17 久遠の契り(挿絵あり)
「―――私を追って来たの?」
「ああ」
俺は少しかすれ気味の声を出す。
喉が渇いているというよりは緊張しているからだろう。
「どうして?」
「気がつけば走り出していた」
「それでこんな目に遭って・・・・・・ほんと、どうしようもない人」
「―――泣くな」
涙を浮かべる彼女から今更ながら新しい呼び名を得たようだ。
俺は痛みを我慢して体を起こした。
寝たきりではまったく様にならないし、彼女が俺のケガを気にし過ぎると思ったのだ。
「・・・・・・ここへは精霊の力でか?」
彼女が都合よく来てくれた理由を尋ねた。
「そうよ、今にも消えて無くなりそうって」
「・・・・・・そうだったのか」
「ふう」
彼女は大きく溜息をついて立ち上がり俺の隣へと座る。
「あなたは本当に運が良かったわ。私達は落ち武者狩りをしている野盗を倒しながら、ラクの野営地に向かっていたのよ」
「・・・・・・そうか」
言葉の意味するところはよく分かった。
彼女は俺よりも遥かに速く馬を走らせる。
同行していたラクの者達もそうだろう。
普通に考えれば追いつけるはずがない。
それでも精霊の声が届く範囲で俺が倒れたのはまだ遠くへ行っていなかった理由があったからだ。
「ルミナ、返すぞ」
俺は疼く傷口に少しだけ顔をしかめながら側に置かれた朱槍を彼女へと差し出した。
「それはあなたにあげるって―――私はもう短槍は持てないのよ・・・・・・」
うつむく彼女はこれまでにないくらい、か細く頼りない。
「・・・・・・俺は騎馬の民ではない。元商人でただの居候だ」
俺は思わず顔を背ける。
こんな彼女は見たくはない。
深くなる宵闇の中、焚火のはぜる音だけが静かに響き渡る。
「・・・・・・そう―――よね。なら私もやりたいようにするわ」
きつく唇を噛みしめた顔を上げたルミナが、俺から朱槍を奪い取って突如襲いかかって来た。
「うおっ!?」
抗う力などあるはずもなく、俺はいとも容易く彼女に組み敷かれてしまう。
「おい、どういうつもりだ?」
激しい痛みを感じる背中で仰向けになった俺の目に映ったのは、金色の長い髪を振り乱して槍の柄をきつく押し付ける少女と満点の星空だった。
「―――どうしてもらってくれないの?」
彼女が口許に浮かべる笑みはあまりに悲しく、締めつけられた俺の心はケガの痛みを忘れさせる。
「・・・・・・理由がない」
俺は逸らしそうになる視線を必死に彼女へ留める。
自分でも分かるほど強張っている表情に彼女の青い瞳がふと優しくなった。
「最初に会った時から思っていたの。本当に綺麗な目と髪だって・・・・・・」
彼女はゆっくりと朱槍を体の横へ置くと前屈みになって俺の頭を手で触る。
「そうか? お前の金色に輝く髪のほうが美しいと思うが―――」
こんな状況で何だが、微妙にアレが顔へ押し付けられて息苦しい。
だがそんな事を言うと、本当に二度と口が開けなくなりそうなので余計なことは黙っていることにした。
「ふふ、ありがとう。母様が言っていたの、とても柔らかく光る銀色の魂が草原を彷徨っているって」
「・・・・・・俺のことか?」
「そうよ。私も巫女になると決めたお陰で感じられたわ。本当に頼りなくて儚い、澄んだ銀色。あなたの魂にそっくりよ」
彼女は優しく俺の髪を撫でる。
「・・・・・・なんだかこそばゆいな」
少し、いやかなり息苦しさも感じるが、至福の時と言うやつかもしれない。
俺はこのまま命が尽きるのも意外に悪くはないと思い、体の力を抜いて目を閉じた。
「―――ザイン、あなた私に助けられたのよね?」
頭の上から聞こえた、緊張しているような少し上ずった彼女の声で俺は目を開ける。
「急にどうした? 俺は何度もお前に助けられている。ずっと礼も言いたかった」
今はうっかりすると窒息して殺されそうだったが、それは一先ず置いておく。
「命の恩人の頼みは聞くべきじゃない?」
「・・・・・・待て。それとこれは別だ。どうして大切な槍をそこまでして渡そうとする?」
「―――本当はお互いに持つ槍を交換するのよ」
声色を少し強くした彼女は体を起こして立ち上がり、俺に手を貸して座らせた。
「何だそれは?」
「現世では半身を相手に託し別れても、来世に必ず探し出して結ばれることを誓う―――昔から私達に伝わる『久遠の契り』に必要な儀式なの」
「俺は―――騎馬の民ではないし槍も持っていない」
「そうよ・・・・・・だから私にはあなたの髪を少しちょうだい。例えラクの巫女になっても必ず輝かせ続けて見せる―――それならあなたも見失わないわ」
「お前―――」
意味が分かって口にしているのか?
いや、分かっていなかったのは俺だけだ。
言葉を告げる彼女の瞳には激しい炎が揺らぎ、口調は厳しかった。
「契りの成就でもっとも大切なのは―――最後まで生き抜くことなの」
「・・・・・・俺は正真正銘の愚か者だな」
何も考えず、知らず知らずのうちに刹那的になっていた俺とは違い、彼女は運命を受け入れた上でその想いを告げてくれていたのだ。
騎馬の民の誇りと命に等しい大切な槍を渡す意味など考えれば分かりそうなことだった。
そして死が目前に迫るまで自分の気持ちに気づかなかったことも―――。
「そうね・・・・・・でもそんなところも大好きよ」
瞳を潤ませて微笑む彼女に俺は決めた。
何度も助けられたこの命、すべては彼女が望むままに―――。
「分かった、久遠の想いを懸けて誓おう。俺はこの朱槍と伴に何が何でも生き抜いて必ずお前を探し出す」
すっかり伸びた髪を槍の刃先で一房掻き切った俺は、彼女へと手渡した。
不意に溢れる涙をどうしても我慢できなかった。
「・・・・・・あなたは騎馬の民ではないのに―――やっぱりおかしな人っ」
「求めたお前が―――言うな、よ」
彼女は俺へ抱きつくと、か弱い拳で何度も何度も俺の胸を叩いた。
俺は何も言えず、ただ強く抱きしめるしかできなかった。
すべてが冷たくて痛い、熱くて悲しかった。
それでも求めずにはいられなかった・・・・・・。
俺はルミナのぬくもりを感じながら知らず知らずに眠りへと落ち、目が覚めた時に彼女の姿はなかった。
しかしあれは夢ではない。
少し短くなった髪が掛かる俺の肩口には、甘い香りと濡れた柄を朝日に輝かせる朱槍が抱きかかえられている。
痛みを押して振り上げた腕の先の空は今日も眩しく青かった。
それは彼女の瞳のように―――。
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