盟立中之鳥学園
俺の生きるこの日本がこんな風になってしまったのには、勿論、理由がある。
出会いというのは良い言葉として使われる事が多いが、実際のそれは悪い出来事の方が多いのだろう。
それまで、この国は比較的平和だった。というか、地球に住むだいたいの人間にとっては、その後に比べれば平和だったのだ。どこぞの国で火薬を使った戦争をしている分には、まだまだ俺達は平和を謳歌していると言えた。
では、平和で無い状況とはなんなのか。言ってしまえば、こっちの常識が通用しなくなるということだと思われる。
出会った相手が、言葉も通じぬ、こちらの思考も伝えられぬ。勿論、相手が何を考え、表面的に何を伝えようとしているのか分からない。
そんな相手が積極的に接触しようとして来た時、平和というのは脆くも崩れ去ってしまうのだろう。
それはある日突然に起こった。それもどこかの個人。どこか特定の国で。という訳では無い。全世界規模で起こってしまった。
何かって? 何でもである。例を幾つか上げようか。例えば手から何の種も無いのに炎や氷を発生させる存在が現れたらどう思う? とりあえず地球ではそういう人種を手品師で無ければ魔法使いと呼ぶ。というか、呼ぶことにした。本当だ。実際にそんなのが現れた。それも国単位で。
日本の南東。詳しい経度緯度など覚えていない。所詮は他国だ。だが、地図で言えばずっと右下辺りに、突然、大陸がまるまる一つ現れたのだ。
オーストラリアよりかは一回り小さい印象があったと思う。そこに住む人間、まあ、外見上は人間だ。彼らはこちらの認識で言えば魔法使いであった。本当に、奇跡と呼べる魔法を使うのである。なんでも異世界から現れたそうだ。
ちょっと待ってくれ。俺は正常だ。俺以外の他にも聞いてみたら良い。だいたいの若い奴は、授業で習ったと口にするはずだ。もう少し上の年代なら、れっきとした事実であり、実際、当時を覚えていると答えるだろうさ。
さっき幾つかと言っただろう? ああ。落ち着いてくれ。これだけじゃあないんだ。宇宙から宇宙人が現れた。
ああ、くそっ。だからそんな目で見ないでくれ。だから疑うなら、俺以外にも聞けば良いだろう? みんな、さっきと同じように答えるはずだ。だからその、授業で習ったか実際に体験したかだ。
問題ってのはどうしてこうも連続で起こるのか。四国くらいの大きさがある円盤飛行機が地球にやってきたのだ。彼らはとりあえず地球の衛星である月の土地の一部を貸してくれと接触してきた。この地球にだ。
なんでも恒星間航行機能だかなんだかが致命的な故障を引き起こし、その修理を行うために安定した土地と資源と労力を必要としているらしい。修理には地球時間で2,300年程掛かるんだそうだ。
さて、次は何を話そうか? 例はあと3,4くらい上げられると思う。ちなみに俺は歴史の授業にそれほど熱心では無く、さらにはまだ高等教育を終えていない学生の身だ。もうちょい成熟して理知的な人間に聞けば、俺の倍くらいは教えてくれる可能性もあるだろう。
ただまあ、こう理解して欲しい。それまでは平和で、その平和が、突如現れた、それまでの常識から遠く。地平線の先よりもっと遠い場所にいる存在に崩されたのだ。
現れた彼らは争いを求めなかった。だいたいが共存を望んだ。それは幸運だって? ふざけるなって話さ。向こうがどう言おうが、こっちがどう考えようが、両者共に相容れない常識を持っているのだ。誰かは誰かを理解できる存在だったわけじゃあない。もしそうだった時こそ、幸運だと言ってくれ。
だが、そんな幸運は無かった。だから起こったんだ。戦争がだ。どこかの陣営の子どもが殺されたとか、侮辱的な発言をしたとか、実は征服を企んでいたとか、そういうくだらない理由が導火線に火を点けたんだ。
くだらない。本当にくだらない。どれだけ理由があろうとも、世界すべてを巻き込んで、尚且つお互いの人口の半数をぶち殺す様な戦争を引き起こす正当な理由に比べたら(本当にそんなものがあればだが)取るに足らない理由のはずだ。
ただまあ、起きてしまったことを嘆いても仕方ない。残念ながら未来からタイムマシンに乗ってやって来た存在はいなかった(これもまた不運だ)ので、とりあえずそれくらいの被害を出した時点で、人類史上、最悪の戦争は終わった。
終わったからと言って、現れた奴らが消えて無くなるわけではない。彼らも相応の被害を受けたが、きちんとそこに存在していた。
ただ皆が皆、目の前に存在する自分達以外の何がしかを無視しようと心掛ける様になった。何度も言う。異質な相手との接触は、それだけで平和を乱すのだ。身に染みてその事を理解したのである。
ただし、いなくなる様にするわけには行かなかった。どいつもこいつも被害を受けた戦争だった。どいつもこいつも、相手の力を借りなければ立ち行かないところまで来てしまっていた。
だから、多くの場合は無視し合うとして、交流場所を設けようという話が、どこかの陣営から提案された。
誰もがその提案を余計な事をと思いながら、受け入れざる得ない提案だと考えて了承した。
若い世代なら、まあ、分かり合えるんじゃあないかという意見もあった。多分、俺にとっては一番のクソッタレな意見だと思う。
ただ、流れと言うのはどういう形で落ち着くか分からないもので、この日本に、幾つもの陣営の中から若い奴らを集めて、新世代のための学び舎とする事で落ち着いてしまった。落ち着いてしまったのだ。
そうして俺は、この学園に通っている。今もこうして。
盟立中之鳥学園。日本国本州から南東に作られた人工島にて、その学園は存在している。幼年部から大学部まで存在するこの学園の在籍生徒数は1万を越えるそうだ。そうして今、この瞬間も増えているという噂。
島の人口の半数を占めるこの数の一人が俺、八島・錬太郎である。
春の日差しが照らす中、俺は今日も学園へと向かっていた。
亜熱帯地域に触れるこの人工島において、この4月という季節はとても過ごしやすい季節だ。ただ、今年、高等部の二学年になる俺にとって、学園には目新しいものを感じない。もしかしたら新入生はいるかもしれないが、まあ、昨日今日、何がしかの変化を引き起こすことも無いだろう。
漫然と、島にある学園用の寮から学園へと向かう通学路を進む中で、感じる事が一つ。平穏だろう。俺は平穏が好きだ。変わらぬ日々の何が悪い。もっと楽しいことを! などと口にする者もいるが、自分は兎角こういうなんでもない日のなんでもない登校時間が大好きなのだ。
今日もなんでもなく授業を受けて、なんでもない事をして、なんでもない感じで一日を終える。そういう日々が堪らなく大切だと思う。
しかし、そういう期待は、この学園においてはすぐに打ち破られる。
「げっ」
いくら嫌な光景が目に入ったからと言って、声を漏らしたのは失策だった。おかげで獣に目を付けられた。いや、まあ、人種的には獣だ。しかし目に付く相手にいちいち牙を剥く人間がいれば、それは獣と呼んで何の弊害がある。
その獣は、俺と同じく登校している生徒へ俊敏に近づき、持ち物のチェックやら、生徒の身だしなみだかにその鋭い爪を振り下ろしている。物理的なそれで無いだけまだマシだと思いたいところだ。
その獣がこちらに目を付けた時点で、俺の今日の平穏はすべて潰れてしまった。ぐっちゃぐちゃだ。
獣は獣の癖に足音を立てて近づいて来る。ハイヒールはアスファルトの地面に良く響くからだ。
獣は獣らしく目が鋭い。それは獲物を見定めるためだ。
ちなみに毛並は黒く腰に届くくらいに長い。若干ウェーブが掛かっているのは、きっと獲物に対する威嚇であろう。色気づいてのパーマでは無いと思いたい。そんな恐ろしい想像はしたくない。
さらにその体長は、170cm代後半はある自分よりさらに高いため威圧感があり、獣と目が合えば、常人は動くことはできなくなってしまうのだ。
「おい。こんな時間に登校とはどういうことだ?」
獣は人語を話した。そのことに俺は眩暈を覚える。これが獣のうなり声だったらマシだったのだが、人語を話すことで、その声の主が性別上の雌であることを証明してしまうのである。
いやちょっと待て? もしかした声が高いだけの雄かもしれないぞ?
「この時間って、始業まで後15分もあるんだけど………」
微かな希望を求めて、反抗を試みる。何を言っても無駄だ。諦めろという声が心の内から聞こえてくるものの、今回はまあ試してみようじゃないかという別の声が俺の心の奥底で響いたのだ。
「たった15分だ。もし、何らかの問題が発生したらどうする? その15分はすぐに消え去ってしまうぞ?」
発生した問題はあんただろ。という声と、ほらみろ、抵抗は無意味だ。という声が心の中から響く。
まったくもってその通りだった。悪いのは判断を下した俺自身だ。心の中の俺に謝ろう。そうして認めよう。目の前の人間は獣などという生易しい存在では無く、もっと厄介なものだと。
「姉さん。だから悪かったって。これからは何時もより早く起きるし早く登校する」
目の前の獣、もとい八島・鬼嶋子は俺の姉だ。ひたすらに認めたく無いことであり、人生においてのどうしようも無い不運の存在証明として、彼女は10くらい齢の離れた俺の姉なのだ。
美人か醜女かで言えば前者の方だ。大和撫子か烈女かで言えば後者の方である。ちなみに彼女は学園の教師をしており、こちらは生徒。つまり力関係は、生来のものも加えて圧倒的に向こうが上だ。
ここまで言えば分かってくれるだろうが、俺はこの姉が苦手である。
「そう言って実行した試しがあったか? お前は何時も私の話をそうだそうだと口で肯定しながら、一切聞き入れないんだ」
いやいや聞き入れるとも。少なくともあなたが学園の門で生徒指導をしている日には早起きする事を決めた。その方が嫌な時間を過ごさずに済むからだ。
ただ、そんな言葉は口にしない。口にした途端、さらなる問題が発生して、始業までの15分がすべてこの場所で潰れてしまうだろうから。
こうやって彼女の小言を聞く側として全うすれば、10分くらいで済むはずなのだ。5分あれば、走って教室に向かうことは可能だろうと思われる。
「そりゃあこっちが悪いんだよ。器用じゃないんだ。知ってるだろ?」
「お前はそういうが、そう考えている息子を持った父さんや母さんがどう思うかだ」
彼女は何時もこんなことを言う。自分の言葉じゃなく、俺と彼女の両親を持ち出してくる。随分と獣らしく無い卑怯なもの言いではないか。
口にはしない反論を心中で言わせてもらうなら、そんな事は無い。あの人達はいちいち姉さんみたいに俺を目の仇にしたりはしない。というものになるだろう。
そんなことを実際に口頭で伝えてしまえば、遅刻どころか、今日一日が潰れてしまいかねないのが一番の問題か。
「だいたい、最近じゃあ問題児として見られ始めているのを知っているか? 何か大きな問題を起こしたわけじゃあないのは私も分かってる。だが、何時か起こすんじゃないかと―――
姉の小言が続く。この分だとこちらの予想通り10分間続くだろう。ちなみにいろいろと集まっているはずの、この学園における公用語は日本語だ。
厄介な物を押し付けられた日本政府が、うちの国に作るなら日本語を共通語として話をさせるぞと押し切った結果であるそうだ。
生来の日本人である俺にとっては、外国語や異世界語、異星語などというものを習わなくて済んだので、その点については有り難い話であると言えなくも無い。
しかし今、この時点だけを見るのであれば、俺の分からぬ言葉が共通語である方が良かったなと思ってしまう。理解できない言葉なら、姉の小言もただの雑音で終わるのだから。
(いや、獣の唸り声みたいにも聞こえるから、どっちにしろ胃痛のタネか)
やはり口にすれば問題どころか喧嘩になりそうな事を考えてみる。頭の中だけならば、どんな罵詈雑言だろうとも人間関係に影響しないというのは、この世界の理屈において良いことだと思う。
「まったく………もうこんな時間だ。ほら、早く行け。本当に遅刻するぞ」
これである。本当に、誰のせいだと思っているのかと言いたくなる口を閉じて、ポーズの上で頭を下げた。
「姉さんの話はちゃんと聞く。実行する努力もする。それで良いんだろ? それじゃあ」
ちゃんと聞いて、ちゃんと聞き逃す。それが姉との上手い付き合い方だ。いちいち飲み込んでいたら、堪忍袋や忍耐が幾つあっても足りないのだ。
そもそも俺が問題児だと思われているのは、姉さんが狂犬染みた凶悪さを持っていて、それの幾らかが俺にも遺伝しているのではと噂されているからだろうに。
急げば間に合うということは、急がないと間に合わないということだ。それと廊下は走るなという言葉があるが、時と場合によると頭に付けるべきである。
急ぎ、教室へと入った俺を見るのは、教室の多数の同級生達だ。そりゃあ慌ただしく扉が開けば気になって目を向ける。
そうして俺が遅刻しそうになって教室に飛び込んだのだと理解して、視線を元に戻すのである。これはこれで当たり前の光景だ。
そんな中で、一切、こちらを気にも留めない同級生達も少数であるが存在している。肝が据わっているのか、細かいことを気にしない性質なのか。何にせよ、みんながみんなこちらを見なければおかしいという訳でもあるまい。
そう考えて、俺は自分の座席へと座る。窓際の後ろから二番目。実に良い位置取りだ。4月に入ってからのクラス替えの際、この席が自分の一年間の位置になったというのは幸先が良いと思えた。あくまで席に限っての話かもしれないものの。
学園のある人工島は眺めだけは大変良いため、窓から見る風景はとても素晴らしいものとなっている。
そんな場所に座って一心地すると、そう言えば俺に目線を向けていなかった同級生の中に、彼女らもいたなと、その対象を横目で見た。見る相手は二人の女子だ。
(肝が据わっているうちの二人になるんだろうかね?)
一人は長い銀髪。染めているわけでも脱色している訳でも無い。正真正銘の銀髪が目立つ女子だ。名前はレイレリス・アクネイター。彼女は宇宙人だ。
勿論、会話が通じぬ相手という意味では無い。言葉そのままの意味である。
特定の移住星を持たず、恒星間を宇宙船で旅をする、異星人ではなく本当の宇宙人。この地球に混乱を呼び込んだ存在一つ。その一員だ。
それ以外の色の宇宙人はいるものの、銀髪なのは宇宙人としての特徴らしい。ただし、人間と違った部分とはそれくらいであり、彼女はどう見ても地球人らしい姿だ。
むしろ、彼女と違って生粋の銀髪で無い宇宙人となれば、外見だけで宇宙人と判断するのは難しい。
レイレリスは、少々堅苦しさを感じる印象はあるが、顔立ちは整っているため、それも愛嬌になっているのだと思う。
そうしてもう一人。ファリッサ・ルイ・コートナ。こちらの特徴は燃える様な赤髪だ。銀髪は珍しいが、赤髪なんてもっと珍しい。
だが、そんな珍しさも地球由来の常識であって、彼女には通じない。彼女は魔法使いなのだそうだ。
それも異世界からやってきた魔法使い。学園のある人工島のさらに南東の海に浮かぶ、太平洋に突如として現れた大陸。そこを根城とする魔法使い一派の一人というわけである。
こちらもまた綺麗な部類の女子であった。ただ悪い点として目つきがキツい。といっても、自分の姉ほどでは無いだろう。あれよりキツいとなれば、それはきっと神話の化け物である。視線で人を殺したりする類の。
彼女らもまた、この地球においては異質だ。否、異質だった。と言うべきか。既に同じ世界の同じ星に住む者同士であり、彼女らだけが異端なのでは無い。異端すらも今の地球では一般的になってしまっている。
例えばこの教室にしたってそうだ。生徒の半数が、戦争前に人間という言葉を持って指していた人種以外の人種が占めている。
誰も彼もが個性的な特徴や特性を持っており、平等に常識的では無い。
(というか、常識ってのは無いものと思えって言うのが、この学園のモットーか)
この学園は混沌の坩堝にある。かつて地球全体を巻き込んだ戦争。それを引き起こした混沌を、地球にある各国と新しく現れた陣営の代表者たちは、この学園に押し込めたのだ。すべてとは言わない。だが、その大半はこの学園にあるかもしれない。
だから本来は、先ほど俺が目をやった、レイレリスとファリッサという二人の女子だけが特別では無くなるのだが、それでもこの教室の中心はこの二人なのだ。
「あら? それってどういうことなのかしら? わたくしがあなたの持ち物に手を出したなんて冤罪をいちいち口にするのって?」
「冤罪ではあるまい。貴様が我らの技術を狙っているのは周知の事実だ。くだらぬ魔法とかいう手品のためだったか? さらに、私の持ち物からE型量子計算機が無くなっている。この教室で! 貴様以外の誰が私から盗むと言うんだ?」
二人の話し声というか、口喧嘩が聞こえて来た。なんでもレイレリスが、彼女自身の所有物を、ファリッサが盗んだのではとの嫌疑をかけているらしい。
この類の喧嘩が彼女らを教室の中心にしてしまっていた。誰だって感情を荒らげれば、その時点で周囲の目を惹いてしまうものであろう。それが特定の誰かであれば尚更だ。
彼女らがそれぞれの陣営において、それなりの地位にある事も災いしている。争いが個人単位で納まらなさそう場合が多くあったのである。色々と怖い面があるため、彼女らを仲裁しようとする者もいない。
新学期になり、教室が変わり、生徒の構成だって変化する。そうしてその変化を決めるのは教師連中であるが、彼女ら二人を同じ教室にしたのは大きな間違いであろうと思う。
それぞれが別のクラスにあった時ですら険悪な関係が、より一層悪くなった。その事を予想できない者が多かったというのが、一番の驚きであるが………。
「怪しいと思うのなら身体検査でもしますの? それで見つからなかったら月の白い難民さんは、どう責任を取られて? 恥を忍んでどこぞの星へお引越しでもしてくださるのかしら? あら、これは大助かり」
「我々を難民と呼んだな!」
レイレリスが近くの机を手のひらでバンと叩いた。おかげで教室中の視線がこの二人に向いた。
(これはやばくないか?)
ファリッサの挑発にレイレリスが乗ってしまったのだ。喧嘩は留まるところを見せないだろう。むしろ、さらに上の段階へ進もうとしている様に見えた。
こいつはなんとかせねばならぬのではないか? そう考えて、俺が席を立とうとしたその時―――
「どうしたー。大声を上げて?」
クラスの担任である、大賀・正治教諭が教室へと入って来た。結果、二人は喧嘩を一旦止めることにしたらしい。お互いがお互いから顔を外し合い、自分達の席へ戻って行く。
(間一髪……か)
俺は席から立つのを中止して、深く席へ座り直し、誰にも気づかれない程度に溜息を吐く。一生徒である自分が、こんな風に気を使うのは色々間違っている。そんな事は分かっている。分かっているのだが………。
(今度、“先生”にでも相談してみるか)
彼女らは要注意だ。頭の中で、俺は自らのクラスメイトをそう評価しておいた。
朝の喧嘩については、なんとか休戦状態になってくれたらしい。授業の合間の小休止においても、二人がぶつかることは無かった。もしかしたら本日だけの事かもしれないが。
昼休みになってから、そう結論付けたので、とりあえずは彼女らから意識を外すことにした。
恋する少年でも無いのだ。何時までも異性の事ばかり考えてはいられない。それよりも、空腹になった腹をどうすべきかを考えるべきだ。
その様に思考を変えていると、話し掛けてくる男子がいた。
「よお。今日は食堂行くか?」
友人の飯沼・健人だ。一見、自分と変わらぬ生粋の地球人種である様に見えるが、彼もまた特別であったりする。
「いや、今日はパンを買ってあるんだ」
彼には申し訳ないが誘いは断っておく。そしてそのまま、ふらふらと一人で教室を出て行った。
実を言えばパンなど買ってないし、そもそも教室をわざわざ出る必要は無いのであるが、それでも一人になりたい気分であったのだ。
今日は朝から嫌な事や気分を損なうことばかりが起きている気がした。それも人間関係に関わることであったために、昼休みくらいは一人になりたいと強く思う様になったわけである。
はっきり言って、今日は人間関係の厄日だとしか思えなかった。
そうしてやって来たのは学校の屋上の一つ。一つというのは、複数ある故の一つだ。
中之鳥学園は、今もその校舎が増築(増殖と呼んだ方が良いほどに)を繰り返している。学園を構成している数多くの陣営が、勝手気ままに自らの陣地を増やしているのだと噂されている。
実際、完全に構内の構造を理解している人間は殆どいないのではないだろうか? 学校法人としては甚だ度し難い状況であるが、こうやって一人になる時には便利だった。誰もいない隠れ家を見つけやすい。
この幾つかの廊下を周り巡り、階段を上り下りした結果に辿り着ける屋上も、俺は隠れ家と認識していた。
「はぁ………なんなんだろうな。狭い箱の中にあれこれ詰めれば、問題がある程度解決するって本気で思ってるのか?」
屋上から学園の風景を見ながら、そんな愚痴を呟いた。聞く相手もいないその言葉は、只々青い空へと溶けていく。
学園は一見平和そうだ。だがそれが見掛けだけであることを、誰だって知っているはずなのだ。
この学園には導火線がそこら中にある。かつては地球中を巻き込んだ戦争。その発端となった導火線の、残りの多くがこの学園に押し込まれたのではと、勝手に思っている。
その事に一生徒が頭を悩ましているのは筋違いだ。それは分かっているのだが………。
「…………ったく。一人になりたいってのに」
一人、気分良くでは無いがたそがれていると、何処からともなく紙きれが一枚降って来た。その紙を手に取って呟く。
その紙は俺の人間関係の一部を構成しているものであった。紙切れには文字が書かれている。内容はどんなものか。一通り目を通してから、俺はその紙切れを雑にポケットへ入れた。
「放課後。西棟の中庭に……ねぇ」
とりあえず授業後の予定はこれで埋まってしまった。これに限って言えば、不幸でも幸運でも無いだろう。
本日の授業は無事終了。例の二人が終業と同時に休戦を解こうとしているのを見たらそんな言葉は絶対に言えないかもだが、あえて視界に入れなかったので、無事終了したということにしておく。しておきたい。
放課後に予定が出来たのだ。いちいち二人の喧嘩を眺めている場合ではない。だから二人が何かをしでかして、それが大事になったとしても、俺には一切関係の無いことだろう? そのはずだ。
「おい、八島! 今日は………あれ?」
後ろから友人の飯沼くんの声が聞こえたものの、聞こえないふりをした。本当に申し訳ないのだが、放課後には予定が埋まっているのだ。
向かうのは学園西棟の中庭。ただ、その場所の中心には向かわない。丁度良く中庭を覗ける廊下の一画を見つけたので、とりあえずそこの壁に背を預けることにした。
それほど時間は掛かるまい。その点だけはきっちりしている人だ。そんな事を考えていると、物音が聞こえた。
「始まったかな?」
壁から背を離し、中庭を覗く。そこには一人の人影。恐らくは中等部の男子生徒だろう。走っているが、かなりの疲労している様に見えた。今にも転びそう―――
(あ、転んだ)
彼は大きく転倒し、そのまま起き上がろうとするも、力が入らず、うつ伏せになったままだ。
その彼を追う様に三人の人影が現れる。同じく中等部の男子生徒だろう。ただし、転んだ生徒を助け起こそうとしているわけではないらしい。
彼らは何やら転んだ生徒に叫び、近づく。不穏な空気とはこのことか。もっとも危うい事を言えば、三人の中等部生徒の右腕が異様な形に変化していた。
(ミューターか。見た感じ、三人とも制御できてるってことは、止めようとしたらなかなかてこずりそうだよな………)
ミューターとは、これまたこの地球で発生した、新たな派閥の一つである。彼らは元々、俺と同じ生粋の地球人種である。ただ、どういうわけか体の一部を変異させる力を得た存在でもあった。
大半のそれは攻撃的な形になり、他者を傷つける。きちんと制御できている場合は、その変異を操れる様になるのだそうだ。
制御出来ていない状態は不定形に近く、制御の度合い毎に、整った形になっていく。だから変異箇所を見れば、そのミューターが力の制御ができるかどうかの判別ができた。今回の三人は、どれも十分に制御できている様に見えた。
ミューターは魔法使いや異星人が現れると同時期に発症し、また、彼らと同じ扱いとされる様になった。つまり、平穏を混乱に変えてしまう異端である。
そうして、この学園には一定数の数がいるというのも同様だ。魔法使いや異星人がいるように、ミューターは当たり前の様にこの学園で授業を受けているのだ。
(いや、当たり前じゃあないわな)
ミューター以外の人間にとって、ミューターがいることはどこまでも異質だ。魔法使いや異星人にしてもそうである。
そうしてこういう問題が偶に起こる。どう考えても三人の男子生徒は、転んでいる一人の生徒を襲おうとしていた。襲われている生徒はきっとミューターでは無い。そういうことなのだ。
同種は同種としか相容れず、違う種が出会えば諍いが起こる。そうしてそれは時々、致命的な領域にまで達してしまう。
(あと10秒)
それが限界だろう。それまでに“あの人”が出て来なければ、俺が出る。そう考えた瞬間―――
「ハーッハッハッハ!!!」
とても良く通る声だ。男子生徒達の声は良く聞こえなかったというのに、その笑い声はしっかりと耳に入って来た。
それくらいの声なので、きっと男子生徒達の耳にも聞こえただろうし、それ以外の生徒に聞こえたとしてもおかしくはない。
だから俺も、その声を聞いた風に中庭へと近づいて行く。男子生徒達の声もしっかり聞き取れる距離まで近づいた段階で、さらなる変化が起きた。
校内放送用のスピーカーから、音楽が流れ始めたのだ。こう、高揚感溢れる音だと思う。自分がもう10年。いや、12,3年ほど以前の精神構造だったらの話だが。
一昔前のヒーローソング。そんな音がスピーカーから流れ始めたのだ。さらに音楽に合わせて声が聞こえる。
「混沌溢れる学園の! 悲痛な叫びを耳にして! 怒りを隠せぬ我が魂! 本日貴様にぶつけよう! とおっ!!」
とおっの声がどこから聞こえたかと目を向けると、それは吹き抜けになっている中庭の上。校舎の屋上からだった。
三階くらい高さがあるはずだが、そこからきっちり声を中庭まで届かせていたらしい。良く聞こえるはずだ。
声の主はそのまま、屋上から中庭へ飛び降りた。そう、命綱も無く飛び降りたのだ。
これまでの展開に付いて行けぬ様子の男子生徒達と、集まり始めた他の生徒や教員は、飛び降りた声の主が、無事、怪我も無く中庭へ着地したのを目にしたはずだ。
着地した声の主はそのまま男子生徒達を見て、さらに叫ぶ。
「学園の調停者! 学園ウルフ! ここに見参ッ!!」
「な、なんだてめぇは!」
「頭おかしい奴がでた! 絶対こいつ気が狂ってるぜ!」
「ふざけんなよ! なんで無駄に声が通るんだよ!」
男子生徒三人が、三者三様の言葉を発する。勿論、頭がおかしい奴こと学園ウルフの言動と、姿に対してだ。
それは仕方ない事だと思う。突然口上を述べ、屋上から中庭へ飛び降り、さらに名乗りを上げたその声の主は、黒いスーツを着込み、狼をモデルにした、白い覆面を被っていたのだから。




