9 馬乗り
「な、なぁ、ルミナ、お、俺、初めてだからさ・・・・・・」
俺はぎこちなく下半身をモゾモゾと動かす。
「な、何よ、だらしないわね。それでも男なの!?」
いや、男女は関係無いだろう。
今まで経験したことのない何とも気恥ずかしい刺激的な感覚が、あるところから伝わってくるのだ。
「お、お前はさ、まあ、慣れてるかもしれないが・・・・・・」
「な、慣れてる!? 普通よ、ふ・つ・う!」
程よく引き締まり健康そうな両脚を広げる彼女には笑顔を浮かべるだけの余裕がある。
顔や腕など日に当たるところと違って、やはり内腿は少し白かった。
俺は慌てて目を逸らすが、彼女はお構いなしに露出させている。
「お、俺・・・・・・もう、む、無理かも」
平然とこの感覚を受け入れられるとは経験の違いが如実に出ているな。
その若さで大したものだ、と言えば更に怒られるだろう。
「えっ!? 始めてまだ全然経ってないじゃない!? しっかりしなさいよっ!」
「そ、そんな無理、言うな。うっ!」
一瞬、腰が浮くような不思議な何とも言えないこそばゆさが背筋を走る。
「ち、ちょっと、毛を掴ませろっ」
耐えきれずに俺は目の前にキラキラ光る豊かな栗色の波をぐっと握り締めた。
・・・・・・思った通りに湿っている。
「えっ、ダメよっ。あっ、そんな乱暴にしちゃ、ダメ・・・・・・」
「し、しようがないだろう! さ、棹立ちが、が、我慢できないんだから」
「そ、そこは、頑張るしか、ないんじゃない?」
ルミナも俺程ではないが顔が少し紅潮している。
余裕に見えたのは俺の勘違いだったのかもしれない。
「お、俺だけ、我慢なんて、割に合わないだろう・・・・・・な、何も着けない、は、裸だぞ!?」
「そ、そうよっ、だってしようがないじゃない!」
「も、もうそろそろ、良いんじゃないか?」
女のルミナには分からないかもしれないが、正直、俺はもう限界が来ている。
「だからダメっ、もっと試さないと! お互いの初めてだし相性が大切なのよ!」
そんな必死な表情をされても―――。
「お、俺は初めてだけど・・・・・・」
「何よ!?」
「・・・・・・あっ、ぐっ」
必死に耐えていた掌からスルリと感覚がなくなり、俺はルミナを視界一杯にとらえたまま天地がひっくり返り背中を激痛が襲う。
そうだよ、落馬したのさ。
大昔、船酔いを克服するために一人で小舟に乗ってうっかり転覆したのとそっくりだ。
嫌なことを思い出しちまった。
「・・・・・・どう考えても普通じゃないだろう?」
俺の目の前には清々しい青空と背中には柔らかな草地が広がり、栗毛の馬に顔を舐められそれも微妙に気持ち良い。
「それはあなた達西方の考えよ! ここは草原なの! 乗馬の特訓と言えば裸馬よ!!」
白馬の上で小さな胸をふんぞり返らせて力説するルミナ。
はいはい、そうですか。
「でもね、私の目から見ても結構良い線行ってると思うわよ」
「そ、そうか」
ルミナ、絶妙な飴と鞭だな。
お前、才能あるぞ・・・・・・何のかは言わないが。
「ザイン、馬に結構乗ってたんじゃない?」
ルミナは白馬から下りて俺の隣に座る。
さっきよりもっと近くに白い太腿が迫り、俺は少し、いや、かなりドギマギとした。
草原を低くわたる風が彼女の金色の髪を揺らしている。
空気がキラキラと輝いているようだ。
「―――ああ、年がら年中隊商を率いていたからな」
「ザイン、商人だったの?」
彼女が驚くように俺を見る。
考えてみればあまり詳しく話をしていなかったかもしれない。
「もうとっくに廃業しているがな」
俺は寝ころびながら器用に肩をすくめる。
草地は本当にありがたい。
落馬をしてもあまり痛くないし、これなら俺がどれだけトクタルやサートを投げ飛ばしても大丈夫だろう。
痛いのと恨まれるは別の話だけど。
「それなら何をしに草原へ来たの?」
彼女が面白そうに俺を見ている理由は分かる。
きっと出会った頃を思い出しているのだろう。
もう二十日以上前の話だ。
俺も軽率だったと反省している。
「―――冒険者って知ってるか?」
「ええ、たまに野営地に来るから。商人の護衛とか薬草採りとか色々する人達よね?」
「そうだ。今の俺はそれだ。だが取り敢えず東へ行きたかった」
「良く分かるわ。だって間違いなく何も考えていない人の行動よね、あれは」
コロコロと楽しそうにルミナは笑った。
それはそれで嬉しいが―――微妙な男心が疼く。
「優しいのはいつも顔を慰めるように舐めてくれる栗毛、お前だけだ」
俺は目の前にある馬の首を撫でる。
出会ったときからそうだった。
逃げることも無く妙に俺へ寄り添って来たのだ。
「・・・・・・それ違うわよ」
ルミナは草をちぎって自分の白馬に与えているが呆れているようだ。
「何がだ?」
「あなたから塩分補給をしているだけよ」
「・・・・・・」
人の汗と涙を己の糧にか―――ちっ、逞しいなこの栗毛野郎。
「馬もあなたのおかしな乗り方で嫌な汗を掻いたからじゃない?」
彼女は懐から小さな革袋を取り出して少し紅白い塊を手に乗せる。
「岩塩よ」
「岩塩? 綺麗な色だな」
俺が知っているのは黄色がかったものだけだ。
「少し削って口に入れてから水を飲みなさい」
岩塩を受け取った俺は、腰の剣を少しだけ抜いて刃を当て栗毛と俺の分を削ってルミナへ返した。
「ありがとう」
言われた通り欠片を口にすると少し辛いが不思議な後味がした。
残りは栗毛に舐めさせる。
美味そうに食うな、こいつ。
俺はすっかりベトベトになった掌を草で拭いた。
「しっかり休めたでしょう? じゃあ始めるわよ」
「―――そうだな」
すっかり汗も引いている。
このところ槍と乗馬を一日交代でみっちりと教えてもらっているのだが、今日はまだ日も高い。
「こんなの序の口よ。これに慣れたら馬の背に立ったり、お腹にぶら下がったりする曲乗りを身に着けるのだから気合い入れなさいよ!」
「・・・・・・何だと?」
俺の聞き違いだろうか?
立つ、ぶら下がる?
「どうかしたの?」
ルミナ、さも当然そうな顔をするな!
「・・・・・・裸馬でか?」
「そうよ?」
「落ちるだろう!」
「大丈夫よ」
彼女は小振りの引き締まったお尻を掌でパンパンと叩いて草を払うと、草地に置いていた朱槍を左手に取り、空いた右手を白馬の背へ着いて飛び乗ると斜め向きに立ち上がり見事な構えを見せる。
「ねっ?」
・・・・・・ねっ、じゃねぇよ。
「で、一旦座って右手は首を抱えて―――馬の背に片足を掛けて―――ハイッ」
「何っ!?」
ルミナは半分落ちているのではと言いたくなる格好でそのまま走り出し、少し行ってから方向転換をして戻って来た。
彼女の姿は馬の反対側にあって、見えるのは片足が馬の背に掛かっているだけだ。
かなり近くにならないと人が乗っている様には見えない。
きっと鞍や手綱が付けばもっと隠れられると思われた。
「・・・・・・凄いな、お前」
俺は心から感心した。
今の彼女は申し訳程度に鬣を掴み、両脚で馬をしっかりと挟んで横向きに体を支えていた。
「やろうと思えばこのまま短槍を使えるわよ」
誇らしげに彼女は再び馬上へ戻って小さい胸を張る。
「手綱があれば長槍でも大丈夫だから安心して」
何を安心するのやら・・・・・・。
「何だか納得いかないみたいね」
「どうにも必要性がな」
「まだ騎馬の民になり切れていないみたいじゃない」
「当たり前だ」
「ザイン、私達が馬を大切にするのは分かってるわよね」
「ああ。生活でも―――戦いでも必要だからだろう?」
これだけ豊かな牧草があっても騎馬の民同士で争いは絶えない。
幾度か聞かされた話を俺は思い出す。
彼女の父もその戦いの中で命を落としているのだ。
「そうよ。だからなるべく傷つけないで手に入れたいの。そのために手綱を切る戦い方もするし、馬の陰に隠れれば攻撃を避けられるのよ」
「―――なるほど」
曲乗りの意味が初めて分かった。
俺の様子にルミナが安堵の溜め息をついたようだった。
「納得したら始めるわよ!」
「分かった」
俺はルミナの言うまま栗毛に乗り続ける。
彼女は乗り手としてだけでなく教え手としても非常に優秀だった。
それこそ俺が目を覆いたくなるような太腿の裏とかお尻の動かし方などを見せて目の保養・・・・・・ではなく徹底的に教えてくれた。
これがムサいトクタルだったら、俺は間違いなくすぐにここを去っただろう。
我慢して続けられたのは間違いなくルミナの・・・・・・お陰だ。
「これができるようになってから鞍と手綱があると、どんな所でも走り抜けられる自信がつくわよ。頑張って」
「そうだな。鞍を置いて一度思い切り走らせてみたいかもな」
俺の言葉に先を行く彼女が急に馬を止めた。
「あ、あなたさえ、よ、良かったら、つ、次の野営地探しに、連れて行ってあげても、い、良いわよ?」
俺を直接見るでなく、でも横目で様子を窺うあの表情だ。
何か裏がある。
俺は直感、と言うか何度かの経験で察していた。
「俺が? 足手まといじゃないか?」
「い、嫌なら、む、無理にとは言わないわっ」
「嫌ではないが―――」
さっき口にしたとおり普通に馬具を着けた馬にも乗ってみたい。
「そ、そう、なら午後からは槍にしましょう」
「馬はもう良いのか? 槍は明日だろう?」
確か明日はトクタル達の都合が悪いのでルミナが短槍を教えてくれる日だった。
「野営地探しにはあなたの槍の腕の方がまだ届いていないの。それにね、ザイン―――」
「何だ?」
「トクタルやサートでも手綱のない裸馬に半日も乗れないわよ! ハイッ!!」
ルミナは今日一番の笑顔で白馬を走らせ逃げ出す。
「何ぃっ――――!!!」
俺の悲しい雄叫びが草原を渡る涼しい風に空しくかき消された。