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3 巫女

 天幕は外から見たとおり俺が立ってもまだ上には余裕がある。

 骨組みは東方に生えているタケと言うしなやかで強い植物を使い、幾重にも動物の皮を縫い合わせた幕がその上に張られていた。

 真ん中には火を焚く場所もあり、鍋などが骨組みから吊るせるようになっている。

 声の主は天幕の一番奥で幾重にも敷かれた分厚い毛皮の上に胡座で座っていた。

 金色の長い髪に青い瞳、間違いなくルミナにとても似ているが、彼女はなかなかお目に掛かれないほどの美人だった。

 彫りの深い目鼻立ちに引き締まった表情を浮かべ、凛とした空気を漂わせている。

 装いはルミナや他の騎馬の民達とまったく違って真っ白で少しゆったりとした長衣だ。

 正直予想外であった。

 うかつには近寄りがたい厳かさが天幕内に充満し、俺のかわいい妄想はあっと言う間に雲散霧消して息苦しさしか残らなかった。

「ちょっと待ってね。敷物を準備するわ」

 (たたず)んだままの俺を座らせるために、ルミナが慣れた動作で色々な用具の積まれた天幕の隅へと向かって歩き出した。

「ルミナ、構わないからこちらへご案内しなさい」

「ええっ!? 良いの!?」

 何をそんなに驚いたのか、不思議なほどルミナは目を開いて母を見返していた。

「大きな声を出してはしたない。早くお連れしなさい」

「はーい。ザイン、こっちよ」

 ルミナは俺へひらひらと手招きをする。

 それも十分行儀が良くないと思われたが、他人の家のしつけに口を出すつもりはない。

 俺は靴を脱いで薄い敷物に上がり、天幕の真ん中辺りで立ち止まった。

「ザインさん、遠慮は不要です。もう少しこちらへ」

 ここから奥はとても分厚い獣の皮が敷かれ、入ってはならないような気にさせる何かがある。

 どうしたものかと俺はルミナへ助けを求めたが、彼女も俺と同じくらい困った顔をしていた。

 仕方なく俺はルミナの母へ視線を戻すと、彼女は何故か笑みを浮かべてこちらを見ている。

「―――失礼します」

 何となく心の中まで見透かされている気がした俺は、意を決してふかふかの毛皮に足を踏み入れた。

「まずはお座りなさい」

「・・・・・・はい」

 もう立とうが座ろうが同じだと考え、素直に腰を下ろし姿勢を正す。

「初めまして。私がルミナの母、サラハです。この部族の巫女を務めています」

「―――私はザインと申します。よろしくお願いします」

 一度名乗ってはいたが、礼儀を失しないよう改めて俺は挨拶をした。

「彼は私が感じた所にいましたか?」

「ええ、母様の仰るとおりでした」

 いつの間にか俺の隣へルミナが座っていた。

「間に合って良かったです。ザインさん、疲れていませんか?」

「はい、ほんの少しだけ」

 とこぞの娘のお陰でえらく走らされたとは言える雰囲気ではない。

「ゆっくりと休ませてあげたいのですが、ここは私達二人だけなので分かってください」

「・・・・・・は、いえ、仰るとおりです」

「その代わりではありませんが、使わなくなった天幕が一つありますからそちらを貸しましょう。ルミナ、父様のあれを」

「はーい」

 素早く立ち上がったルミナは、先ほど敷物を取りに行こうとした場所から体一杯に緑の布を抱えて俺の目の前へ置いた。

「これがあなたの天幕。骨組みはあそこにあるから」

 彼女の視線の先には細いタケが紐に束ねられ布にくるまれて置かれていた。


 ―――まあそうだよな。

 俺もまさか女性二人と同じ天幕で寝泊まりしようとは考えてなどいない・・・・・・いや、最初は少しそうかもと期待したが、今はとても耐えられそうにない。

「父様が物見に使っていた一人用だからすぐに建てられるけど、もう日も落ちているから急いだほうがいいわね」

「そうだな、じゃあ早速」

 居心地の悪さから渡りに船とばかりに外へ行こうとする俺をサラハが呼び止めた。

「その前にこれを飲んでからにしなさい」

 彼女の差し出した両手にはいつの間にかタケをくりぬいた器があり、白いとろみのある液体が湯気を立てていた。

「母様、ありがとう!」

 ルミナは勢いよくそれを飲み干す。

 俺はと言うと、眉をしかめて器とにらめっこをしていた。

 ・・・・・・何だ、これは?

 はっきり言えば非常に酸っぱい匂いと生臭さが得も言われぬ悪臭を醸し出している。

 汗臭い野郎ども数十人が一月以上寝泊まりをする船室に匹敵するほどだ。

 それを口に入れる―――今まで経験した中でもあまりに怪しく危険な行為に俺はためらいを感じざるを得ない。

 旅の最中に腹を下すことほど悲惨なものはない。

 力は入らないし歩くのも厄介だ。着替えも―――これ以上はやめておこう。

 何より仲間にも多大な迷惑が掛かる。今は一人(ぼっち)だけど。

「ヒツジの乳を搾って、温めながらしばらく掻き混ぜて少し置いたものです。疲れが取れますよ、安心し―――」

 サラハが説明を終える前に、ルミナが俺の手から器を取って半分ほど飲み干した。

「はい、大丈夫でしょ?」

 俺へと器を返してにっこりと誇らしげに微笑む彼女の口の両端には白い髭ができていた。

 せめて女の子らしく拭いてからにしろ。

「くくく、ありがとう」

 さすがにここまであからさまに毒味をされると後には引けない。

 俺も覚悟を決めて息を止め、恐る恐る一口だけ飲んでみた。


「うぐっ!!?」

 想像を遥かに超えた経験したことのない酸味が口の中を支配する。

 舌がマヒしそうだ。

 しかし吐き出すわけにもいかず、俺はそのまま喉の奥へと液体を追いやる。

「げ、げほっ・・・・・・う、う、う」

 ―――何故だろう、ルミナとサラハがぼやけて見える・・・・・・。

「ちょっと、やだ、ザ、ザインが泣いてるわ、あはははっ!!」

「ルミナ、これ、失礼ですよ。ほほほ」

 何がほほほだ。母娘(おやこ)で人の不幸を笑いやがって。

 俺は涙目ながら二人を睨んだ。

 我ながらまったく迫力に欠けているのは分ってるさ。

「こんなものが飲めないなんて子供よねー」

「ルミナ、アレを持ってきておあげなさい」

「はーい」

 彼女が奥の棚から小さな手に蓋のある器を持ってきて開けると、何やら怪しげな褐色のものが入れられていた。

「お口直しよ」

「・・・・・・これが?」

 俺は胡乱そうな目で器とルミナを交互に見る。

「パーシモンよ」

「・・・・・・あの渋い実だよな?」

「あなたも(なま)を食べたのね! ふふふ」

 お前もか!

 更に楽しそうな表情を見せる彼女の言葉通りだ。

 ガキの頃に親父から食うなと言われていたが、どうしてもきれいな見た目の誘惑に勝てず思いっきり齧ったのだ。 

 その後暫く味覚が戻らず、二度と食うものかと幼心に誓いを立てた苦い味と記憶を思い出す。

 今となっては数限りなくある若気の至りの一つだ。

「もう、しようがないなあ」

 いつまでも手を出さない俺に業を煮やしたルミナが、褐色の大きな塊を取り出して口へと放り込んだ。

「あ・・・・・・」

 心配そうな俺をよそに彼女はご満悦の笑顔を見せる。

「うん! 甘い!! 母様、上出来よ!」

「それは良かった。ザインさんもお食べなさい」

「えっ、あ、はい―――」

 俺は再び意を決し、ごく小さなもの選んで恐る恐る口へと運んだ。

「―――甘い!!?」

 何かの間違いではないか?

 実は草原では違う実を指すのでは?

 それほど衝撃的だった。

「でしょ! パーシモンは干すと甘くなるのよ。母様くらいの名人になるとハチミツよりも甘くなるわ!」

 ルミナは母の自慢を嬉しそうにする。

「これは本当にあの渋い実か・・・・・・?」

 正直俺はまだ信じられない。

「あの渋さには別な使い道があります。例えばこの天幕の表面に塗って雨を弾かせるとか。良ければ甘いのも渋いのも使い道を教えてあげましょう。でも口直しができたなら先にやることがあるでしょう?」

「そうよ! ザイン急ぎましょう!」

「ああ、そうだな―――ごちそうさまでした」

 俺はサラハへ丁重に頭を下げ、タケの束を持って天幕を出る。

 続いてルミナが緑の布を抱えて来てくれた。

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