相合傘をあなたと
『本の向こうのあなた』
の番外編です。
夏帆の友人の美亜と、先輩の奏のお話…
2人のオフィスラブのお話です。
胸キュンしてもらえると嬉しいです(笑)
〈五月雨〉
始まりは小さなことだった。
「やってしまった…」
その日は午後から土砂降り。
傘を忘れたサラリーマン、海野奏は、その日終業まで雨がやむことを祈り続けていた。
その願いもむなしく、会社を出る頃にもまだ雨は止まない。
むしろ、雨足が強くなっている気がする。
しょうがないから走るか、と覚悟を決めたとき、
「あれ、先輩傘ないんですか?」
と後ろから声がした。
振り返ると、後輩の増田夏帆が、傘を片手にエントランスから出てきた。
「いやぁ、忘れちゃって」
苦笑いで頭を掻く奏を見て、夏帆は思いがけないことを申し出た。
「駅までですよね?もしよかったら入りますか??」
願ってもない申し出だった。しかし、ひとつ気がかりなことが。
「そうなると増田が濡れちゃうよ」
夏帆は笑って言う。
「この傘結構大きいし、2人入っても大丈夫ですよ!駅まで10分だし、大したことないです」
どうぞ、と言って傘を傾けてくれたので、こうなったら遠慮なく入らせてもらうことにする。
「ごめんね」
「いえいえ」
同じ部署の後輩だっただけで、あまり接点は無かった。そんな人にも傘を分けてあげられる子なんだ。優しい思いやりに心が動いた。
帰り道の間で話したことは、仕事の話、趣味の話など。
「先輩って、たまに傘忘れてますよねー?」
「んー、夕方からの雨に弱いんだよね…」
そのせいで、奏は今までに何度も会社の女の子と相合傘をしている。もちろん男とも。
だが、夏帆とは今回が初めてだ。
普段の雨の日は駅までの道のりがとても長く感じるのに、その日はあっという間だった。
〈小雨〉
「先輩、あたし昨日見ましたよ」
幽霊なのかと思うほどの声色で話しかけてきたのは、社内で一番美人だと有名な、夏帆の友人であり、奏の後輩でもある、松崎美亜だ。美亜にも何度か傘を借りた。入社してきた時、一緒に仕事をしてからの付き合いだ。ショートボブに薄めのメイク。綺麗だけど、恋愛対象としては…
一番縁のないタイプ。
しかも美亜に絡まれる節は思い当たりすぎて、思わずしかめ面になる。
「何を。」
「昨日!会社の帰り、夏帆と相合傘して帰ってたでしょ!」
あれか。特にやましいことではない。
「あれは昨日俺が傘忘れて、そこに増田が声かけてくれたんだよ。松崎が期待してる展開じゃないから」
すると美亜は、なぁんだ、と口を尖らせた。
まぁ、たしかに先輩、いつも夕方からの雨の日は誰かと相合傘してますよね、と納得の様子。奏も、残念でした、とその場を去ろうとする。
すると美亜は、
「それに、夏帆は今図書館の彼といい感じだもんなぁ〜」
その言葉に思わず振り返る。
「え、何、増田いい感じのやついるの?」
その言葉に美亜はニヤリとして教えてくれた。
「毎週図書館で仮デートしてる趣味の合うイケメンがいるんですよぅ」
またか。奏は内心ガックリしたが、美亜の前である、へぇ、と平静を装ってその場を去った。
〈霧雨〉
いつもそうだ。気になった子や好きになった子には必ず想い人がいる。
付き合っても振られる。いつからか、自分の気持ちを笑ってごまかして、好きな人の中の自分のポジションを、頼りになる男友達、として確立するようになっていた。
またか。
帰り道、空を見上げる。傘を持ってきた日に限って空には星が出ている。都会なのに見える正座たち。
「今日は降らないのかよ」
空に向かって思わずつぶやき、周りに聞かれていないか辺りを見回したとき、
「今日の降水確率40パーセントでしたもんね」
と後ろから声がかかった。
振り返ると、美亜が笑って立っていた。姿勢よく、しゃんと立っている。素直に、美人だな、と思った。
「あたしも今日傘持ってこようか迷ったんですよね」
2人は並んで歩き出す。
「俺今日こそは、って思ってさ」
「折りたたみ傘にすればよかったんですよ」
「あぁたしかに」
たわいない会話をしながら、駅まで歩いた。
美亜は苦手なタイプだと思っていたが、思ったよりも話しやすかった。きっと偏見で美亜を見ていたのだろう、奏は心の中で反省した。
駅が見えてきた頃、少し名残惜しいと思っている自分に驚いた。もう少し話したいな。
そのとき、美亜が言った。
「先輩、この後よかったら、一緒にご飯行きません??美味しい韓国料理のお店見つけたんです」
ちょうどお腹も空いていた。
断る理由は無かった。
「うん、いいよ」
「決まり!!じゃ行きましょう!」
へへ、という美亜の笑い方は、美人と名高い印象に全く合わず、どこか少年のような笑い方だった。
韓国料理屋に着いて、お互い注文を済ませ、先に運ばれてきたドリンクで乾杯する。明日も仕事だからと、アルコール抜きにした美亜にまた意外な真面目さを感じる。
「松崎って、しっかりしてるんだな」
「よく言われます。」
ですよね。
「あたしって結構ツンツン感じに思われてるみたいですよね、あたしが1番嫌いなタイプになりたくないだけなのに〜」
「どういうこと?」
「キャピキャピした仕事できないぶりっ子」
そこで思わず笑ってしまう。
女の愚痴が始まるのかと少しだけ身構えたのに、美亜の言い方はむしろ清々しい。
ウーロン茶をストローで飲みながら、美亜は愚痴を言う。
「大体、気取ってるってなんですかね?たしかにあたし仕事ミスしたことあんまりないし。ポーカーフェースってよく言われますけど、どうせそんなイメージだって、私に僻んでる子が勝手に流したんですよ。たしかにあたしめちゃくちゃ物言いが悪いから親にもしょっちゅう怒られてますけど」
笑いながら、今度はその通りだと思った。奏も相槌をうつ。
「わかるよ」
そこに料理が運ばれてきた。どれも美味しそうだ。
「俺も、よく言われる。いつも笑ってるよなって。けどそれ、結構お人好しに見えてそうだよな。男としてはちょっと嫌だ。」
サラダをよそっていた美亜が手を止めた。
なんかそゆことじゃない、と小声で言っているのが聞こえた。フォローを間違えたか?と思ったとき、美亜がまっすぐ奏を見て言う。
「もしかして、先輩好きな人にそうやって言われてきました?」
え、なんでわかる。
顔に出ていたのだろう、美亜は笑って言った。
「先輩、好きな女の子にはいつも恋人か好きな人がいたパターン多いでしょ?そんでも離れられなくて、どうせ恋愛相談をしやすい男友達、とかのポジション確立してきたでしょ」
なんでわかるんだこの女…!
美亜はサラダをよそった皿を奏に差し出して続ける。
「そんで最後まで気持ちを伝えられずに別れのとき、ってとこですかね」
奏はガックリと肩を落とす。
「なんでわかんだよ」
「勘です」
即答。
そのことを嘆いていたばかりだったので、余計に刺さる。
このままバカにされっぱなしでたまるか。反撃しようと、負けじと奏は美亜に言う。
「そういうお前はどうなんだよ」
口に運んでいた手を止めて、美亜が奏を見る。
「お前はどういう恋愛してきたんだよ」
美亜はニッと笑った。
「聞きたい?」
そのいたずらを終えた少年のような顔を見て、
「いい、聞く気失せた」
こんな美人だったら相手困らないもんな。
なにそれ、と笑ったあと、美亜は言った。
「あたしね、好きな人がいる人は好きにならないって決めてるんです。だから、燃えるような恋とかしたことない」
その顔が少し寂しそうで、奏は黙ってしまった。
〈雨だれ〉
1度美亜と飲みに行ってから、そのあと何度か一緒に食事をするようになった。韓国料理から始まり、最初こそおしゃれな店を選んでいたが、だんだん場所は会社の近くの居酒屋と変化していった。
相変わらず次の日が仕事の人はアルコールを入れない美亜は、それでもいつも美味しそうにご飯を食べる。それを見ているのも面白かった。
「先輩、呑んでいいですよ」
ある時、いつものようにいつもの居酒屋に行った時、美亜がふと言った。
「え?いいわ別に」
「だっていつもあたしに合わせて呑んでないでしょ?」
気づかれていたか。
いつも美亜は呑まないのに、自分だけ呑むのは気が引けたので呑まずにいた。
「でも悪いし。それにいつも呑みたいわけじゃないからいいよ」
「じゃあなんで居酒屋きてるんですかねあたしたち」
「雰囲気で酔える」
「たしかに」
なんてことない会話をこんな風にできるのは貴重かもしれなかった。
こんな風に誰かと飲みながら、いい気分になれるのはなかなかないんじゃないかと奏は思った。
そういう意味で、奏にとって美亜は特別な存在になっていた。
〈米糠雨〉
そんないいお友達関係をずっと美亜と続けながら、奏はまだ夏帆のことが気になっていた。
ある時から奏は、夏帆の様子がおかしいことに気がついた。
携帯を取り出してはしまい、ため息をついてはまた携帯を取り出している。
仕事に大きなミスはないものの、無理に笑っているように見えたり、時々泣きそうな顔をする。
美亜に聞いてみると、あっさり情報をくれた。
「図書館の彼とちょっといろいろあったみたい」
そのとき、奏はすごく複雑になった。
夏帆の幸せを願う立場に立とうとしていたのに、これはもしかしてもしかしなくてもチャンスじゃないのか。でも、弱っているところに漬け込むのはずるいのではないか。
黙ってしまった奏を見て、美亜は笑った。
「気になるならご飯くらい行けばいいじゃないですか」
「え、」
戸惑う奏に、美亜は続けた。
「あの子は秘密主義だから、自分がどうとかあんまり話さないかもしれないけど、先輩とご飯いくことで気分転換になるかもしれないし。呑んだらなにか話すかもしれないし、もしかしたら先輩にぐらっとくるかもよ」
「でもこんな時に誘うってなんかあれじゃん」
「ヘタレ」
相変わらず美亜の刺し方はキツい。
「もうちょい言葉選べないのお前」
「先輩にそんな必要はないかなって」
なんでそれをお前が判断するんだ。
ま、とりあえず、と美亜が話を畳む。
「気分転換させてあげてください。あたしこの前飲んだ時、イケメンに彼女がいるのは当たり前みたいなこと言っちゃったんです、そんで失敗したなって。あたし以外の人に話を聞いてもらうのも大事だと思うし」
お願いします、と小さく言った美亜が、今までの美亜とは違って、少し弱気になっているように見えた。
「わかったよ」
奏は答えた。
「その代わり、向こうがもし向こうの意思で俺のとこに来たら、そのときは知らないからな」
「それは無いと思うから大丈夫です」
「断言すんなよ」
くく、と笑ったとき、奏を呼ぶ声がする。
「じゃ」
「はい、よろしくお願いします」
手をあげてその場を去ろうと背を向けた時、美亜が小さく言った。
「あたしこの前止めきれなくて、二日酔いにさせちゃったからほどほどにしてやってくださいね」
友達想いで優しいのも、美亜だった。
「いくらぐらっとくるかも、なんていっても、もし美亜になんか無理矢理なことをしたら殺しますから」
「お前が怖いからそんなことできない」
友達想いで怖いのも、美亜だった。
〈小夜時雨〉
その日、久しぶりに夏帆の笑顔を見た。
笑顔を見るたびに、気持ちが大きくなりそうなのを感じる。
だめだ、弱ってるとこに漬け込むのなんて、俺らしくない。
それに、今は夏帆にただ笑って欲しかった。
だから会社のことや趣味のことを中心に話していく。夏帆はたくさん笑ってくれて、お酒も入って、奏も楽しく酒が進んだ。
ご機嫌で外に出ると、また夏帆の笑顔が少なくなっていたのには、気がつかないふりはできない。
その顔が奏にとってとても可愛く見えて、この子をこんなに悩ませている相手の男に少し、いやだいぶ腹がたつ。
だけど。
たぶん、この子をこんだけ悩ませることができるのは、まだ会ったこともない、その図書館の彼なんだろう。
そう思うと、なぜか少し気持ちがストンと降りた。
「増田」
呼んで、夏帆が奏を見る。
「何に悩んでるのか知らないけど、ちゃんと後悔しないようにしろよ、としか言えないからさ。」
「先輩」
夏帆が少し不安げに奏を見る。
やっぱりかわいいな、と思ってしまったけど、どうか無理して笑ったみたいに見られませんように。
「なんてな!まぁ、またどうしようもないことあったら、俺が慰めてやるよ!」
そんな必要はない気がしたのは、きっと気のせいじゃない。きっと夏帆の恋はうまくいく。今まで好きな人の男友達になってきた経験が、そう教えてくれていた。
せめて少しだけ。今までこんなこと好きな子に言ったことがなかった。
だけど今だけ。言ったらもう言わない。
だから。今だけ。
「俺にしとけばいいのになぁ」
少し前を歩き出した夏帆に向けて。
聞こえて欲しくない、聞こえていて欲しい、両方が混じった複雑な言葉となった。
夏帆には、聞こえてなかったのだと思う。
でも、奏は不思議と気持ちがすっきりした。
夏帆を終電に見送ってから、とっくに自分の終電がなくなっていた奏は、タクシーを拾いにタクシー乗り場に向かった。
〈氷雨〉
その後何日かたって、すっかり寒くなってきた頃、やはり夏帆の恋は成就した。
と、美亜に聞いた。
「そんで今度お祝いに呑もうってなったんですけど、来ません??」
「あぁいいよ」
あれから夏帆には個人的には会っていないし、美亜と呑むのもひさしぶりだった。一緒に呑んでも気を使わないこの2人は、先輩後輩を超えて、友達としての付き合いという方がしっくりくる。
「もういいんですか?」
美亜が奏に尋ねた。
「何が」
本当は美亜が何を聞きたいのかわかっていた。もう吹っ切れていることを、また話す必要はないと思った。
とぼけちゃって、と美亜は笑って、それ以上聞いてこなかった。
そんな気の配り方も忘れない美亜は、美人で仕事ができる以外にも長所の塊のように思えた。こいつ、なんで彼氏いないんだろう。
こいつは恋してないのかな。
「お前好きな人いるの?」
美亜は目を丸くして奏を見る。
奏が自分から恋愛のそういう話を振るのは初めてだった。不思議がっても当たり前だろう。
「突然なんですか」
「いや、ふと気になって」
へんなの、と笑って美亜は言う。
「告白されましたけど、断りました」
やっぱりな。こいつは相手には
苦労しないんだ。
「ただ、相手に包容力が無かったんですよね、だからだめ。」
「へぇ」
「あたし言ったことなかったでしたっけ?あたしのタイプは経済力、包容力、そしていい外見を持った人じゃないと付き合うとか考えられないんです」
「すげえ理想。そんなんだからひとりなんだよ」
思わず笑って奏は美亜を見る。
ムッとしたように、美亜は言い返す。
「余計なお世話!自分を安売りしないようにしてるの!」
「悪い悪い」
笑いながら美亜の拳を受け止める。
美人なだけではなく、すごい勝気なんだなと知ったのは最近のことである。
もう!と怒って、美亜は共有スペースから出て行った。
***
今度、という約束は思いの外早くやってきた。
次の週の金曜日。
次の土曜は珍しく会社がみんな休みで、ゆっくり飲めるからということらしい。
美亜といつも行く居酒屋に3人で向かう。
「「「かんぱーい!」」」
1週間仕事を終えた後のビールは格別だった。
「夏帆おめでとう!」
「増田おめでとう」
「ありがとうございます」
奏は、夏帆にもうなんとも思っていないということに気がついた。もしかしたら、夏帆に対する感情は、妹に対するものだったのかもしれない。踏ん切りがつくと、もう後は何も考えることは無い。奏はただ楽しいという気持ちだけで飲む事ができた。
丸テーブルに3人で座って、目の前ではガールズトークに入っている。
なんとなく取り残されて、奏は枝豆を適当に摘む。
「人恋しい季節になりましたよねえ…」
突然美亜がボソッと言う。
「急にどうした」
「だってぇ、寂しんだもん…夏帆は彼氏とラブラブだし、先輩は独り身でいいみたいな顔してるし…」
どうやら少し美亜は酔ってるらしい。夏帆と2人で困ったように顔を見合わせる。
「お前相手選ばなかったら確実に彼氏できるじゃん」
「美亜は綺麗で優しいもん」
じろりと美亜が2人を睨む。
「お互いに好きじゃなかったら付き合う意味ないもんんんん」
「付き合ってからの好きもあるじゃん」
「彼氏と両想いで付き合ったあんたに言われたくない!」
「もう…」
夏帆はお手上げらしい。
奏はしょうがなく、1人で話している美亜に話しかける。
「今出会いがないだけで、お前なら絶対いい男見つけられるって、俺が保証する」
「…」
反応がない。
気がついたら、美亜は寝ていた。
「おいおい」
「嘘でしょ、美亜は寝落ちしたことないんですよ」
「まじ?どうしよっか…」
その時、夏帆の携帯がなる。
「あ」
その反応で、彼氏からだろうなとわかった。
「行っていいよ」
「え、でも」
「彼氏迎えに来てもらいな。俺こいつなんとかしてから帰るから」
夏帆がここに残ったところで、何かできるとは限らない。
「酔った女の子にプラスして女の子守る自信ないしね」
笑って促すと、じゃあ、と夏帆が腰を上げる。
「すみません。美亜のことよろしくお願いします。」
「はい」
店の出口に向かったところで、夏帆が振り向いた。
「何かしたら許しませんから」
こいつら揃いも揃って。
苦笑いで奏も言い返す。
「お前ら怖くてそんな怖いことできない」
そういうと、美亜は笑って、彼氏との待ち合わせ場所に向かった。
〈時雨〉
30分経っても美亜は起きない。じょうがないので、奏は美亜の肩を軽く叩いて、声をかけた。
「おい、起きろって」
「んー…」
「増田もう帰ったぞ」
「え、うそ!!」
途端に目を覚まして、ガバッと顔を上げる。
「ほんと。ほら起きたら帰るぞ」
立ち上がった奏に、慌てて美亜もカバンを抱えて腰を上げた。
***
会計を済ませて、美亜は寝落ちした手前気まづいのか、奏の少し後ろをついてくる。駅までの道がこんなに長く感じたことはない。
「あんまり離れて歩くと危ないって」
「わかってます」
酔いはすっかり醒めているらしい。変わらずに美亜は、少し後ろを歩いている。
そのとき、キャッと、美亜の声がした。慌てて振り返ると、サラリーマン風の男が、美亜の腕を掴んでいる。
「ちょ、ちょっとなに今更」
「美亜、ひさしぶり」
その会話で、相手が誰で、なんの目的で美亜に近づいたかがわかった。
「ちょっと離して」
「いやだね。ちゃんと話し合おうって言ったのに」
こいつもろくな男に引っかからないな。そう思って奏は、美亜の方に一歩踏み出した。
前に出てきた知らない男に、相手の男は驚いたらしい。目が泳いでいる。美亜の少し前に知り合いがいることに気がつかなかったらしい。
「な、なんだよお前」
「美亜、こいつだれ?」
美亜の方を見ると、怯えた表情から少し安心した顔を見せる。
「前に言った、告白してきた人…」
「ふうん」
そう言って、また男に向き直る。
男が明らかに、びくっとなる。
「何の用か知らないけど、俺の彼女に言い寄るのやめてくれない?迷惑じゃん。」
まぁベタだけど、この方法が1番効果的だ。ごめん、と心の中で美亜に謝りながら、
「行こう」
と、美亜の手を引く。
その手が震えていたことに、気がつかないふりはできなかった。
***
しばらく歩いて、美亜が口を開いた。
「あの…」
「…」
「ありがとうございました」
奏は答えない。
「先輩」
「松崎」
被せるように奏が言う。
「お前さ、自分で自分のこと強いって思ってるかもしれないけど、そうでもない」
「…はい?」
なにを言われているのかわからない。
「あぁいうのに付きまとわれてんなら、ちゃんと言えよ。そんで、こんな遅くに帰るようなシチュエーション自分から作るなよ」
怒ったように奏は言う。美亜はなにも言い返せない。でも、あの男がそこまでしてくるとは思わなかった。それは甘えか。それに、寝落ちしようと思ってしたわけでもない。
「お前さ、あの男がここまでしてくるとは思わなかった、って思ってんだろ」
驚いて美亜は奏を見上げる。奏は、美亜の方を見ないまま続ける。
「お前が思ってる以上にお前はそこまでして追いかけたいくらいいい女で、お前が思ってる以上に男はしつこいんだよ」
真剣な横顔で、本気で心配させているとわかった。そして、それがうれしいとも。奏は、自分には興味がないと思ってたから。
自分は夏帆のことあっさり諦めたくせに。
その一言は飲み込んで、
美亜は、はい、と頷きながら、まだ繋がれたままの手を、自分から離そうとはしなかった。
〈篠突雨〉
入社して、一緒に仕事をしたときから、美亜は奏を好きだった。お調子者とは言われているけど、本当は面倒見が良くて、優しい。話を聞いていると、そのことに気がついている人は、少ない。それでいい。あの人のいいところは、わたしだけが知ってればいい。
その気持ちは、奏が夏帆を気にし出したことで、傾いた。なんでよりによって夏帆。
でも、夏帆を気にして少しヘタレになっている奏を見て、思った。この人の弱い時に付け込むようなことは絶対しない。それで、この人の弱いところを知ってるのはわたしだけでいい。
わたしだけに、弱いところを見せてくれたらいい。
そしていつか。
いつかあたしのことを見て。
今まで言えなかったけど、ずっと好きでした。
***
駅まで来た時、やっと奏は美亜の手を離した。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
離れた手が名残惜しい。今までそんなことはなかった。でもそう思うほどに、奏への気持ちが抑えられないくらい膨らんでいた。
「先輩」
奏が美亜を見る。
「もう少しだけ、一緒にいてくれませんか」
このままわたしを見ていて。
「だめだ」
「え」
美亜は、てっきりこの流れだと、いいと言ってくれると思っていた。
奏を見ると、真面目な顔で言った。
「今俺、松崎のこと気になってるのはわかる。けど、そんな中途半端な気持ちで松崎のそばにはいられないよ」
「…」
美亜は俯いて、顔を上げない。
「松崎」
「…」
奏の気持ちはわかった。奏の、そういう優しいところが好きだった。でも今は、その優しさが腹立たしい。
「…ヘタレ」
そう言って、美亜はくるっと向きを変え、自分の駅へと行く電車のホームへ歩いて行った。
〈日照雨〉
奏は、帰りの電車で別れ際の美亜の顔を思い出していた。傷ついたような、泣きそうな、
「あんな顔をさせたかったわけじゃないんだよなぁ」
そして、男に腕を掴まれた時の顔も思い出す。怖がっているのは明らかで、でも強く自分を相手に見せないといけないと思っていて、
俺なら、こんな顔絶対させないと思った。
俺だったら。そう思ったことはこれまでに他の女の子に対しても何度もあった。でも、「守りたい」と思ったのは、生まれて初めてだった。
それが、好きという感情に繋がるのかわからない。
いつもだったら、もう少し一緒にいてくれと言われたらついて行ったと思う。
でも、今回はそんなんじゃだめだと思った。
中途半端にして傷つけて、今の関係を壊したくない。そう思っているということは、美亜のことを大事にしたいということで。美亜のことがすきなんだと言われると、すとんと落ちる。
もう2度と、振ったのにしつこく追い回すような男には捕まって欲しくない。でも、自分が代わりにと言えるほど、奏は自分に自信が無かった。
〈低気圧〉
出社すると、美亜はいつものように仕事をしていた。
「おはよう」
「おはようございます」
事務的な会話でも、美亜は向こうから話しかけてくれたことに喜んでいた。小さなことでも重なれば、大きなものになる。
奏がデスクについたところで、美亜を呼ぶ先輩の声が聞こえた。美亜は立ち上がり、その先輩の元へ向かった。
彼は奏と同期になる先輩だ。
「おはよう」
「おはようございます高田先輩」
「これ、この前さ、遊園地のチケット譲ってもらったお礼なんだけど」
そんなこともあった。
スーパーでやっていたガラポンを、なぜか気が向いてやってみると、一等が当たってしまったのだ。絶叫系は苦手意識があったので、その高田に譲ったのだ。
「え、わざわざすみません…」
「いやいや、一応ね!楽しかったし、お礼しとけって妹も言ってたし」
「え、妹さんと行かれたんですか」
「今彼女いないんだ、って思っただろ!いるからな!俺は妹とも仲いいんだよね」
そう言って差し出したのは、夜景の綺麗なレストランのチケットだ。
「こんなのいただけません、それこそ彼女さんと行ってください!」
慌ててチケットを返す。
すると高田は逆に慌てて言った。
「あー違う違う!俺の彼女そこで働いてんだよ。だからちょっと融通してもらった!期限まだあるから、友達とでも行っといでよ」
美亜も安心して、チケットを受け取った。
「ありがとうございます、夏帆誘っていきます」
「うん、そうして。よかった、本当ありがとね」
そう言って高田は笑った。
***
奏は気になってしょうがなかった。
自分の同期である高田と、美亜が仲良さそうに話している。
なにあいつ彼女いたんじゃないの?!
悶々としたまま、書類に目を通していく。美亜となにを話しているのかは聞こえない。気になる。気になる。いや俺が気にしてもしょうがないし。
「だーーーーーっ」
気になって書類が読めない。
「コーヒー買ってこよ」
奏は財布を持って席をたった。
休憩スペースに行くと、夏帆がカフェオレを自販機で買っていた。奏を一目見て、
「機嫌悪いですね」
と言う。
奏はむっとして、
「別に」
と言い、自分もブラックコーヒーのボタンを押す。ウィーンという無機質な音が流れて、ガコン、と、ブラックコーヒーが出てきた。
「美亜とあのあとなんかあったんですか?」
遠慮なく聞いてくる夏帆に、少しイラっとする。こんなの完全な八つ当たりだ。
「美亜は素直になったらとことん素直になりますよ」
だから先輩、逃げきれないかも、と、楽しそうに笑う。
「人の気も知らないでよく言うよ」
拗ねたように言い返すのは情けないと思いながらも、思わず言ってしまう。
「あら、それはどうでしょう」
夏帆には、奏が、ただ拗ねているようにしか見えない。
「気になっているという段階で付き合ったらダメなんですか?それは先輩の自己満足って言うんですよ。さっき美亜が高田先輩とま話してるの見てイライラしてたくせに」
そこも知ってるのか。
奏はがっくりきた。
「自分に自信ないんだよ」
「心配しなくても、先輩が心配してることは、美亜にとってはどうでもいいことなんですよきっと」
2人には幸せになってもらわなくちゃ、と夏帆はカフェオレをすする。
そして、
「先輩」
「ん?」
「空」
「え?」
夏帆につられて外を見ると、雲行きが怪しくなってきていた。
「今日夕方から雨なんですよ」
お先に失礼します、と飲み終わった缶を捨てて、夏帆が座っていたベンチから腰をあげる。
「傘、持ってますか?」
なにが言いたいのかわからずに、奏はただ、
「持ってない…」
と答えるしかなかった。
〈走り梅雨〉
帰る時もやっぱり降っていた。
エントランスで、奏はため息をつく。折り畳み傘はなぜか鞄の中から抜けていた。
「自分で抜いたんだ」
近くのコンビニまで走って、ビニール傘でも買おうと思っていると、後ろから、足音がした。
振り向くと、美亜が立っていた。
「あ、おつかれさまです」
普通に見えるようにあいさつをする美亜。
奏も平静を装って おう、とだけ返す。
沈黙。お互い今日は別の仕事で朝のあいさつ以来顔を合わせていなかった。
と、美亜が声をかけた。
「傘、一緒に入って行きますか?」
「え?」
「忘れたんでしょ」
「え、いやいいよ、松崎1人で入って帰りな」
遠慮しているように見せかけて、これは逃げだ。2人きりになることから逃げている。だって一緒にいたら、きっと自分の気持ちを確信してしまう。
「そうですか、じゃあ、」
美亜は、自分の傘を奏に押し付けた。
「え、え」
「これ使って帰ってくださいおつかれさまでした」
「え、ちょっと!!」
奏が呼び止めるのもむなしく、美亜は傘を置いて、土砂降りの中に飛び込んで言った。
〈入梅〉
ずぶ濡れで帰ってきて、お風呂に入るのもめんどくさく、美亜は体をタオルで拭いて着替えただけでベッドに転がり込んだ。
きっと、それが悪かったのだと思う。朝になって目がさめると、頭痛と、体のだるさ。熱を測るのも億劫で、体が言うことをきかない。
会社に連絡をして、休みをもらった。1日ベッドに寝ていると、考えなくてもいいことを考えてしまう。
なぜ、奏は自分の傘に入ろうとしなかったのか。2人きりになるのが嫌で、断ったのではないか。昨日、自分が、あんなことを言ったばっかりに。
考えれば考えるほど、自分の中でマイナスのやことばかりが浮かんでは回っていく。
「ゴホッゴホッ」
咳も出てきて、意識が朦朧とし始める。起きてるとしんどい。そう思って、美亜は、意識を手放した。
***
その頃奏は、珍しく病欠だという美亜のことを考えていた。絶対自分が傘を借りたせいだと思う。こんなことになるなら、2人きりになっても、美亜と帰るべきだった。
「先輩」
見ると、夏帆が立っていた。
目が怖い。
「怒っていいよ」
奏は諦めたように降参のポーズをとる。
「もう怒ってます」
夏帆は、書類をどさっと奏のデスクに置く。
「目通してハンコお願いします」
「…はい」
「明後日あたりお見舞い行きます。なにか伝言は?」
頼めるような立場に奏はいない。
「いや…いい」
「そうですか」
じゃ、ハンコお願いしますね、と言って夏帆がお辞儀をする。そして顔を上げて、
「わたしが昨日言ったこと、やっぱり伝わってなかったんですね」
「松崎が帰り傘貸してくるっていう伝言だったの?あれ」
「そうやってどストレートに言わなきゃわかんないですよね、確かに」
わかんねぇよ!!
心の中で盛大に突っ込みを入れる。
でも、
「突き放したのは先輩ですから。今度は先輩から行くしかないんですからね!」
ふん!と自分のデスクに戻っていった。
わかってる。今度は自分から行かなければいけない。
本当は。
奏は考えた。
本当はあの傘に2人で入りたかった。でも、入ってしまったら。
入って2人きりになりたくない理由は、確かに気持ちを確信してしまうのが怖かったからだ。怖かったのは、愛されることに溺れるとら思ったから。今までずっと、付き合った子にも、片想いだった子にも、自分の方が愛を伝えていたように思う。
自分が好かれているという実感は、なかなかなかった。それは、なんて寂しいことなんだろう。でも、それが今までの当たり前だった。
美亜のように、自分から気持ちを伝えるようなことをしてもらってこなかった。だから、逃げた。きっと愛されることを知ってしまったら、もう逃げられない。今度は自分が、美亜が自分を好きな倍、好きになってしまう。そして結局は、自分が美亜に呆れられる。
そう思うなら、このままの方がいい。
でも他のやつに渡したくない。
奏は、ただ1人で悶々として、その日1日を過ごした。
美亜はそれから2日、会社を休んだ。
〈土砂降り〉
会社を休んで3日目、梅雨入りになった。
毎日雨ばかりで、低気圧による頭痛もする。熱は上がったり下がったりだ。
今日は夏帆が来てくれることになっている。
ピンポン
チャイムがなって、美亜はパタパタと玄関の方にかけて行く。
ドア開けると、心配そうに親友が入ってくる。
「どう?具合」
「ゴホッ…んー…微妙かなー…」
「熱は?」
「まだあるー…」
薬はあるか、病院には行ったのか、と、いろいろ尋ねられて、
「薬はある、ありがとう。病院行けてないから市販のやつ」
と答えて、
「仕事はどんな感じ…?」
と、恐る恐る聞く。夏帆は笑って、
「安心して、みんなでカバーしてやってけてるからさ。ゆっくり休んでよ」
ホッとしてソファに座る。夏帆はたくさんお見舞いを買ってきてくれたようで、いつも飲んでいると言っていた風邪薬、そして切らしていた解熱剤、果物やゼリーやポカリ、レトルトのお粥も買ってきてくれていた。それをさっさと冷蔵庫に入れ、ポカリは蓋を開けて持ってきてくれた。
「いろいろありがとね」
「いいのいいの!たまにはこういうのも悪くないなって思うでしょ」
クスクスと笑いあって、美亜は1番怖かったことを聞いた。
「先輩は…?」
すると夏帆も少し真面目な顔をして、そのあとにっこり微笑んだ。
「だいぶ気にしてた。もう美亜から行く必要無いよ。先輩ヘタレだけど、腹くくったら絶対大丈夫。美亜はがんばったから、もう待ってるだけでいいよ」
その言葉に、少しホッとする。
「傘無理矢理押し付けて迷惑じゃなかったかな」
「だから言ったでしょ、逆に自分が傘奪って美亜が風邪ひいたから、すごい気にしてたよ、そんな風に見せないようにしてたけどね」
うわぁ。それはちょっと見たかったかも。
「もう少しだけ待ってあげて。先輩も今、いろいろ葛藤してるんだよ、なんでかはわかりたくもないけどね」
「夏帆がこんなこというなんてね」
「何よ、あたしだって一応大人なんだからね!」
「よく言うよ、あたしにお尻叩かれて今の彼氏と向き合ったのに」
「それだけ言う元気があるなら大丈夫だね、帰る」
「ちょっと冗談!」
「自分でもわかってるからムカつく!」
笑って夏帆が言う。美亜も声を出して笑って、そのせいで咳が止まらなくなった。
「あぁごめん、あたしやっぱり帰るね。なんか美亜の風邪悪化させちゃいそう」
うんありがとね、と咳をしながら頷く。
「今度ちゃんとお礼させてね。うつっちゃうからもう帰って」
「そうする。お大事にね」
夏帆を玄関先で見送って、夏帆が去ったのを確認してから鍵とチェーンをかける。
その日の夜は、風邪をひいてからひさしぶりに水以外の食べ物をまともに食べて、美亜は食べ物のありがたみを思い知った。
〈梅雨明け〉
その3日後、美亜は完全に復帰した。
「ご迷惑をおかけしました」
と、部署のひとたちにお礼を言う。
みんな、
「大丈夫?」
「もういいの?」
と、声をかけてくれて、とてもありがたい。
病み上がりの体に優しさが隅々まで澄み渡る。
奏のところには、行けなかった。というのも、奏は朝から外回りで、オフィスにいなかったのだ。
少し残念に思いながら、美亜は溜まっている書類に目を通し始めた。
***
お昼を夏帆と一緒にして、帰ってくると、奏が外回りから帰ってきていた。
美亜を見て、おう、と口だけで言う。
美亜も、お辞儀だけして、自分のデスクに座る。
すると、メールが来た。開くと、奏からだった。
『帰り、借りてた傘返すから待っててもらえる?』
そういえば、傘貸したんだっけ。あの傘気に入ってたしな…
『わかりました』
それだけ打って送信する。
心なしか自分でも、帰りを楽しみにしている。
「さぁ、あともう少し」
美亜は気合を入れて書類のタワーに取り掛かった。
梅雨独特のジメジメした空気だった。
〈虹の橋〉
雨が止んだかと思いきや、また降ってきていた。他の社員は、もう帰っていた。
あぁ、こんな日だった。美亜が、夏帆と奏が相合傘をしているのを見たのは。去年の5月。あれからもう1年が経っていた。
エントランスで待っていると、奏が、走ってエレベーターから降りてきた。
「ごめんごめん」
「いえ」
美亜は微笑む。奏も微笑んで、借りていた傘を、美亜に差し出す。
「これ、ありがとう。お世話になってごめんね」
傘を受け取って、奏の顔を見る。
「大丈夫です。でも、もういい加減傘持ち歩いた方がいいと思いますよ」
と笑って言う。
「そうだね」
奏も微笑んで笑っていたが、ふと、真剣な顔をした。
「ごめん」
美亜も奏を見る。
「今日も傘忘れたんだ」
「はい?!?!」
美亜は思わずずっこけた。
なにこれなんのネタ?!梅雨じゃん!傘忘れるとかあるの!?!?
「だから、…傘、入れて欲しいんだよね」
ふてくされて、美亜は奏を睨む。
「…なんで、あたしに頼むんですか、この前は断ったのに」
あたしなりには結構頑張って言ったつもりだったのに。
「ごめん。松崎のこと、ちゃんと好きだって確信するのが怖かったんだ」
なんでよ。好きなら好きでいいじゃん。なんで怖がるの。
「俺、多分これからもっと松崎のこと好きになると思うんだ。でも、今まで俺は追いかける恋しかしてこなかったから。追いかけられるって初めてで。でも結局最後は俺は松崎を追いかける。それで呆れられるのが怖かったんだ」
「なにそれしょうもな」
奏が目を丸くして美亜を見る。
「そんなの、あたしの方が先輩を好きに決まってる。だってあたしの方が、片想い長いもん。入社してからですよ?!あたしの片想い舐めないでください」
力が抜けたような奏の顔を見て、笑いが込み上げる。
「先輩のあたしへの気持ちががあたしが先輩を好きって気持ちよりも大きくなるのもあり得ません」
そこでようやく奏が口を開く。
「…なんで?」
ニッコリ笑って、美亜は答えた。
「あたしは、先輩があたしを好きになればなるほど、あたしも先輩を好きになるからです。あたしには追いつけない。ううん、追いつかせません!」
奏は思わず吹き出した。
なんて…なんて勝気な告白なんだろう。自分がぐずぐず考えている間にも、美亜は答えをポンポン出していく。
そうか。自分では今まで気がつかなかったけど、
「俺ら結構いいコンビかもな」
そうですね、と美亜も笑う。
「さ、帰りましょ、雨足強くなったら濡れちゃうし」
「待って」
歩き出した美亜の手を掴んで引き止める。
「ちゃんと言ってない」
美亜に言わせてばっかりだったら、さすがに格好がつかない。こんな時にもそんなこと気にするような俺だけど、許して。
「好きだよ、松崎。多分松崎が思ってる以上に好きだ」
美亜は、顔を真っ赤にして、頷いた。
クールビューティーな一面ばかりが目立っていたが、実は可愛らしい女の子じゃないか。
「わ、わたしも、好きです…」
「うん。これからよろしくね」
会社の中ではキスできないな、と思って、手を繋いで、美亜が広げた同じ傘に入る。本当は折り畳み傘を持ってる。でも、今は同じ傘に、美亜と入りたい。
「あ、待って!」
外に出たところで、美亜が立ち止まる。
「ん、なに?」
「一つ、お願いがあるんです」
奏は首をかしげる。
口元を押さえながら、美亜は口を開いた。
「あ、あたし以外の子と、もう相合傘しないでください」
先輩と相合傘できるの、あたしだけの特権にしてください。
なにこれたまらなく可愛いんですけど!!
奏は自分の顔が熱くなるのを感じた。
そして、
「わかった。もうしない。じゃあ、俺からも一個」
口を押さえたままの美亜の手を掴んで、どける。
「キスさして」
え。
美亜が抵抗する前に、奏の唇が唇に触れた。さしていた傘を、会社の方に向けて、会社からは見えないように。
やっと状況が飲み込めて、美亜は目を閉じた。
唇が離れて、へへっと美亜が、あの少年っぽい笑顔で笑うと、また唇がちゅっと触れる。恥ずかしさで口をパクパクさせていると、奏がいたずらっぽく言った。
「憧れだったんだよねー、告白して成功してそのままキスするやつ。少女漫画とかにあったじゃん?」
本当は我慢してたのに、美亜が可愛すぎて我慢できなかったや〜、と呑気に言う奏に、美亜は、
「ば…ばかじゃないの!?」
と顔を真っ赤にして精一杯怒鳴った。
クールビューティーと評判の美亜が、奏の前でだけ、女の人でなく女の子になる、ということに奏が気がつくのは、まだ先のお話。
Fun.
いつも応援してくれているあなたに…♡
相合傘って実際やったらお互い濡れるんだよなー、と思ってたんですけど、最近めっちゃでかい傘持ってる人を見ました。しかもイケメンで、あれは相合傘用に持ってるんだな、と勝手に決めつけました(笑)
ちなみに、外国にはビニール傘が無く、彼らにとってビニール傘は、超かっこいい品物だそうです。大学の教授から聞いた話です。なにがかっこいいんだろう。
楽しんでいただけたら嬉しいです。