられなくなってきた」
疲れた表情でそうぼやくフェリオ。そうして雑談しながら歩いているうちに、いつの間に三人が借りている部屋の前まで来ていた。
一旦荷物を足元に置いて、軽くノックをして、「アニス、俺たちだ」と、声をかけて中から返事がきたのを確認して鍵を開ける。
扉を開きかけたところで、フェリオはふと、背後にいたはずのルシアが、廊下の逆側。ガラスなどない壁に四角く穴が開いただけの吹きさらし窓から、外を見ているのに気付いた。
「姉ちゃん、どうかした?」
確かここから見えるのは宿の裏庭だけの筈である。
赤土が剥き出しになっているだけの景色を思い出して、首を傾げるフェリオを無視して、じっと何かを見詰めるルシアの様子に興味を覚えて、部屋の中に荷物を置いたフェリオも並んだ窓から外を見た。
予想通りの何もない裏庭で、泊り客だろう冒険者がひとり、練習用らしい無骨な鉄剣を振るって、黙々と型を稽古している。
「――って、あれ、勇者の兄ちゃんじゃねえか!?」
「そのようですね。まさか同じ宿だったなんて、盲点ですね」
「盲点なんてもんじゃねえっ!!」
思わず絶叫するフェリオ。
あれだけ用心して転移を繰り返して足取りを消していたというのに、まさか勇者と魔王が同じところを根城にしていたとか笑えない冗談である。
もっともルシアの方は特に驚愕した様子もなく、
「この町の宿屋なんて数が限られてますからね。こういう偶然もあるでしょうね」
「ど、どうするんだよ、姉ちゃん?!」
逃げるのか戦うのか。心臓を早鐘のように鳴らしながらフェリオが尋ねると、
「他の皆は私を探しに外に出て、入れ違いでランスひとりでいる状況のようですね」
納得したように、ルシアはひとつ頷いた。
それからフェリオを振り向いて、どことなく楽しげに付け加える。
「チャンスです。上手く行けばお金を稼ぐことができます」
「……。姉ち~ゃ~ん……」
まさか勇者の兄ちゃんの純情に付け込んで、また、財布代わりにするつもりじゃないよねぇ? と、フェリオが疑心暗鬼の白い眼差しをルシアへ向けた。
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