1 出会い(挿絵あり)
「あなた、見掛けない顔ね。その銀色の髪と目―――とても珍しいわ」
突然馬に跨った少女がすぐ目の前の丘の上に現れ、満足そうな笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
俺もせいぜい二十を超えたところのまだまだひよっこの部類だが、彼女はその俺よりも更に年若く瑞々しい健康そうな四肢を露わにしている。
その他の色々なところの成長度合いは人それぞれだから多くは語るまい。
印象的だったのは、風になびく金色の髪とはっきりした目鼻立ちの中で生き生きと輝く青い瞳だ。
この辺りの騎馬の民特有の外見であった。
少し目の色は異なるが雰囲気の似ている恩人の小さな愛娘を俺は思い出した。
「私の言葉、分かる?」
少女は返事をしない俺に不安を感じたのか馬を下りて側へとやって来た。
見知らぬ男に不用心だ、などと言うつもりはない。
彼女は小脇に身長と同じくらいの朱色の柄をした槍を抱えている。
これも騎馬の民の特徴である。
「大丈夫だ。俺は東を目指して旅をしているところだ」
「良かった、私の言っていることは分かるのね。あなたは山の向こうから来たのね?」
「山の向こう―――ふふ、そうだな」
「な、何がおかしいのよ!」
突然笑い出した俺に自分が馬鹿にされたと思ったのか、少女は顔を赤らめてつま先立ちで突っ掛って来た。
それでも俺の胸くらいにあった頭がせいぜい顎の辺りまで上がって来る程度だが。
「気を悪くしたなら謝る。すまなかった」
俺は素直に頭を下げる。
「お前は山の向こうから来たと言ったが、俺は山の向こうへ来たと思っていた。それぞれの立場や考え方がある。そんな当たり前のことを今まで忘れていたのかと知って急に笑いたくなったのだ」
顔に掛かかる少し伸びた髪を掻き揚げながら、俺は先程よりも自然な笑みが浮かぶのを感じた。
「おっ、おかしな人っ!」
少女の赤い顔が少し遠くなった。
どうやら爪先立ちを止めたらしい。
俺達が山と言ったのは、ここからでも西の空に威容を誇るルドビアヌ山脈のことだ。
険しい山道が延々と続き、一歩踏み外せば谷底へまっしぐらな急峻過ぎる尾根と融けることのない雪原を抱え、よほどの物好きか強固な意志や目的を持つ者しか足を踏み入れることはない。
俺はその範疇で言えば間違いなく物好きの部類だ。
そこを境にして住む者達は、それぞれ山向こうの地を東方、西方と呼んでいる。
「この辺りをそんな手荷物程度で馬にも乗っていないなんて正気? あっと言う間に行き倒れるか、性格の悪い奴らに身ぐるみ剥がされてしまうわよ!」
憎まれ口を叩く彼女の顔はやたら赤く無理やり素っ気ない振る舞いをしているようだが、心配してくれているのは分かった。
しかし俺は荒くれ自慢の海の男達に長い間鍛えられ、腕っぷしには見た目より自信があるので易々とやられるつもりはない。
水や食料が尽きると何ともならないが、今更悲壮感など感じることもない。
理由あって親父が営んでいた商会を畳まざるをえなくなり、俺にはこの身以外何も失くすものはない。
自暴自棄になっているのではなく、すべてが自由で何もかも己のためだけに行動ができる慣れない不思議な感覚に戸惑いながら流されているだけなのだ。
「・・・・・・そうでもないさ」
「呑気な人、やっぱり変よ!」
腰に手を当てて呆れた口調の少女の顔が再び近づく。
思わず漏れた本音が彼女の興味を更に惹いたようだが、今度は俺の方が驚きをもって思わず彼女を見つめ返してしまった。
「呑気か―――初めて言われたな」
第一に寡黙、第二に面白味がない、他にも余裕がないなど幾つかあったが、いずれも俺への評価は否定的なものが多かったと記憶している。
呑気が否定的かそうでないかは微妙であるが、先程より顔をもっと赤らめて横を向いてしまった少女の態度や視線から、微かに好意らしきものが感じられる。
俺に興味が無ければ捨て置けば良いだけなのに、わざわざこの場で相手をしてくれていることからも間違いではないだろう。
それとも俺だけの勘違いで、少女は格好の追剥の獲物を引き留めて屈強な仲間が来るのを待っているのだろうか。
それならそれで構わない。
しかし予想通りと言うか幸運であったと言うべきか、少女は屈強な仲間も俺を見捨てる非情さも持ち合わせていなかった。
「い、行くところが決まっていないなら、わ、私達の天幕へ来る?」
相変わらず顔はそっぽを向いているが、目だけはしっかりと俺を見ている。
「お前の?」
俺は思わず問い返す。
騎馬の民達は部族で季節ごとに移動をして遊牧を営んでいる。
いずれ糧食を手に入れるためにどこかの部族を訪れるつもりだったのだが、さすがにこれはどうかと思われたのだ。
ほいほいとついて行ってみたら、やはり天幕の中は男達で溢れかえる全然嬉しくない状況もあり得る。
昔から体格の良い裸の男達に囲まれるのは慣れているが、好き好んでそんなところへ行く趣味は俺にはない。
「母様があなたを連れて来いって言ったのよ」
「母様? 俺はお前の母など知らないぞ?」
初対面の少女に母親がどうだとか言われても答えようがない。
それとも待ち伏せている屈強な男を悟られないように母と呼んでいるのか。
俺の猜疑心を感じた取ったらしい少女が困ったように小さく呟いた。
「そんなの私も知らないわよっ」
俺はこれまでの反応と比較して、真に迫ったこの表情に嘘はないと何故か信じられた。
「そうだろうな―――俺は構わないが本当に良いのか?」
「えっ、来てくれるの?」
少女は信じられないのか青い目を見開いて聞いて来る。
それだけ俺があからさまな疑り深い視線を向けていたのだろう。
少し申し訳ないことをしたかもしれない。
「遅かれ早かれどこかの部族には世話になるつもりだった。それがお前のところならありがたい」
「良かった・・・・・・」
少女は小さな胸に手を当てて安堵の笑みを浮かべている。
やはり信じても間違いなさそうだ。
「あなたが来てくれるのは嬉しいわ。でも私はお前じゃないわ、ルミナよ。覚えていおいて」
「ああ、分かった」
俺はしっかりと胸に刻む。
「遠くないところに私達の部族が野営をしているの。旅人も滅多に来ないから珍しがってみんな喜んでくれるわ」
「珍しいのか?」
「交易する物も持たない小さな部族なのよ」
「そんなところへ本当に行っても良いのか?」
騎馬の民についてそれほど詳しくはないが、かなり閉鎖的だと俺は聞いたことがあった。
「私と母様は大歓迎だけど、他は帰ってみないと分からないわね」
「・・・・・・みんな喜ぶとか言ってなかったか?」
「言ったかしら?」
信じられると感じたのは早まったかもしれない。
「おい」
「ルミナよ」
俺の不機嫌な声に輪を掛けたような不機嫌な彼女の返事。
さすがに礼を失していたと思い、俺は言い直す。
「・・・・・・ルミナ、お前の方がよほど変だぞ」
名前を呼ぼうが言っている内容が相変わらず失礼なのはしようがない。
「こんな場所を馬も無しに歩いているおかしな人に言われたくないわ」
分かっている、その通りだ。
俺は苦笑いするしかなかった。
「ところで私はあなたを何て呼べばいいの? 変な人? おかしな人? 呑気な人?」
「・・・・・・ザインだ、俺の名はザイン」
「ザイン―――何だか清々しくて心地いい響きね」
ルミナは目を閉じて俺の名を呼ぶ。
やはりお前の方がおかしい、と言い掛けた憎まれ口を俺は呑み込み別の言葉を告げる。
「よくある名前だと思うが―――ありがとう」
俺の感覚は俺の国のものだ。
彼女には彼女の思うところがある。
それをつい今しがた教えられたばかりだった。
「ルミナも溌剌とした良い名前だと俺は思う」
付け加えたようになってしまったが、彼女は気を悪くするでもなく微笑んだ。
「どういたしまして。じゃあ行きましょうか。ザイン、あなた結構鍛えてそうだけど頑張りなさいよ」
「頑張る?」
思い掛けない言葉に俺は眉を顰めて聞き返した。