8 槍合わせ
「だったら早くおっぱじめるとするか」
トクタルが軽く振った練習槍の風切り音で俺も視線を手元へと戻す。
握りはしっくりくる程よい太さだ。
慣れない長さは軽く振っても先端が思わぬところへ向くが、重さは扱えないほどではない。
足運び、体捌き、突き、斬り、払い。
トクタルは手本を見せる、速さを変えて角度を変えて。
俺はそれを忠実にひたすら真似て覚えた。
昼を過ぎた頃には、俺もトクタルも汗だくでクタクタになった。
「大体の形はそんなものだろう。これから毎日、何度も繰り返せよ。俺も見れる時は見てやるが、時々はルミナにも見てもらえ。俺達より遥かに綺麗で速いからな」
トクタルの言葉にダンゴで頬を膨らませたルミナが大きく頷いている。
「結局は槍も見てもらうのか、悪いな」
「む、むむわむ、むむむ」
「・・・・・・」
何を言ってるのか全然わからん。
「い、良いわよ別にっ」
慌てて飲み込んだ彼女が言い直した。
「あ、ああ、よろしく頼む」
「なら今日の仕上げといくか。ザイン、構えろ」
トクタルが俺の正面立っち真剣な表情で練習槍を向けた。
「何をする気だ?」
「まだ早いかもしれないが、簡単な槍合わせくらいならできるだろう」
「槍合わせ?」
「最初に決めた位置から動かずに槍を交え、押しては引いて、突いては払う。相手の姿勢を崩せば勝ちの駆け引き勝負だ」
「剣で言う鍔迫り合いみたいなものか?」
「まあ近いが、槍は間合いがあるから剣のような力押しが通じるほど単純ではないぞ。やってみれば分かる」
「そうだな」
俺も朝から掴んだ感触を試してみたかった。
「えっ、ほんとにやるの!? だってザイン、槍持ったの初めてでしょう?」
相変わらずダンゴを片手にルミナが驚きの声を上げる。
「練習槍での合わせなら大きなケガをすることもないし、剣とは違う感覚に慣れるのは早い方が良いだろう」
「と言うことらしい」
トクタルの言葉をそのまま俺は引き継ぐ。
説明するのが面倒だとか手抜きじゃないぞ?
「それはそうだけど―――」
ルミナは伏せ目勝ちに手の中の丸い食べ物を見つめている。
俺がコテンパンにされるのを期待していた訳ではなかったらしい。
多分心配してくれているのだろう。が、その手の物は無い方が俺的には素直に喜べるのだが。
「やってみるか」
「ああ」
俺とトクタルは、木の刃の付け根が交わるくらいで立ち会う。
「刃を重ねてから、お互い押して引いてを三回繰り返したら始まりだ。いくぞ、一、二、三っ」
二本の木の先が離れる。
すぐにトクタルが槍を引いて持ち上げ振り下ろしてきた。
それを俺は横にした柄で軽々と受けて上へと弾いたが、足を動かすことができないので大した力は入らない。
なるほど、ケガもしにくいようだ。
俺も遠慮なく槍を振るい始める。
ガッ、ガッ、ガッ。
打ち合って弾き合う小気味の良い音が野営地に響き渡る。
暫く繰り返した俺は、手を少し引いてトクタルの槍の衝撃を殺して受けると直ぐに押し返した。
「お、やるなっ」
トクタルも負けじと押して来る。
そしてお互い息を合わせたように押し離し、再び打ち合いが始まる。
確かにこれなら実戦的な槍の攻撃と防御が身に付けられる。
近い位置で動きが制限されているため正確な槍の扱いが求められ、次の手をしっかり考えてから動かさなければならない。
目の前にお互いの槍があるので無駄な動きをすることは即負けに繋がる。
初心者に難しいことさせやがって―――。
だが俺は不思議な既視感に囚われていた。
槍が重なって駆け引き勝負になった時、港で荒くれ者達を相手にして金を賭けてやっていた綱引き勝負に似ているのだ。
言葉足らずで感情表現の下手な俺が、娯楽を通して意思疎通を図った手段だ。
荒くれ達の逞しい腕ほどある太い綱を、それぞれ両端から緩急をつけ引いては戻しの攻防を繰り返しながら呼吸を読んで、最終的に相手を崩した方が勝ちになる。
俺はもともと考えが面に出ないので、それが逆に相手にとってはやりにくかったらしい。
今は槍が二本で一本の綱とは少し勝手は連うが、交差した瞬間は一本だ。
そこを押して引いての駆け引きは慣れ親しんだ感覚だった。
何十回かの攻防を繰り返して勝負がつかず、俺達が手を止めた時、気がつけば周りに人垣ができていた。
・・・・・・つい最近、同じような光景を見た気がする。
まったくこいつらには娯楽がないのか。
しかし変わったこともあった。俺が新入りではなく、名前で呼ばれている。
それと気づいたことがもう一つ。
ルミナが驚きからか大きく丸く目を見開いている、その手に持ったダンゴのようだ。
しかし物を食いながら見ている時点で、やはり俺の手合せは娯楽らしい。
あ、ダンゴが落ちた。
あー!! 落としたダンゴを食いやがった!
まあ下は草地だからそう汚れてはいないか。
「ザイン、お前、本当に初めてか?」
少し息の上がったトクタルの声で俺は我に返った。
むさい男を相手に何が、とは聞き返す必要もないだろう。
「剣はそこそこの腕前と思うが、槍は間違いなくそうだ」
ある神父に剣は容赦ない鍛えられ方をしていたからだ。
「なるほど、戦いに少しは心得があったわけだな。なら今度は素手で勝負だ!」
突如トクタルが槍を放り出して掴み掛かって来たので、俺も槍を手放して迎え撃った。
悪いな、トクタル。俺、こっちの方がきっと得意だ。
俺の腰辺りへ回した逞しい腕で引き倒そうとするトクタルを、そのまま正面から両腕で抱え込んで、俺は今日初めて全力を注ぎこんだ。
港町では綱引きで納得しない奴とは更に取っ組み合いで決着をつけると相揚が決まっていた。
但し殴り合いは滅多にやらない。
体が資本の男達なので、稼げなくなるようなケガをしてまで娯楽に興じようとは思っていない。
―――と言うのは建前で、本当は殴り合いだと口の中を噛み切ることが多く、楽しみの酒が不味くなるのが耐えられないのだ。
本当に分かり易い奴らだった。
ここの騎馬の民達も自然の摂理に沿った生き方をしているせいか素直な者が多く、直情的な海の男達と似ていたので俺としては尚更組みしやすい。
港の重い荷物で鍛えられた二の腕に太い血管が浮き上がり、渾身の力を込めて俺はトクタルを投げ飛ばした。
その光景は腕に覚えのある奴らを奮い立たせてしまったらしく、次々と勝負を挑んで来やがる。
あー、面倒臭い!!
お陰で俺の客人気分も完全に吹き飛んだ。
来る奴来る奴、全て投げ飛ばし続ける。
しかし朝からの槍の稽古が響き、思ったよりも早く腕が鈍りのように重くなったところを何人かに抑えつけられてしまった。
「ま、参った」
俺は息を切らし動かない体で大の字になって草原へと倒れ込む。
汗だらけの顔に草が張りついたが、そう不快でもなかった。
「―――すごく楽しそうね、ザイン」
「ど、どこがだ」
ルミナにしてみれば、俺達は和気藹々と投げ合いに興じているように見えたのか?
俺を覗き込む笑顔は何処か冷たい。
「午後からは馬の訓練よ?」
―――勘弁してくれ。
俺はすっかり忘れていたことを激しく後悔した。