4 精霊
「ん、今日は静かね」
横に立つ彼女は目を瞑り静かにつぶやいた。
俺は首をかしげて思わず聞き返す。
「これだけ騒がしくて何を言っている?」
周囲では夕食の準備をしている者や子供達が走り回って賑やかこの上ない。
「精霊がよ」
「精霊?」
言われてみれば何度か聞いた気がする。
「あなたの危険を母様へ知らせたのも精霊。天幕を張りながら教えてあげるわ」
彼女が布を広げタケを通し始めたので、俺もその端を持って見様見真似でタケを通す。
「あら、結構器用ね。ひょっとして使ったことがあるの?」
「いいや。だが昔よくやらされた船の帆張りには少し似ている気はするな」
「船? ザインって船乗りだったの?」
・・・・・・しまった。
俺の手元を見たルミナの褒め言葉に気を良くしてうっかり口を滑らせたようだ。
「いや、まあ、親父がそうだったから俺はその手伝いで船を修理していたんだ―――」
本当のことではあるがとても不自然な感じが否めない。
かと言って船乗りの息子が船酔い体質で使いものにならなくて、船については陸の作業しかできなかった。その挙句に父親の死後に商いは行き詰まって店を畳む羽目になったなんて笑い話にもならない過去を話す気などさらさらない。
「手伝わなくて大丈夫なの?」
「まあ、その色々とあってな。この話はこれまで、な?」
誤魔化すのは卑怯だが何としてでも話題を終わらせるために手段は選んでいられない。
しかしぎこちない俺の口の利き方に凡そを察したルミナは手を止めて小さく呟いた。
「・・・・・・おかしなことを聞いたみたいで―――ごめんなさい」
「もう過ぎたことだ。そんなことより天幕を早く張らないと日が暮れそうだな」
俺は努めて明るい声を出した。
「そうね―――これは父様が使っていたものなの」
「ああ、サラハ様も言ってたな」
「実は―――私の父様もいないの」
「そうだったのか」
・・・・・・きっとそうだと思っていた。
だから話を終わらせようと思ったのだが、どうやら失敗したようだった。
「少し前の戦いで命を落としてしまったのよ」
「・・・・・・その、大丈夫か?」
当たり前だが昼間の溌剌とした雰囲気がまったく感じられないことが少し心配になるほど静かな口調だった。
「ええ。もうすっかり母様と二人の暮らしに慣れたから気にしないで」
「―――そうか」
彼女はまだまだ年若い女の子である。
嘘だと分かっていても俺にはそれ以上何も言えなかった。
「それにいずれ私か母様がこの話をすることになると思っていたから」
「・・・・・・そうだったのか」
過去を隠すことしか考えていなかった俺とは違い、彼女は辛い父親の死を俺に打ち明けるつもりだった。
何が年下の女の子だ。
どこぞで彷徨っている奴より遥かにしっかりしているじゃないか。
「ザイン、手が止まってるわよ!」
「え? ああ、すまない」
俺はぼんやりと考え事をしてすっかり動きが完全に止まっていた。
「もう、しっかりしなさい。そんなのだから迷子になって母様に助けられるのよ」
「くくく、まったくだ。面目ない」
ルミナの手が完全に元通りとなっていることに気づいた俺に反論の余地は一切残されていなかった。
「ここは族長テジムが率いているのだけど、母様はこの部族の巫女で精霊から吉凶を教えてもらえるの。こうして耳を澄ませると風の音が違って、行くべき所、行ってはダメな時間、他にも色々と分かるのよ」
口調も元へと戻ったルミナは場の雰囲気がおかしくなる前の話の続きを始めた。
「精霊とは風の精霊のことか?」
俺には使えないが、精霊の力を借りて風を吹かせたり、火を燃やしたり、地割れなども起こせる魔法があり幾つかは目にしたことがある。
「山の向こうでは不思議な力を使える人がいるみたいね。でも私達のはそこまで便利ではないし、単に精霊の声とだけ呼んでいるわ」
「ルミナも聞こえるのか?」
確か彼女は次の巫女と呼ばれていたはずだった。
「少しだけね、でも槍をまだ持っている私には母様ほどは無理よ」
「・・・・・・槍が関係しているのか?」
「それもまた今度時間がある時に教えてあげるわ。よし、これでいいわね!」
話がまったくつながらないが、騎馬の民や精霊にとって門外漢の俺には仕方のないことだ。
切りよく天幕も出来上がったところでこの話は終わった。
「じゃあ夕食にしましょうか」
「夕食?」
「母様が作ってくれているはずよ」
ルミナは隣の大きな白い天幕の天辺から立ち上る煙を見ていた。
「いいのか?」
「母様に相当気に入られたみたいだから大丈夫よ」
まったくそんな素振りの記憶がない俺は思いついたことを尋ねる。
「ひょっとして厚手の敷物に案内されたことか?」
「そうよ。あそこは巫女の結界の中で許された者しか入れないのよ」
・・・・・・道理で落ち着かなかったはずだ。
「父様以外の男の人で始めて見たからちょっと驚いたわ」
「・・・・・・何だと?」
「族長でもあそこまでは入れないわよ」
俺は答えに困った。
一体どこをそこまで気に入ってくれたのか、聞きたいところだが何だか聞くのも恐ろしい。
「母様が待ってるわ。早く行きましょう!」
彼女は俺の手を引いて白い天幕へと誘う。
さすがにそこまで世話になるのもどうかと思ったが、こんな天幕まで借りて今更か。
それに用意をしてもらっているなら受けないと逆に失礼になる。
「ありがたくご相伴に与かろう」
明日の移動時にはどちらの天幕も片付けることになる。
男手が必要なことはいくらでもあるだろう。
俺は恩返しを心に決めて、好意に甘えることにした。