10 葛藤
ゼィ、ハァ、ハァ―――。
若い男女の荒く湿った吐息が交わる。
「ザ、ザイン、やるわね。と、とってもいいわ」
「そ、それは、ありがとうよ。と、言っても、下より上が、いいんだが、な」
俺は二の腕にぐっと力を入れてルミナと交わった場所を持ち上げる。
「あ、あなたの押しの強さ、悪くないわ。ううん、日に日に、良くなっているわよっ」
彼女も負けじと踏ん張る。
「あ、当たり、前だ。伊達に男を、やってないさ」
ルミナは顔に掛かる汗で濡れた金色の髪を振って、俺を見つめた。
一瞬の沈黙を交え、俺はさらに黒く固い柄を握り締める。
「いくぞっ!!」
そしてこれでもかと腰を強く入れた。
何で?
もちろん俺の槍を突き出すためだよ。
正確にはサラハから借りている槍だ。
黒と朱の槍が甲高い音を響かせ鋭く交差する。
その直後、黒い柄に朱の蛇が絡みついたかのような動きを見せると、俺の手から槍が離れ高々と宙に舞って草地へ突き刺さった。
「―――まいった」
「今の動きはまあまあね!」
梃子の原理を利用した短槍で長槍と戦う時の常套手段だ。
彼女は俺に何度も勝っているくせに嬉しそうに笑っていた。
ここ数日は一日中ひたすら本物の槍を使っての特訓が続いている。
トクタルにはもう練習槍でなくても大丈夫と太鼓判が押された。
馬の方はルミナ曰く、意外にも俺は乗れているので朝夕の遠乗りで訓練すれば十分とのことだった。
もちろんその時におかしな曲乗りもやらされている。
しかし優先すべきは槍とのことで、こちらも結局ルミナが面倒を見てくれるようになったのだ。
「少し休みましょうか」
「ああ」
俺達が腰を下ろし竹筒に入った水で喉を潤していると、少し離れたサラハの天幕へ入ろうとする男達がいた。
一番後ろの若い男は族長の息子エランだが、それ以外の者を俺は見たことが無かった。
「何かあったのか?」
「ほんとしつこいわねっ」
エランは天幕へ入る手前でこちら、と言うか俺へ非情に険しい視線を向けている。
「ちょっと待ってて。私、行ってくるわ」
ルミナが立ち上がったので、後に続こうと腰を上げた俺を彼女が首を振って止めた。。
「ここで待ってて。あ、これ預かってちょうだい」
「―――分かった」
彼女は俺に朱槍を渡して天幕へ走って行った。
周囲にいた騎馬の民達が驚いた顔をしていたが、俺は彼女を追わなかった。
きっと俺に気を遣って何か連れて行きたくない理由があると思われたのだ。
うぬぼれではないぞ?
俺はサラハの天幕の奥へ入ることを許される唯一の男だからな。
それに族長の息子がわざわざ足を運ぶほどの話に余所者が立ち入るべきではないとも考えたのだ。
俺が朱槍を右肩に持たれかけさせ、ぼんやり白い天幕を見ていると、ルミナが入口の毛皮を荒々しく開けて不機嫌そうに走って出て行った。
その後ろからエランが続き、俺を認めるとこちらへ来る素振りを見せたが、俺は急いでルミナを追いかけた。
彼女は馬柵のところへ向かい、俺を確認するとすぐ白馬に乗って草原へと駆け出した。
俺も慌てて栗毛に跨ったが しばらく走ってもまったく彼女に離されない。
俺が突然上手くなることはない。つまり彼女が全力ではないのだ。
そして日も傾きかけた頃になって白馬が動かなくなり、俺は容易に追いつくことができた。
「ルミナ、どうした?」
俺は馬を並べて茜色に染まった彼女の横顔を見る。
泣いているのかと思ったがそうではなかったようだ。
「・・・・・・ザイン、私の槍、使う?」
俺の手にある槍を見つけた彼女が小さく尋ねる。
「すっかり忘れていた。返すぞ」
俺は夕焼けに負けないほど鮮やかな槍をルミナへ手渡した。
「―――そう言う意味じゃないんだけどな」
「何だ?」
うつむきながら小さく呟くルミナに俺は理由も分からず聞き返したが答えは無かった。
俺達は風が静かに走る草原に佇み、沈む夕日を見つめていた。
俺が今できることは、彼女が野営地へ帰る気になるのをただ待つだけである。
「―――あなた向いているかもしれないわよ」
日も暮れて風が強くなり始める頃になって、いつものルミナらしい声が聞こえた。
「何に?」
「ここでの生活よ。槍も初めてとは思えないほど達者だし、馬も私について来れるじゃない」
俺の視線の先に笑顔を浮かべる彼女がいる。
そのことに少しだけ安堵を覚えた。
「手加減してくれているのだろう?」
「私はそんなことしていないわ!」
再びそっぽを向かれてしまった。
いかん、怒らせたようだ。
「そうか、すまない」
再び無言になる俺達。
気まずい空気の中、ルミナが声を上ずらせて再び口を開いた。
「あ、あなた、どこへ行こうとしているの?」
「・・・・・・どこなのだろうな」
俺は正直に答える。
本当に何も決めていないのだ。
「―――らここでも」
「ん?」
ひときわ強い風が大きく草原をざわめかせ、彼女の言葉をかき消した。
「もう一回言ってくれ」
「バカっ!!」
さすがに面と向かっては初めて言われたぞ。
自分自身にいくつも欠点かあるのは分かっているが、商いでも何でも人から頼られて卒なくこなしてきたつもりだ。
お前もさっき俺のことを褒めたばかりなのに、それをいきなりバカ呼ばわりか。
・・・・・・だが実際そうなのかもしれない。
たった一人でこんなところをさまよう羽目になったのは、きっとルミナの言うとおり俺の愚かさから何かを間違った結果なのだろう。
だがそれを年下の少女に教わるとは。
やはり正真正銘のバカ者なのかもしれないな。
「くくく、やはりお前は面白い」
「な、何よっ。おかしな人!」
「それも久しぶりだな」
俺は初めて会った時の彼女に言われたことをふと想い出した。
そして今は少なくとも地に足を着いた生活ができている。
「やはりお前は人を導ける巫女なのだな」
「・・・・・・そんな大した人間ではないわ」
「どうした?」
また声に元気がなくなったのだ。