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第九話 [古竜対魔王]

「たあああ――ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……たぁすけぇてぇ~~~~っ!!」


 中剣形態にした魔鋼製の武器を手に、一気呵成に〈屍食竜(スカベンジャー)〉の群れに飛び込んで行くフェリオ。

 その小さな背中が、巨大な〈屍食竜(スカベンジャー)〉の足元へ消える――と間もなく、ルシアたちの耳に情けない悲鳴が聞こえてきた。


「……二秒と保ちませんでしたな」

 ルシアの肩の上に乗ってその様子を遠目に眺めていたウーラが、ため息交じりに一言感想を述べた。


 砂煙であまりよく見えないが、どうやら〈屍食竜(スカベンジャー)〉たちに蹴られ、踏まれ、揉みくちゃになっている様子であった。


「いきなり近接戦を挑みましたからね」


 置いてあると邪魔な〈ワイバーン〉の死骸を、『スキル・アイテムボックス』で丸ごと亜空間にしまい込みながら同意するルシア。

 ちなみにこのスキルは割と一般的で、人間の魔術師でも使える者は使えるが、収納できる容量は基本的に術者の魔力量に応じるため、人間ならばせいぜい麻袋程度が限度である。


 なお、収納しておけば重さも感じないが、ご都合主義的に時間が停止して、温かい食べ物がそのままいつでも取り出せばもとのまま……などということはなく、それどころか亜空間には水も酸素もないために、下手に収納すると、例えば生物なら即死する仕様であった。


 なお、ルシア――というか《魔王(シャイタン)》の場合は、通常の亜空間よりさらに高次元の空間を利用できるために収納できるスペースはほぼ無尽蔵に近く、その気になれば生き物を含めた『小世界(ミクロコスモス)』を造り出すことすら可能である。

 基本的に『魔王城』――魔王の拠点は――そうした亜空間に存在するのが通例であり、また現在、世界各地に確認される『ダンジョン』の幾つかは、《魔王(シャイタン)》たちが酔狂で作った箱庭のなれの果てと言われている。


 そんなわけで、文字通り踏んだり蹴ったりされていたフェリオだが、いいかげん〈屍食竜(スカベンジャー)〉も飽きたのか、

「――おっ、丸呑みされましたな」

 一際大きな個体が、少年をパクリと一飲みした。


『ぎゃああああああ~~~っ!!!』と〈屍食竜(スカベンジャー)〉の口の中から響いてくる、割と元気いっぱいのフェリオの悲鳴に、ウーラがやれやれと首を左右に振った。


「せっかく陛下が〈ワイバーン〉をお手本を示されたというのに、せめて飛び道具で牽制するくらいの知恵を働かせられんものですかのぉ。――む、噛み切れずに吐き出したようですな。号泣しております」


 何度も咀嚼しようと顎を動かしていた〈屍食竜(スカベンジャー)〉だが、いかにも不味そうな表情でフェリオを吐き出す。


「うわあああああああああああああああああんっっっ!!!」

「ですが泣きながら剣を振り回しているいまのほうが、なぜか強くなっていますね」


 泣いて発狂して剣を振り回すフェリオに、〈屍食竜(スカベンジャー)〉が辟易した様子で距離を置こうとしている。

 無論、ルシアの髪の毛による守護があってこそのこの結果なのであるが、とりあえずは大丈夫なことが証明された。


「とりあえず一匹でもいいので斃せれば自信になるでしょう。――あら?」

「どうかされましたか、陛下?」

 

 虚空を見据えて、微かに瞠目して小首を傾げるルシアの様子に、逆にウーラが驚いて瞬きを繰り返した。

 良くも悪くも泰然自若として、滅多に表情を変えないルシアがここまで内心の感情を表に出すのは珍しい……というか、初めてのことである。


「念の為に部屋の出入り口に設置しておいた髪の毛の結界が、一瞬で断ち切られました。どうやらランスとアニス接触したようですね」

「――ふむ。陛下の守護を突破できるとなると、神剣ですかな?」

「そのようね。鞘に収まったままでも、さすがは腐っても神剣ね」

「いかがなさいますか?」


 気遣わしげな表情で尋ねるウーラとは対照的に、ルシアはいつも通りの平常運転に戻って淡々と応じる。


「放置しておいても大丈夫でしょう。ランスに限ってアニスに無体な真似をするわけはありませんから」

「しかし、勇者に触発されてあの小娘が寝返るという可能性も」

「それならそれで問題はありません。それともウーラ、あなたがいまから転移で様子を見に行きますか? 『どーも。それがしは第九番目(エナトス)の魔王を生み出した魔神官で、ウーラと申します』と」


 まあ、まかり間違ってそんな状況になれば、おそらくはいまのフェリオ以上にランスは発狂するでしょうね、と続けるルシア。

 ある意味、ことの元凶で諸悪の根源とも言える存在が、この似非マスコットにあるのだから。


「いや、それは……」

 さすがにそこまでの蛮勇は持ち合わせていないらしい。視線を泳がせて言いよどむウーラ。


 これでこの話題は終了とばかり、ルシアはふたたび視線をフェリオへ戻した。

 いましも無我夢中で振り回したフェリオの一撃が、偶然に〈屍食竜(スカベンジャー)〉の足の腱を切り裂き、たまらずドウッ! と倒れたところへ、他の〈屍食竜(スカベンジャー)〉が群がって共喰いを始めたところであった。


「……いちおう斃したことになるかしら?」

「微妙ですな」


 仲間だったものを貪り喰うのに夢中で、もはや他のものは眼中にない〈屍食竜(スカベンジャー)〉たちによって、再び揉みくちゃにされているフェリオを眺めながら、ルシアとウーラは同時に首を捻った。

 と――。


『俺の縄張り(シマ)におかしな結界を張ったのは貴様らかーーーっ!!』


 そこへ、遥か天空から割れ鐘のような“念話”が轟いた。

 二流の魔術師なら、それを聞いただけで絶命しそうな猛々しくも高魔力の“念話”の余波を受けて、ウーラは白目を剥いてひっくり返りかけた。


 一方、ルシアは涼しげな顔で頭上――先ほど「あら?」と呟いて見上げたその方向――へと視線をやる。

 見れば、そこには翼を広げた赤い鱗の竜――さきほどの〈ワイバーン〉などとは比べ物にならない巨体と威圧感、なにより身内から漲る魔力をまとった――〈古竜(エンシェントドラゴン)〉が、虚空に佇んでいた。


「結界の設置は私ではありません」


 同じく“念話”を使って、淡々と答えるルシアのその態度が気に障ったのか、

『たわけっ! さきほどから見ていたぞ。妖獣を配下にし、蜥蜴もどきの亜竜とはいえ〈ワイバーン〉を事もなげに屠り、その死骸を丸ごと『アイテムボックス』へ収納し、さらには念話を自在に行使する。貴様、ヒトではあるまい! その貴様が偶然この場に居合わせたなどという詭弁が通ると思うか!?』

 仮に音を使った会話であれば、相手の鼓膜が破れんばかりの猛々しい“念話”を放つ。


 と、その衝撃で完全に気を失ったウーラがパタリと地面に落ちて、夏の終わりの蝉状態でピクピク痙攣を繰り返していた。


 特に感慨もなくその様子を一瞥したルシアだが、再び〈古竜(エンシェントドラゴン)〉に視線を定めると、

「――うるさいですね、貴方」

 これ見よがしに嘆息して見せた。


『ああん……?』

「うるさいと言ったのです。見たところまだ若い個体の様ですが、たかが蜥蜴の親玉の分際で、彼我の力の差もわきまえずにギャーギャー喚かないでください。不愉快です」

『――』


 気負いなく言い切られ、一瞬呆気にとられた〈古竜(エンシェントドラゴン)〉であったが、当然のように次の瞬間激高し、

『愚か者っ!!!』

 頭上から凄まじい勢いで急降下しながら――さすがに〈屍食竜(スカベンジャー)〉たちも慌ててその場から散り散りに逃げ出す――一気に『竜の息吹(ドラゴン・ブレス)』を放った。


竜の息吹(ドラゴン・ブレス)』と一括りに言っても、毒の息を吐く者、吹雪を放つ者、稲妻を走らせる者など様々いるが、赤い鱗から連想される通り、この〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の息吹は灼熱の業火であった。


 一瞬にして、あたり一帯が燃え尽き、まるで火山の火口のような状況と化した。

 逃げようとした〈屍食竜(スカベンジャー)〉たちも逃げ切れず、消し炭と化したその光景を見下ろして、〈古竜(エンシェントドラゴン)〉は満足げに目を細める。


『――ふん。骨も残らず消え失せたか。他愛ない。だが……いまにして思えば少々勿体なかったかも知れん。あれだけの上玉だ。子供の一匹くらい孕ませてもよかったかも知れぬな』


 溜飲が下がったところで多少は冷静さを取り戻したのか、〈古竜(エンシェントドラゴン)〉がそう独り言ちた。


「お断りします。一応、将来を誓った相手もいますし、そもそも爬虫類は好きではありませんから」


 途端、〈古竜(エンシェントドラゴン)〉のすぐ頭の上から、ルシアの涼しげな声が聞こえ、

『――なっ……が、がああああああああッ……!?!』

 同時に両脇に気絶しているウーラとフェリオを抱えたルシアの踵落としが、勢いよくその脳天へ叩き込まれた。


 〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の巨体が、ただの一撃で地面へ叩き落される。


「……聞いた話では、ドラゴンというのは馬を犯して〈竜馬〉などというキメラを生ませるそうですが、ある意味大豚鬼(オーク)の見境のなさですね」


 墜落した〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の傍らへ、ふわりと舞い降りるルシア。

 彼女が地面に足を下したその場所を中心に、燃え盛る草原の炎が次々に鎮火されていく。


『ぐはっ……! ば、バカな。この俺は赤竜王の血を引く由緒ある俺が……』

「たかが竜王の末裔。先代の第三番目(トリトス)の魔王であった魔皇竜ならともかく、やはり雑魚ですね」


 その場にウーラとフェリオを横たえたルシアは、身を起こそうとする〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の頭を、その繊手で掴んで抑え付ける。


『ぐあああああああああああああああああッ!?!』


 その細い指にどれほど力が加わっているのか、〈古竜(エンシェントドラゴン)〉はその場からピクリとも、頭を動かすことができず、それどころか固い鱗を貫通して、ルシアの指がズブズブと肉に潜り込み、さらには頭蓋骨がギシギシと軋む音が〈古竜(エンシェントドラゴン)〉自身に聞こえてきた。


『や、やめろーっ!』


 切羽詰った〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の“念話”が響くが、ルシアの手はまったく緩まない。


『と、取引だ。俺の持つ財宝の半分をやろう! ヒトの世界なら億を超えるほどの財宝だぞ。だからこの手を――ぎゃああああああああああっ!!』


「……取引とは対等な立場で行うものです。この期に及んで舐められたものですね」

 さらに力を込めるルシア。


 メキメキメキッ!!! と、破滅に至る音が〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の頭蓋骨から響く。


『まて! すまぬ! 俺が悪かった。謝る。謝るので許してくれ~~っ!!』


 身も世もない〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の命乞いに、

「ええ、許しましょう」

 あっさりと頷くルシア。


 その言葉に〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の瞳が輝いた。


『で、では――』

「ですので、憂いなく心安らかに逝きなさい」

『なっ……!?』


 あっけらかんと言い放った言葉とともに、ルシアの指先が〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の肉を貫通して、さらには頭蓋骨を穿つ。


『ぎゃああああああああああああああっ! ああああ……やめろ、この悪魔がぁぁぁぁぁ!!』

「……正しいですけど、あなたのようなはた迷惑な悪竜に罵倒されるのは心外です」


 どことなくぶ然とした一言とともに、ルシアは最後の一押しをするのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 そろそろ産休に入るために、窓口業務を退いて、カウンターの後ろの席で事務作業をしていたエマだが、

「はあ?! 〈ワイバーン〉に〈古竜(エンシェントドラゴン)〉の素材の持ち込み!? なにを馬鹿なこと言ってんのよ、あんた!」

 後輩で、現在の窓口担当であるターニャ(猫人族。17歳。独身)が、伝法な口調で捲し立てているのが耳に入って、思わず羽ペンを動かす手を休めて嘆息した。


 ターニャは溌剌として愛想もいいのだが、少々悪い癖がある。

 若くて好みの男性相手だと、猫を二重三重にかぶることを厭わないが、反対に相手が同性で特に年の近い相手だと、途端に喧嘩腰になるのだ。

 

 ――まあ、冒険者なんて九割方むくつけき男だから、いままでは問題なかったんだけれど……。


 そうした男たちに普段からチヤホヤされている反動なのだろうけれど、今後の窓口業務の主力としては、この悪癖は早目になんとかしなければならない。

 特にいまは勇者ランスロットとその仲間たちがこの町に滞在しているのだから……。


 と、そこまで考えたところで、

「あ、もしかして……」

 なんとなく予感を覚えてカウンターを窺ってみれば、案の定、つい三~四日前に冒険者登録をしたばかりのふたりの義姉弟(?)のうち、姉でありまるで月の女神のような美少女――シアが、ターニャに噛み付かれていた。


 相変わらず泰然とした表情ながら、どことなく辟易した眼差しをターニャに向けるルシア。


「事実を事実として報告したまでですが?」

「なめたこと言ってるんじゃないわよ! 頭おかしいんじゃない。ちょっと顔の造作が良いからって」

「あら、シア様でしたか、なにかございましたか?」


 さらに激高するターニャを遮るように、その背後からエマが声をかけた。


「ああ、エマさんですか。――お加減はいかがですか?」


 嫋やかな見た目に反して、不愛想で取り付く島もない言動が目立つシアだが、話してみれば裏表がない(なさ過ぎるが)真っ直ぐな心根の優しい娘だといいうのがよくわかる。


「ええ、この間祝福していただいたお陰か、母子ともに健康です」

「そうですか。とはいえこの時期は無理はしないで安静にすべきでしょう」


 和気藹々と世間話に興ずるふたりの間に挟まれた形になったターニャが、不愉快な顔を露骨に表に出す。

「――あの、エマ先輩。ちょっと聞いて下さいよ。この小む、いえ、Fランクの新人が、事もあろうに〈ワイバーン〉と〈古竜(エンシェントドラゴン)〉を倒したって言い張るんです」

「〈ワイバーン〉……〈古竜(エンシェントドラゴン)〉!?」


 まさか! と叫び掛けて、慌てて口を閉じ、それから、はたと思いついて、カウンターから身を乗り出して小声で確認をするエマ。


「シア様。もしや勇者様が倒されたのですか?」


 そうであれば納得できる話である。

 だが、あっさりとシアは首を横に振った。


「いえ、ランスは加わっていません」

「……それでは……」


 再度、確認しかけたエマだが、ふと、シアの背後に付き従うように立つ偉丈夫に気付いて、怪訝なものに変わった。

「――あの、この方は?」

 

 見たところ十代後半から二十代前半といった年齢の男である。

 このあたりでは珍しい燃えるような赤毛と、異国風のこれもまた赤い衣装をまとった、身長が二メルほどもある巨漢である。もっとも手足が長くて鍛え上げられた身体つきが服の上からも見て取れるので、巨漢にありがちな鈍重さは皆無である。


 顔立ちはかなり整っているが。鋭い目つきでとっつき難そうなタイプであった。

 さらに不機嫌な内心を隠す様子もなく、『俺に近づくなカスども!』オーラを全身から漲らせていた。

 あと、なぜかその背中に、どことなく薄汚れてズタボロになったフェイが背負われている。


「お手伝いさんです。さっき拾いました」


 背後を振り返りもしないで、シアがそう断じた。

3/1 誤字の修正を行いました。

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