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第二話 [天幕の市場]

「――ウーラ、いちいち自己紹介しなくてもいいと言ったでしょう」


 第九番目の(エナトス)魔王と紹介された美少女が、左肩の上の生き物へと冷然とした視線を投げる。


「そうは参りません! たかだか下級の妖人とはいえ、仮にも魔王軍の一員。それが至高の存在である魔王陛下を蔑ろにするなど、(かなえ)の軽重を問われる事態にもなりかねませんぞ!」

「服従する民もいない、治めるべき領地もない、賛美する信奉者もいない、ないないづくしの役満(ヤクマン)である魔王に、問われるべき鼎自体が存在するとも思えませんが……」


 達観した顔で肩をすくめてため息をつく少女。


「ですから、常々奏上いたしておりますように、そのご威光を世に広めるべきかと」

「嫌ですよ。本気で喧嘩したら、まだ他の魔王にも大天使にも勝てる可能性がないのですから、目立たないように座しているべき臥薪嘗胆の時でしょう」


 と、笑いの発作に捕らわれていた大豚鬼(オーク)たちだが、ひとしきり馬鹿笑いしたところで、

「いや、面白え冗談を聞いたぜ。魔王軍相手にこんな冗談を言える馬鹿がいるとはなあ」

「このちっこいのは妖獣か? 見たことのない魔族だけど人間の使い魔(ファミリア)とかいう裏切り者じゃねえのか。そのわりには偉そうだが――おっ! わかったぞ。てめー、このオツムの弱い小娘を騙して、『第九番目の(エナトス)魔王』とか『至高の存在』だとか、適当なこと吹き込んで飼ってるんだろう? 頃合を見計らって喰うつもりでいたんだな。頭いいなお前!」

「おおッ。そーか、上手いこと考えたなてめー。だけど、残念、その前に俺たちが喰うけどな。――よっと」

 少女の肩の上にいたマスコットのような魔物を、デコピン一発で弾き飛ばした。


 軽く叩いただけとはいえ、もともとの大きさが桁違いである。小さな魔物は抵抗することもできす、そのままもんどりうって、「ぐへ!」と荒地の上を十メルも飛ばされて、ひっくり返った。


「……まあ、私も実はそれが正解なのではないかと、常々疑ってはいるのですが」

 排除されたマスコットの方を振り返りもせず、銀髪の少女は大豚鬼(オーク)たちに向かって、同意の頷きを返した。


「がははっ、気がつくのが遅かったな、ねーちゃん!」

「まあいい。さっさと裸にひん剥いてお楽しみと行こうぜ!」

「おお、全部の穴っていう穴にぶちこんでやる!」

「ぐへへへへ!」


 獣欲に染まった手が、少女の衣服に触れる寸前、

「……。それはそうと臭いですね。あなた方」

「――あん?」

「きちんと水浴びをしているのですか? していないでしょう? 少なくとも一年以上は洗っていない臭いです。豚は本来、清潔な動物だと言いますけれど、大豚鬼(オーク)というのは豚以下ですね。それと、行動も判で捺したようで、新たな発見がありません。もう、いいですよ、消えなさい」


 心底うんざりした顔で大豚鬼(オーク)たちの顔を見回し、しっしっと手を振る少女。


「ああ? ああん? なに言ってやがる。これからが本番だって言うのに」

「いよいよ本格的に頭がおかしくなったらしいな」


 と、嘲笑する大豚鬼(オーク)たちの目の前から、刹那、少女の体がまるで煙のように消え失せ、

「な、なんだあ……?」

「消え……」

「い、いや、まさかこれは――」

 唖然とした顔の大豚鬼(オーク)の一匹が、唖然とした顔のまま、

「聖なる光よ、断罪の剣となり、穢れし者たちを調伏せよ。――“ジャッジメント”」

 真後ろから放たれた神聖な光を浴びて、粉々に消し飛んだ。


「神聖魔術! それも一撃だと!? 気をつけろ、この女かなりの使い手だぞ!」

 もう一匹が慌てて距離を置いて棍棒を手に、生き残りのもう一匹に注意を促す。


「い、いや、待て。いまのは純魔族が使う転移――」

「うおおおっ、行け、妖豺狼(ガムル)たち! 女を食い千切れ!」


 どうしたわけか及び腰の一匹の静止の声を振り切って、けしかけられた妖豺狼(ガムル)三匹が、少女の周囲を囲むように疾走しながら、イヌ科動物の狩猟本能に従い、各々タイミングをずらして跳びかかった。


 牡牛ほどもある体躯の妖獣。それも連携を主とした多数の攻撃に対して、単身でしかも本来は後方支援職である神官が対抗できるはずもない。

 あくまで『本来であれば』だが。


「潰れなさい」


 一言、少女が呟いた。それがもしかすると呪文だったのかも知れない。

 その一瞬で、別々の方向から跳びかかった妖豺狼(ガムル)が、まるで上から巨人の足で踏まれたかのように、慣性を無視して同時に真下の地面に激突し、ズンッ! という、大地を震わせる地震のような轟音と振動とともに、そのまま熟れたトマトのように三つの染みとなって潰れたのだった。


「念動!? ま、間違いねえ。こいつ――いや、このお方は純魔族だ!!」

 正解にたどり着いた大豚鬼(オーク)の一匹が、悲鳴のような絶叫を放った。


「……魔族ではありません。さきほどあなた方の仲間によって亡き者にされたウーラが言っていたでしょう?」

 気だるげな表情で、ひたりと生き残りの大豚鬼(オーク)二匹を見据える少女。

 その後方では、デコピンで十メルも地面をスライディングする羽目になったウーラが、弱弱しく「まだ死んでおりません……」と、存在をアピールしていた。


 生き残りの大豚鬼(オーク)たちは、ガタガタ震えながら、同時にその言葉を口に出す。


「「エ、第九番目(エナトス)の魔王……様?」」


「はい。はじめまして。そして、さようなら」


 スカートを摘んで軽く膝を折る、カーテシーと呼ばれる挨拶をすると同時に、大豚鬼(オーク)二匹の頭部が、柘榴(ざくろ)のように見えない手によって潰され、残った身体が風に揺れるように、前後に揺らいだ後、地面に転がった。


 眼前で繰り広げられた一方的、という言葉すら生温い惨劇を前にして、腰を抜かしてその場に半身を起こしていた少年は、卒然と理解した。この神の化身のような美しい少女が、間違いなく魔族、それも魔王(シャイタン)の一柱なのだと。


「所持していたスキルは『悪食』に『好色』のようですね。これ単体では使い道に苦慮しそうですが、他のスキルと組み合わせて、何かできるかも知れません。いちおうコレクションしておきましょう」


 と、大豚鬼(オーク)たちの死体を前に、屈みこむようにして右手をかざしていた少女だが、面白くもなさそうな顔で、魔石がある人で言えば心臓のあたりに右手を置いて、「リカバリー」と小さく呟いた。

 それに併せて、大豚鬼(オーク)たちの胸元から黒い光――矛盾する表現だがそうとしか言えないもの――が浮き上がってきて、少女の掌に吸い込まれる。


「――リーディング完了。さて……」


 少女の視線が自分の方に向けられたことを悟った少年の背筋に冷たいものが走る。狼の顎から逃げられたかと思いきや、魔龍の巣に入り込んだような絶望感とともに、せめて最期に妹の姿だけでも目に焼きつけておきたい。


「――あれ?!」

 そう思って地面に投げ出された妹を見た少年の目が、困惑で何度も瞬きを繰り返すことになる。

 見間違いとか幻覚とかではない、先ほどは間違いなくうつ伏せで倒れていた妹が、いつの間にか楽な姿勢で、しかも剥き出しの地面ではなくて白い布の上に横たわっているのだ。


 よくよく注意して見てみれば、下に敷かれている布は、最初にこの少女を遠目に見た時に纏っていたローブであった。

 この場に現れた時にローブを身につけていなかったので、どうしたのかと頭の片隅で疑問に思っていたのだが、つまり……この第九番目の(エナトス)魔王を自認する少女は、先に妹を介抱してからこの場に現れたということだろう。

 と、そう考えた瞬間、さらに困惑が深まった。


「あの子は妹さんかな? DNA情報では両親とも同じと判断できるのだけれど」

「そ、そうです。アニスと俺とは同じ両親から生まれた兄妹です。――あ、すみません、助けていただいたのに自己紹介もしないで。あいつは妹のアニスで、俺は兄のフェリオです」


 目の前の状況から、彼女に助けられたと受け取って、慌てて頭を下げるフェリオ。

 素直な少年の反応に、微かに少女の雰囲気が柔らかくなった。


「フェリオにアニスですね、理解しました。私はルシア。――まあ、便宜的な名前ですけれど。はじめまして」


 意外なほど友好的に挨拶をするルシアに、面食らった表情でフェリオは続く言葉を探して、

「えーと、第九番目(エナトス)の魔王なんですよね……? なんで、俺に敬語なんですか?」

 とりあえず頭に浮かんだ疑問を口に出していた。


「癖のようなものです。魔王と言っても最近、生まれたばかりの若輩者で、国や配下のひとりもいるわけではないので、とりあえず嫌な相手以外にはこの喋り方で通しています。嫌ですか?」

「あ、ああ。そう……なんですか。いや、別に嫌じゃないです」


 と相槌を打ちながらも、何か……色々とヤバイ情報をぽこぽこ気軽に聞いているのではないか。という懸念がフェリオの胸中に湧き上がる。


「ところで、貴方――フェリオも随分と衰弱しているようですね。全体の栄養状態が良くなく、足の裏の傷も膿みだしています。早急な処置と栄養の摂取をお勧めしますが」


『早急な処置』という言葉に、はっとアニスの方を向くフェリオ。

「そ、それならアニスを先に治癒術師のところへ連れていかないと!」


「ああ、彼女――アニスなら、先ほどついでに神聖魔術で治しておきました。栄養失調で感染症に罹患していたようですので、失った体力の回復は、十分な休息と栄養の摂取が必要ですが」


 その言葉に半信半疑のまま、ふらふらと立ち上がってフェリオはアニスの元へと向かう。

 その背後から、

「天なる神よ。大いなる慈悲をもて、敬虔なる子の傷を癒せ。――“ヒール”」

 厳かな祈りの言葉とともに白い光が優しくフェリオを包み込み、全身の擦り傷やうっ血した痣などをたちまち治したのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 草原国家オーガスタの民は遊牧民である。それゆえに特定の町を持たずに、交易などは定期的に場所をかえ、時期や状況に応じて草原の只中に天幕(テント)を張って行うのが通例であった。


 とは言えさすがに冒険者ギルドの支部はフラフラ移動するわけにもいかない。ここホウチーの町は、冒険者ギルド支部である二階建て煉瓦(レンガ)造りの建物を中心として、定住者が住み着いた百戸ほどの小さな町である。

 把握されている住人の数は千人ほどだが、それ以上に外から商売にやってくる遊牧民が多く、町全体に溢れるようにして色とりどりの天幕(テント)が張られ、一年を通じて市場(バザール)が開かれている、これまたオーガスタでは異色の町であった。


 そんな乱雑に立ち並んだ天幕(テント)と人の間を、縫うようにして歩くふたり組がいた。

 純白のローブにフードを目深に被ったルシアと、古着屋で買ったらしいこの地方の民族衣装に革サンダルを履いたフェリオである。


「さすがに魚はないみたいですが、干した川海老が手に入ったので、これで宿の厨房を借りてお粥を作りましょう。マレントゥス出身のふたりならば、食べなれた水産物の方がいいでしょうからね」


 隣を歩くルシアにそう言われて、わざわざ市場まで食材を買いに来た理由に思い至ったフェリオは、何度目かになるかわからない複雑な表情を浮かべた。


「料理までするのかよ、ルシア姉ちゃん。神聖魔術まで使うし、ホントに魔王なのかい?」


 ざっくばらんな喋り方は、当のルシアから楽に話すように言われたからである。下僕を自認していたウーラと名乗った妖獣は憤慨していたが、

「――あら、生きていたのですね」

 ほうほうのていで戻ってきた彼(?)を前に、冷淡に言い切ったルシアのつれない態度に、がっくりと肩を落として続く言葉を並べる気力もなくなったようであった。


「別に魔王だからと言って神聖魔術を使ってはならないという決まりはないでしょう? そもそも神聖魔術は魔素(マナ)を消費する魔術の一形態に過ぎませんから。ただ魔族に効果があるのと、行使するのにあたり、わざわざ聖典を引用して呪文を組んでいるので、見ている分には神の恩寵や信仰心が必要なように見えるだけです。つまるところ教会と天使のプロパガンダに過ぎません」

「ぷ、ぷろぱが……? 姉ちゃんはたまにわかんねえ言葉を使うなァ」

「異界の知識です。適当にニュアンスで受け止めてくれれば結構です」


 淡白というか、心底どうでもいいと思っているような素気無いルシアの態度に、「あ、ああ、そう」フェリオも話の接ぎ穂を失って生返事を返す。

 と、その時、市場の露店から香ってきた香辛料と羊肉の焼ける匂いに、フェリオの喉と腹の虫が鳴いた。


「固形物の摂取は少なくとも一週……七日はやめておいたほうがいいですよ。長期間の空腹に晒された人間が、いきなり固形物を摂取すると胃腸障害で最悪死亡しますから」


 ルシアに釘を刺されて、慌てて露店で焼かれていた肉の塊りから、視線を引っぺがすフェリオ。


「……そういえば、捕まっていた時には食事は出されなかったのですか? 一応は人質でしょう?」


 訊かれたフェリオは、虜囚となっていた時に出された食事を思い出して、げんなりした顔で吐き捨てた。

「でることは出たけど、得体の知れない肉やら臓物やらを適当に焼いただけのシロモノで、とても食えたもんじゃなかった。だいたいが生焼けか、場合によっては生だったから、アニスはほとんど食えなかったし、俺も我慢して食ったけど、味なんて考えたこともなかった」


 フェリオの返した答えに、ルシアは「なるほど」と頷いた。

「魔物は基本、生き物の生気を生肉と一緒に摂取しますから。その延長の感覚で提供したのでしょう。それと魔族の言うスパイスは、生物の感情ですから、おそらくは毎回『絞め殺した動物の肉』『殴り殺した動物の肉』といった具合に目先を変えていたのかも知れません」

「うわぁ、なおさら嫌なもの食わせられたんだな。おまけにこのへんは夜になると霜が降りるくらい寒いのに、焚き火ひとつ焚かせてもらえなかったから、魔物って火を使えないのかと思ってた」

「使えないというよりも使う必要がないのでしょうね。人間は体温がプラスマイナス五度違えば生存の危機ですが、魔物ならその程度は誤差の範囲内ですし」


 相変わらずわけのわからない単語を使っているけど、要するに魔物は何事につけても身勝手で鈍感だって事だろうな――と、理解して頷いたフェリオだが、ふと、さきほどの自分のようにルシアが足を止めて、露店のひとつに注目しているのに気付いた。


「ルシア姉ちゃんどうした?」

 その露店。露台の上でバターをふんだんに使った焼き菓子を作って売っているらしい、甘く香ばしい匂いを前に、どことなく恍惚とした視線を向けるルシアの態度に、

「え、まさか。お菓子に魅せられてるのか?! うちのアニスと変わんねえじゃねえか。本当に魔王か、姉ちゃん!?」

 唖然とするフェリオと、そのままフラフラと露店へ近づいていくルシア。


 と、その時、立ち並ぶ天幕(テント)の数張向こう側から、

「ルシアーーーーーーーーーーーッ!!!」

 という叫び声が響き、赤みがかった金髪の若者が、血相を変えフェリオたちの方へ突進してくる様子が垣間見えた。

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