激闘ッ! 二人の男の熱き闘いィッ!!
突然の謎テンションで書きたくなった話です。
彼――パティシエを目指す一人の少年、クリス・ミル・ストンウォールは激しく戦慄していた。息をするのも忘れる程の闘気。思わず一歩下がって仕舞うほどの圧倒的存在感。彼は未だ嘗て、これ程の存在を見たことが無かった。
「何てこった……脚が震えているよ。コイツはヤバい。見ているだけで冷や汗が噴き出して止まらないんだ」
クリスが思わず呟く。その言葉を隣で聞いた幼馴染みのベティも頷いた。
「ここまで高密度の気を感じたのは初めてよ。このままでは、何が起こってもおかしくはないわ」
じんわりと浮かんだ汗が粒作り、額を、鼻筋を、頬を、首筋を伝う。嘗て無い緊張が、この場を包み込む。それ程までの威圧を、目の前の男二人が作り出していた。
一人の名はガルド。ガルド・ハードボールド。悪名高きハードボールド家の長男にして、腕っぷしの強さでは右に出る者が居ないと言われる程の剛腕。<巌砕きのガルド>とは彼の事である。
もう一人はポール・A・マスキュラー。ガルドと双璧をなす荒れ暮れ者。力こそガルドに及ばないものの、悪い事にはよく回る頭を使い、罠や小技で多くの実力者を屠ってきた。相手を翻弄するその動きは人を嘲笑うピエロが如し。<殺戮道化のポール>とは彼の事である。
今まで直接の対決を避けてきたその二人が今、本気の勝負をしようと言うのである。荒れ狂う様な、激しい嵐にも似た殺気。見ている者は最早立っている事すらも儘ならない。
止まらぬ震え。止めどなく溢れる冷や汗。胸が締め付けられる様な張り詰めた空気。気を抜けば腰が抜けるのは必至であった。
静かに向かい合う二人。静寂の中で、呼吸の音だけが大きく響いていた。
ぽちゃん。
地に落ちた汗の音が合図となり、二人は同時に動く。ガルドは軽く脚を曲げ、腰で溜めるように右腕を大きく引く。ポールは両足を開き、右手を高く掲げる。はぁッと双方息を吐き、己が全てを込めた拳を突き合わせた。
「最初はグー! じゃんけんッ……!!」
まず真っ先に動きを見せたのはガルドであった。腕を降り下ろす途中、手を開く。その手はパー形作ろうとしていた。
一方ポールは、ただ相手の拳に集中していた。だからこそ彼は動けたのである。開かれる拳。その意味を彼は知っていた。ガルドが出すのはパーだ! ポールの手はチョキへと形を変えていく。
何てこった! クリスは愕然とした。ポールのしていることに気が付いたのだ。
「ポールは……後出しじゃんけんをしようとしている! それもただの後出しじゃあない。コンマゼロ秒ッ、ズルと認められない驚異的な反応速度でそれをしようとしているんだッ!!」
「何ですって! そんなの人間には不可能よ!?」
「でも実際、彼はやってのけているッ!」
しかしポールの手の変化に気付かないガルドではなかった。開かれていくポールの人指し指と中指に全てを悟る。自分がどうするべきかは決まっていた。
中途半端に開いた己の手を見て確信する。まだ間に合う!
開きかけた手を戻す。強く、拳を握り込むように。
ポールにはガルドの手が一瞬ブレたように見えた。その直後、開きかけていた手が握り込まれようしているのに気が付く。信じられない。彼は自分の目を疑った。だが真実は変わらない。恐ろしい、なんて物ではない。自分が極限まで集中してようやく出来た、瞬間の後出し。目の前の敵はそれを自分の直後に、それこそ同時と言っても過言では無い程、間髪の入らぬタイミングでやってのけたのだ。
だが、負けるわけにはいかない。諦めるわけがない。五本の内二本は既に伸ばしかけているのだ。ならばあと三本伸ばせば良い。
「それだけだッ……!!」
ポールは気付いていない。自らの意図した集中無く、ガルドの手の動きが見えていた事に。彼らは既に、無意識のレベルで極限の集中の中に居たのである。
畜生が! ガルドは思わず心の中で毒突いた。人指し指と中指と共に、途中から他の三本の指も動き始めた事に気が付いたからだ。
(こっちがパーを必死でグーに変えようってのに、コイツは軽々とこれを上回って来やがる!)
実のところポールも軽々とやっている訳では無いのだが、しかしそれにしたってガルドは追い詰められ過ぎていた。
グーを出そうと勢い付いている手をチョキに変えるのは最早不可能な話だったからである。
どうする。
考えている余裕など無かった。負ける訳にはいかない。ただその思いだけが彼の手を動かした。
「「こ、これは……ッ!?」」
クリスとベティが驚きの声をあげる。
出された手はパーとパー。相子であった。
ガルドはチョキでは間に合わないと悟り、せめて次の可能性がある相子にしたのである。
「相子で……っ!」
もう一度二人が拳を構える。
更なる緊張。一度引き分けた彼らは相手を越えなければならない。同等である相手を越える。それは即ち自分を越える事である。彼らは過去の自分を超越し、更なる高みへと上ろうとしているのである!
彼らの周りに圧倒的な気が集まり始める。それは限界を超える証し! 彼らの伝説の証明!
「ん~っ、美味しい~ッ♪」
だがそれは唐突な、場違いにも可愛らしく、そして幸せそうな声でプツリと中断された。
声の方を見れば、頬に手を当てて幸福の絶頂とでも言うかのように目を細めた少女がいた。
彼女が手にしているのは皿とフォーク。皿の上にはケーキの生クリームが少しだけ残っていた。これは、先ほどまでクリスが持っていた筈のケーキである。
「「あああああああッッッッ!!」」
ガルドとクリスは大きな叫び声をあげた。当たり前だ。彼らはこれを賭けてじゃんけんをしていたのだから。
だが、無情にもそれは既に少女の胃の中である。
二人の瞳から光が消えた。
何のためにこんな事をしていたのか。自分達がじゃんけんをしていたのは、決して人間を超越するためではない。ケーキのためだ。クリスが焼いた、ケーキを食べるためだ。
あまりの絶望。それが彼ら二人の心を壊した。錯乱した二人は口元に生クリームを付けた少女に襲いかかる。
あわや少女が男二人の豪腕に晒されるかという時、ガルドとポールの身体がクルリと宙で回転した。そしてそのまま勢いが無くなり地面へ自由落下する。
ドシンと大きな音が鳴り、強かに腰を打った。
何が起こったか分からない二人。目の前の、少女とは違う人影を感じ、顔を上げればそこにはクリスが立っていた。
「女の子に手を上げるのは戴けないな」
ガルドとポールのじゃんけんの一瞬の攻防を目視してみせた彼の実力は、伊達ではない。