5 出立準備
翌朝は暗いうちから人が動き出し、俺もざわめきの中で目が覚めた。
外へ出るとサラハの白い天幕は既に解体され始めていた。
「手伝わせてください!」
急いで作業をする男達に俺は声を掛け割り込んだ。
ルミナがどうして俺を起こさなかったのか不思議に思ったが、後で聞けばいい。
今は目の前にすべきことがあった。
「お前さんは、昨日ルミナが連れて来た人だね」
すぐ側で天幕から外した骨組みを結っていた年かさの男が気さくに声を掛けてきた。
「ザインと言います。皆さん、突然ですがお世話になります!」
何事も最初が肝心だ、と言いつつも本当なら昨日のうちに周囲へは挨拶する予定だったが疲れた俺は早々に寝てしまっていた。
「アバイだ。こちらこそよろしくな」
年かさの男が愛想よく答えてくれた。
「ザイン、俺はトクタルだ。ルミナから話は聞いている、歓迎するぜ」
俺と同じくらいの体格をした右眉の上に傷のある豪快そうな男から握手を求められ、俺は握り返した。
・・・・・・思った通り力があるじゃないか。
俺もトクタルもこめかみに青筋が立っているのはご愛敬だ。
「し、新入り、や、やるな。気に、入った、ぜ」
「そ、そっちこそ。何を、したら、こんな馬鹿力、に、なるんだ?」
俺も港の荷卸しで結構鍛えたつもりだ。
だがトクタルも負けてはいない。
俺達の右腕がプルプル震えはじめる。
気がつけば周りに人垣ができて、トクタルだ、やれ新入りだと、応援合戦が始まっている始末だ。
お前ら、折角朝早く起きてるんだからしっかり働けよ・・・・・・ああ、俺が元凶か。
「ザ、ザイン、そ、そろそろ、か、勘弁して、やってもいいぜ」
「き、気を、遣わせる、のは、悪い、から、な」
俺達の意地と腕の力が尽きようとしたその時、突然タケの束が頭上へ落ちてきた。
バコッ! バコッ!
「アバイっ、何しやがるっ!」
「無駄な力を使ってないで働け。新入り、お前もだ」
出来上がったばかりのタケ組みの束を抱えたアバイはそのまま荷馬車の方へ歩いて行った。
「ちっ、ザイン、勝負はお預けだ」
「そのようだな」
俺は二の腕を揉みながら思わず笑みがこぼれた。
「中々面白かったぞ、二人とも!」
「次は何で勝負だ? 馬か、槍か 組み合いか? どうせなら酒の席でやれよ!」
ほとんどが冷やかし半分だが、いくらかは好意的な声もあった。
「ザイン、天幕を畳むぞ!」
「ああ!」
トクタルに呼ばれ俺は手あたり次第に手伝いながら、その場で新たに顔を合わせる者達へ挨拶を続けた。
何であれ一つの目的に向かって作業をすると顔なじみが作りやすい。
昔から家の商いを手伝っていた関係で体を動かすのはめっぽう得意だったから、尚更顔を覚えてもらう機会となり有難かった。
「なあ、ルミナがいないようだがどうしたのか知ってるか?」
朝から彼女の姿を一度も見ていないことを俺は小休止の間にトクタルへ尋ねた。
「ルミナは夜明け前に次の野営地を決めるために出発しているはずだ」
「あんな小さな女の子が? 一人でか?」
ここには多くの大人の男がいる。
それなのに何故?
「あの娘は巫女の力を持っているからな。最も良い場所を見極めるのはルミナの役目だ。もちろん腕の立つ男達も同行しているが、ああ見えてルミナは部族きっての短槍の使い手だからそうそうは心配ない」
「―――なるほど」
俺は彼女の朱槍を思い出す。
伊達ではないわけか。
「俺はサラハ様とルミナからお前に騎馬の民の生活を教えてやれって言われているが、馬は乗れるのか?」
トクタルの話にサラハの名前も上がったのを好機と考えた俺は気になっていることを口にした。
「どうしてサラハ様は見知らぬ俺にこんなにも親切にしてくれるんだ?」
「別にお前に限ったことではない。草原に生きる巫女として行き先を見失っていると感じた者を見捨てておけないだけだ」
「見失っている・・・・・・か」
ルミナには迷子と言われたが迷っているつもりは毛頭なかった。
ならばどこを目指しているのかと問われたら―――。
やはりお見通しだったわけだ。
「だけどいきなり天幕の中まで招き入れられたのはお前が初めてだな」
「そうなのか?」
「これは少し楽しく―――いや、厄介なことになるかもな」
「どういう意味だ?」
「細かいことは気にするな。旅人は退屈な俺たちに新鮮な話題を提供するのも大切な役目だ」
トクタルは俺の肩に手を置いて、片眉を上げたしたり顔でうなずく。
「お前が気になるようなことを言っているんだぞ」
「そうか、そうかもな。がははは」
何やら面倒な匂いがニヤけるトクタルの言葉の端々から感じられる。
「おい」
「そんな怖い顔をするなよ、せっかくの男前が台無しだ。次はあちらで馬柵の解体をするぞ」
「ちっ、分かったよ」
何とか聞き出したいが、いつまでも手を休めてはいられない。
俺は歩き出したトクタルを追い掛ける。
「もしお前が迷っていたのが今日ならルミナはいないから俺が探しに行っただろうな」
「―――そうか」
だったら昨日で良かったのかもしれない。
しかし俺は口にはしなかった。
「ザイン、今から馬を隊列に組み入れるために一まとめにするが、少しくらいは乗れるのか?」
数十頭はいるであろう馬が右往左往する木の柵を目の前にトクタルが俺へ尋ねる。
「あんた達のようには無理だが困らない程度には乗れると思うぞ?」
昨日のルミナの腕前に魅せられていた俺はかなり控えめに答えた。
「本当か? お前、ここまで真っ青になって自分の足で走って来ただろう? 騎馬の民にはありえねぇ、あれは本当に面白過ぎたぜ、なあ!」
「思い出しても腹が痛くて涙が出て来るぜ、はははっ」
トクタルの隣で先に来ていた小柄な男が合いの手入れた。
「汗だくで頭から湯気を出してたよな? まるで生まれたての仔馬だったな!」
「おっ、サート、お前うまいこと言うな。がははは!」
「まあな。仔馬なら道にも迷うし寝つきも早いってもんよ、はははっ」
「それに乳を飲むのに嬉し涙を流してたそうじゃないか、がははは!」
ルミナーっ、いい加減な事を。
騒がしい男二人に散々な言われようをしたが、お陰で一気に場が和んだというより爆笑の渦になり、その中心は不愉快ながら俺だ。
そうかいそうかい、行きずりの旅人らしく色々と笑いを提供できてとても嬉しいよ。
ちくしょう、今日は初顔見世だからお代は負けといてやる。
誰にも聞こえないようにつぶやくが、きっと俺がトクタル達に早く馴染めた理由の一つなのだろう。