孤高の魔王
魔王が住むとされる城、魔王城。高く聳え立つその建物の最上階に二人は居た。
「クックック……ハハハハハッ!よく来たなぁ! 勇者よッ!!」
過剰とも言える装飾の付いた玉座に座る魔王が大袈裟に高笑いを上げる。その鋭い目は爛々と輝き、見たもの全てを震え上がらせると呼ばれるに相応しい殺気に包まれていた。
禍々しい程に黒光りする鎧は全ての衝撃からその主を守り、地面にまで垂れる漆黒のマントは底知れぬ闇を連想させた。無造作に床に突き刺された巨剣はその切れ味、重さ、漏れ出る邪悪なオーラ、どれをとってもこれより勝るものはないだろう。
圧倒的存在感、圧倒的風格、圧倒的威厳、圧倒的威圧。
これこそが魔王、そう誰もが息を飲むほどの強者であった。
魔王城の主にして、人類最大の敵。最強にして最凶の存在。
魔王。
「あ、そういうの良いんで、普通に前に出てきて戦ってもらえます?」
「あれ?」
が、目の前の勇者はそこらへん一切を気にしなかった。
雰囲気とかどうでも良いようである。
少し魔王はがっかりした。
滅多に人がやってこない魔王の部屋。久しぶりの来客にテンションが上がっていたのである。
ちなみにテンションとは英語では緊張のことを指し、文法上ハイテンションという言い方はあり得ないので注意するべき単語である。日本語につられずア ロット オブ テンションズなどと言うとポイントが高い。ただどちらにせよ不安や緊張感を表す単語で、英文では高揚感を表すために使うのは避けた方が賢明だ。
「こう言うのは雰囲気が大切だとは思わんか?」
「うっさいです」
「え、いや、その……ね? ほら、やっぱり雰囲……」
「うっさいです」
「あ、あの……」
「うっさいです」
魔王は泣いた。
涙が滂沱と溢れる。いい歳した筋骨隆々の魔王が号泣していた。
はっきり言って気持ち悪い。目に毒だった。
「面倒臭いんでさっさと終わらせたいんですが」
そう言いながら待ってあげる勇者は優しいのか、はたまたただのドSなのか。
動かない魔王に勇者は、懐から葉巻を出して火を点ける。
「で、さっさとしてくんない?」
煙を吹かして魔王に言う勇者。口調がだいぶ崩れてきた。イライラしているようである。カルシウムが足りない。
涙目の魔王も、ようやく動きだす。
座り心地が良いのか疑わしい玉座から立ち上がり、横に突き刺さる魔剣に手を添える。
「勇者よ。我に敵対するを後悔するが良い!」
ガッ!
床に突き刺さった剣はびくともしなかった。
「……あれ?」
引っ張る。引っ張る。引っ張る。だが抜ける気配はない。
では逆にと、むしろ押す。より深く突き刺さった。抜けない。
魔王が魔剣を装備するのは絶望的に不可能となった。
「……………………勇者よ! 我に敵対するを後悔するが良いッ!!」
魔王はなかったことにした。
仕切り直しである。
もはや剣は諦めたのだ。
「貴様など、魔剣無しでも勝つことは容易!!」
単に魔剣が抜けなかっただけの話である。
だがそれを認めるのは魔王の矜持が許さなかった。泣きじゃくるのは許されるのに。まったく基準が不明である。
「一応ちゃんとこっちまで来てください」
丁寧口調に戻った勇者が紫煙を吐いて言う。彼は嫌な予感がしていた。
どうにも、何か想定外のことが起こるような。勇者は静かに緊張感を増していた。
「良いだろう。我と拳を交えること、光栄に思え!」
ゆっくりと玉座から勇者のもとへ降りてくる。その距離約20メートルが徐々に狭まる。意外と離れていた。
ちなみに勇者は普通に剣を装備している。拳を交える気はない。
外では雷が鳴り始める。
豪雨が、この二人の戦闘の激しさを予感させた。
窓にぶつかる雨音が、二人の間に流れるピンと張り詰めた空間を際立たせる。
距離が18メートルを切ったとき、突然魔王が大きく動きだす。
「行くぞ、勇者!」
ガッ!
その距離が急に縮まり17メートルになったところで魔王の動きが止まった。
玉座にマントが引っ掛かっていた。
無駄に丈夫な生地のせいで破れることもなく、魔王はそれ以上先へ行けなくなっていた。
勇者の嫌な予感はこれだった。
「……………………行くぞ! 勇者!!」
魔王がもう一度叫ぶ。鬼気迫る表情で勇者のもとへと―――
ガッ!
仕切り直しは無理だった。
魔王の首が絞まる。急いで数歩下がり、息を整えた。魔王の首元にははっきりと赤い一筋の線が入っていた。マントが食い込んだ跡である。というかマントを直接首に巻いていたらしい。そう言うものなのだろうか。ちなみに勇者のマントは鎧にくっついていて、間違っても引っ掛かったマントで首が絞まるということはない。魔王のマントの付け方がおかしかったようだ。
「くっ……やるな、勇者よ」
真剣な顔で魔王が勇者を誉めるが、今までに起きたことは全て魔王の自爆である。勇者は葉巻を吸っていただけて何もしていない。
魔王は椅子のもとへ戻り引っ掛かったマントを外した。今度は少し早歩きで勇者の方へ戻る。
「ふげっ!」
ガッ!
と、マントがまた別の部分に引っ掛かっていた。
戻る。外す。
もう一度勇者のもとへ行こうとして、止まり少し考える。
魔王はマントの結び目をほどき、投げ捨てた。正しい判断だった。キツく絞まった結び目に苦戦さえしなければ。
「さあ、勇者よ! 今こそ恐怖の宴の時ィッ!!」
晴れ晴れとした顔で叫ぶ魔王に、勇者は冷たい視線を投げ掛けた。ゴミを見る目だった。
度重なる自分の失敗も相まって魔王の心は折れた。
----------
こうして魔王城の主にして、唯一の住人である魔王は討伐された。
対魔王予算削減の影響を受け、予算増額のための実績作りの一貫でただ一人、最弱孤独の魔王が住む城に挑むこととなった少年は後にこう語ったという。
「また一人、世界からボッチが減った」