16 再会
大男は呼吸を整えながら攻撃の機会を見計らうように、得物を担いで俺達の動きに合わせて体の向きを変えている。
俺は唾吐き野郎のシミターを受け流しながら半歩、また半歩と慎重に大男へ近づく。
そして動く大男の左足が前になった瞬間を見逃さなかった。
今ならば斬馬刀は振り下ろせない!
重い得物を効果的に使うためには前足へ体重を乗せる必要があり、大男は右足を踏み込んで上段からの攻撃ばかりしていた。
また咄嗟の時には無意識に使い慣れた形が出てしまうのだが、今は左足が前でそれがない。
俺は唾吐き野郎の刃を槍の柄で弾き、立てていた穂先を大男に向けて勢いよく振り下ろした。
溜めも予備動作も無いためどこまで通用するか心配だったが、槍は予想以上に大男の右腕を深々とえぐり取る。
恐ろしいほどの切れ味に俺は今更ながら驚かされた。
「ぐおおおっ!!」
予想だにしていない突然の激痛に、たまらず大男は斬馬刀と片膝を地に落とした。
呆気に取られている唾吐き野郎と、大男を一瞬見比べた俺は槍を握り直して大男へ肉迫する。
右腕から噴き出す赤黒い血流を苦しげに左手で押さえた大男は、慌てて斬馬刀を握って立ち上がるが刃先は地に着いたままだ。
・・・・・・ちっ、やりにくい。
既に脅威でもない敵の命を奪うことに一瞬手が止まる。
しかしくだらない感傷に浸っている暇はない。
俺は心を殺し大男も殺した。
だがこの躊躇いが命取りになった。
俺が唾吐き野郎に向き直ろうとした瞬間、背中に熱い痛みが走る。
「うっ!!?」
「へ、へへ、や、やってやったぜ」
振り返った俺の目には、よだれを垂らしながら喜ぶ薄汚れた男の顔が映った。
「く、くせぇ息吹きかけんなよっ!」
俺は槍を地に突き刺し、無理矢理に身をよじって唾吐き野郎の刃から逃れる。
―――マズいな、今ので更に傷口が開いた。
崩れ落ちそうになる膝を震わせながらも俺は踏ん張り、右手で傷を押さえたい衝動を抑えて何とか腰の剣を引き抜いた。
「さっきまでの勢いは何処へ行った? 色男さんよ!」
血塗られたシミターを嬉しそうに舐め上げる唾吐き野郎が近づいて来る。
お前よりはな・・・・・・と憎まれ口を叩く余裕も今の俺にはない。
息も絶え絶えな俺に絶対的な優位を感じ取った野盗は、下卑た笑みを浮かべながら手放した短槍に目を止める。
「お前、良い物を持ってるじゃねえか。そうだ、こいつで止めを刺して仲間の仇を取ってやるぜ、へへ」
己の考えにご満悦な唾吐き野郎はシミターを左手に持ち替えて朱槍へと向かい、右手で引き抜こうとした。
「おっ、おおっ!? ぬ、抜けねぇ!!」
俺の火事場のバカ力と鋭い刃先のお陰だろう。
ルミナの朱槍は深々と地に突き刺さり、この男の力ではビクとも動かなかった。
「く、くそっ」
男はとうとうシミターを鞘へと納め、両手で槍を抜き始めた。
・・・・・・本気か?
どこの世界に好き好んで隙を作って見せる奴がいる?
ああ、ここにいるな。
油断を誘っているわけではないだろう。
俺は唾吐き野郎を一瞬疑ったがすぐ行動を移した。
体は言うことを聞かないが、野盗は俺に注意をまったく払っていない。
こいつらも襲撃してきた部族も用意は周到だが詰めが甘い・・・・・・などと偉そうに言える立場でもないか。
俺は残された力を振り絞り、野盗へ長剣ごと飛び掛かり倒れ込んだ。
折角助けてもらったのに臭い男と重なって命を落とすことになろうとは本当についてない。
使い慣れた剣には確かな手応えがあり、俺は苦笑いを浮かべながら意識を手放そうとゆっくり瞼を閉じた。
・・・・・・しかしふと頬にかかった冷たい滴と生暖かくこそばゆい感触が邪魔をする。
少し草の湿った匂いもする。
ああ、栗毛か。
もう放っておいてくれ。
俺はほとんど残っていない力を振り絞り、右手を見えぬ愛馬に向けて持ち上げた。
「むにゅ」
・・・・・・。
不思議な感触があった。
それに何となくおかしな静けさと言うか沈黙を感じる。
栗毛が人の言葉を話さないのは当たり前なのだが、俺の手はそれとは何か別のものに当たったらしい。
しかしやたらと気持ちいい。
もはや精も根も尽き果てて痛みと辛さしか感じない中、一筋の光明を感じる。
俺は無意識に右手を再び上げた。
「むにゅ」
「・・・・・・ザーイーンーっ」
空耳か?
聞きたくてもニ度と聞こえないだろう声がしたような気がした。
嘘でも最後に聞こえただけで精霊でも神でも何であれ感謝したいが、できればもっと優しい声が良かった。
「もう、しっかりしなさいっ!!」
―――か?
俺は恐る恐る声にならない名を口にした。
夢から覚めるのが怖いとか、そんな生ぬるい気持ちではない。
今の彼女の形相が目に浮かび本当に恐ろしかったのだ。
俺がさっき二度も触れたのは―――きっとアレだ。
「そうよ、ルミナよ。ほんとおかしな人ね、ザイン・・・・・・」
不意の暖かい雨が俺の頬を優しく濡らした。
俺は相変わらず横たわったまま目の前に火を見ている。
その向こうには赤い眼で引きつった笑顔の彼女がいる。
傷を洗うために必要な湯を沸かした焚火は静かに俺達の顔を照らしていた。
とてもしっかりと、そしてかなり手荒な手当てをしてくれたことから、まだ胸に触ったことを根に持っているのは間違いない。
ケガ人はもっと労わって欲しいものだ。
あのお陰で死の渕から帰って来たのだと説明しても、まったく納得してくれなかった。
まあ当然だな。
勝手に追って来た挙句に大ケガをして命を落としかけた大バカ者の戯言なのだから。
その俺に彼女の小さな胸を触らせた元凶の栗毛も少し離れたところで横になり、時折首を上げてこちらの様子をうかがっている。
色々な意味でありがとうよ、相棒。
俺の視線が馬に移ったことでこの場から妙な緊張感が少し無くなり、ルミナが静かに口を開いた。