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2 対面

「それに軽装は逆に良かったかもね、ふふ」

 何だその意味深な笑いは。

 使い古した革のズタ袋に水と食料を入れ、腰にはありきたりな長剣。

 隊商を組んだ商人や天幕で移動する騎馬の民からすれば近場への旅装に見えるかもしれないが、幼い頃から旅慣れた俺には普通のものだ。

 しかしこの草原ではお世辞にも褒められる要素はどこにもなく、あまり嬉しくない感じがしたのは気のせいではないだろう。

「人の足ならここから半日くらいは走ることになるわ」

「・・・・・・人?」

「そう、人」

「・・・・・・さっき遠くないと言わなかったか?」

 俺の言葉を背に聞きながら、ルミナは惚れ惚れするほどの身のこなしで白馬の鞍へと跨った。

「だって私は馬だもの。それじゃあしっかりついて来るのよ! ハイッ!!」

「な、何っ!? ルーミーナー!!!」

 俺の怒号が虚しく響いた時には彼女の姿は数十歩先を行っており、慌てて俺も走り出した。

 つい先程までは足首ほどに生い茂った一面の若草も、それを揺らしながら渡る風とキラキラした陽光も、何もかもが心地良く景色や状況を楽しんでいる俺がいた。

 だが今では走る足へ微妙にまとわりつく草と、ジリジリした暑さを感じさせる日差しが地味に体力を奪い不快にしか感じていない。

 何故こうなったのか。

 俺は少し足を止めて水筒で喉を潤す。

 そうするとルミナも止まってこちらを見ている。

 走り始めた最初こそ俺を焦らせるために距離を開けたようだが、ここ暫くは大声でなら会話ができるくらいの位置を維持して前を走っている。

 とは言っても声を出したら余計に疲れるので話をする気など俺には毛頭ない。


 小さな丘を幾つか越えて俺の走る速さが目に見えて落ち始めた頃には、夕日も半分ほど地平線へと姿を隠していた。

 薄暗がりの少し先で彼女が振り返って待っている。

 足をもつらせながら追いついた俺の視界には、灯りの点いた数十の天幕が映った。

「お疲れさま。ここが私達ジャハン族の野営地よ。でも明日には北へ移動を始めるわ」

「お、お、お前っ、ほ、本当に俺を、つ、連れて来る、気が、あった、のか?」

 全身から湯気を上げながら乾き切った喉で俺はかすれた声を絞り出した。

 手持ちの水は走り続けているうちにすっかり飲み干してしまっていた。

「当然でしょ。だってあなたしっかりついて来れたじゃない。まさか日暮れ前に着くとは思わなかったけど、結構近かったでしょ?」

 至って気楽そうに馬の鞍からルミナは答える。

「そんな、わけ、あるか!!」

 喉がくっついて上手く声が出せない。

「そうよね、ふふ。みんな!! 草原で迷子になる予定だった旅の客人よ! 後で挨拶をするから楽しみにしていてね!!」

「誰が迷子だ!! それに挨拶って何だ!? げほっ!!」

 天幕の周囲の騎馬の民達へ意味不明な紹介をされた俺は、喉の渇きも忘れ大声を出してひどく後悔をした。

「聞いてなかった?」

 ルミナはするりと白馬から下りると真剣な眼差しで俺を見上げた。

「私達は明日にはもっと北へ移動するわ。今日でなければあなたには会えなかったのよ?」

「―――この辺りには他の部族はいるのか?」

 なけなしの唾を一度飲みこんで俺は尋ねる。

「今年は草の生育が早いのよ。だから皆とっくに北へ出発しているわ」

「むぅ、そう言うことか」

 この時期ならまだ騎馬の民に会えると気楽に構えていたが、まったく甘かったと思い知らされる。

「ふふ、物分かりは良いみたいね。私達以外にいるとしたら野盗くらいじゃないかしら」

「―――俺は運が良かったのだな」

 騎馬の民は牧草を求めて年中移動している。

 暖かくなれば北へ、寒くなれば南へ、風が吹けば東へ、雨が多ければ西へ。

「母様に感謝なさい」

 笑顔に戻ったルミナの言葉で俺は思い出した。

 確か彼女の母が俺を感じたとか聞かされていたのを。

「それとこの辺りで一番遅く出発するお前の部族にもか?」

「・・・・・・それはどうかしらね」

「どうした?」

 彼女が急に表情を曇らせたのだ。

「ともかく母様が待ってるわ。行きましょう!」

「おいっ、いきなり押すな!」

 誤魔化すような彼女に俺は背中を力いっぱい押され、周囲の者達から奇異の目で見られながら幾つかの天幕の間を通り抜けて一つの白い天幕の前へとやって来た。


「ここが私の天幕よ、中で母様が待っているわ」

 それは周りに適当な距離で建てられているものと比較しても大きめで、色も明らかに白かった。

「立派なものだ。他にご家族は?」

「母様と私、二人きりよ」

「何っ!?―――本当に良いのか?」

「何が?」

 まさか女性二人のところへ世話になるとは思ってもいなかった。

 しかしルミナは一向に気にする素振りもない。

 それとも騎馬の民はそうなのか?

 多少事前に下調べはしたが、そこまで風習に詳しくなれていないことが少し心配になった。

「いや、俺は、まあ男だぞ?」

「知ってるわよ?」

「だからだな―――」

「何をわけの分からないことを言ってるの! 母様が待ってるわ。ただいまー、母様!」

 ルミナは入口らしきところの獣の毛皮を分けて天幕の中へと入った。

「ルミナ、何ですその挨拶は。あなたは次の巫女なのだからもう少し行儀良くなさい」

 聞こえるのは品の良い女性の声だが、帰るなりルミナがお叱りを受けている。

 俺はかなり気を引き締めて掛かることにした。

「客人の案内はどうしたのです?」

「はーい、ザイン、入りなさいよ!」

 彼女が入口を開けてくれたが、俺はすぐには天幕へ入ることはしなかった。


「初めまして、ルミナの御母堂でいらっしゃいますか。私は旅の者でザインと申します」

 俺は入口の手前に片膝を着き、拱手をして騎馬の民の挨拶を行った。

「この度は危うきところをお助けくださりありがとうございました」

 黙って頭を下げる俺に、あの上品な声が静かに掛けられる。

「―――ザインさん、お入りなさい」

「・・・・・・失礼致します」

 促されるまま俺は立ち上がり、少し屈んで一歩だけ中へと入った。

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