タロウは住民と遭遇する2
「……あ、う?」
タロウは意識が戻る。
――身体が重い。
今度は何処だ、クソ野郎。
どうやら仰向きに寝ていたらしい。
いつもの癖でダガーを確認するが腰にない。
身体にはご丁寧に布か何か掛けられている。
――ひょっとして死んだと思われて盗まれたか。
まあ、あの血まみれじゃ仕方ないか。
今は生きているだけ、まだマシと思うか……
ゆっくりと息を吐きタロウは目を開けた。上がまぶしい。
おそらく天井には極光石がついていると思う。
「ここは…」
タロウは半身を起こし、一応警戒を忘れずに辺りを見渡す。
「普通に部屋、だな。……もうわけ分かんねえよ。
だれか本気で説明してくれ……」
目を部屋全体に移せば、ここは何処かの一室だった。
全て木でできている部屋なのだが、その素材を見たことがなく、頑丈で上等なもののようにタロウは感じ取った。
王都の貴族の、もしくは王城で使われていても何ら遜色のない品質。
間違いなく一級品だ。
――なんだ…この妙に良い待遇は
妙というのは部屋の備品が非常に少ないのだ。
タロウが寝ているこのベッドと、その横の小さなテーブルと二脚の椅子。
あとは頑丈そうな木製扉に、後ろの窓だけ。
まあそれでも、今まで寝泊まりしていた宿に比べると天と地の差ほどあるのだが。
タロウはカーテンを払い、ちらりと窓の外へと目をやる。
周りはすでに闇が支配していた。
――もしあのまま森の中で放置されていたら絶対死んでただろ…
がちゃりとドアが開いた。
タロウは警戒を強める。
「……もう起きて大丈夫ですか。どこかまだ痛む所はありませんか?」
女の声だった。
気配は2人。
「あ、ああ。どどどう、も」
振り返り返事をするも情けない声が出た。
恥ずかしいが、声が震えてしまった。
「一応エテボテスから助けたのですが、襲われる寸前だったので少々助け出した方法が過激で……」
――過激どころか、どう見てもトラウマもんだよな…あれ
そんなことよりも、タロウはここに飛ばされた最初の場所、花の女王だと思った真っ赤な花を頭に浮かべていた。
最後に見たのは血の大輪だったのだったからで非常に似ていた。
エテボテスというのは先ほどの『猿帝』と自身が名付けたあの猿の事だろうか。
それが表情に出ていたのか、彼女が余計に心配そうな目でタロウを見ていた。
「え、えっと……」
「本当に……本当に助かりました。
ありがとうございます。ありがとうございます」
タロウは彼女に何回も頭を下げた。
迷宮に潜っているため命のやり取りは日常であった。
大怪我もした。死にかけたりもした。
しかし、タロウはそれらを潜り抜け生きてきた。
それでも先ほどの一戦、否、狩りと呼ぶべきあの一瞬。
時間にして数刻もしくは数針。
タロウの死は確定していた。
それでも、なおタロウは生きている。
「いえいえ。ホントに助かってよかったです。
私はリリアと申します。あ、あのもうお礼は結構ですので…」
凛とした美しい顔だ。
それでいて、ギリギリ肩まで届くか届かないかの銀色に靡く髪。
細身で華奢かと思いもしたが、鍛えられた鋼。
むしろ磨がれた刃を、それでいてしなやかさを感じさせる。
非の付け所がない美少女だった。
――ん?…おお!!
わかっていても視界に入れるだけで目を奪われる。
声に出さなかっただけましだった。
おそらく顔に出てしまっているだろうが。
女冒険者が好んで着る袖のない黒のアンダーシャツ。
リリアは二本の交差したベルトでさらにくびれを強調している。
極めつけは、わきから零れてしまっている胸。ブイの字から見える谷間が実に素晴らしい。こんな疲れ切った時でも見てしまうのが男の性とでいうのか。
「おい!姉ちゃんが名前教えたんだ。さっさとお前も教えろよ!」
「もう。乱暴な言葉を使わない。此方は弟のカールです」
「まじまじ見過ぎだぜオッサン!」
ごっ、とカールの頭に拳骨が落ちた。
カールと呼ばれた少年の顔がその痛みに歪む。
やったのは勿論リリアである。
「すみません弟が」
「姉ちゃんこんな奴に謝んなくても―――」
言い切る前にもう一度拳骨が落ちた。
カールが泣くぐらいだから、二度目の拳骨は相当痛いのだろう。
「ああ。
まだ名乗ってなかった。俺は冒険者のタロウ。第3級証持ちだ」
「第3級証持ち…?
たろー?ああ……タロウさんですね!!」
「おいタローのオッサン!」
――おっさんって……いや、まあ…うん。
確かに今年で32にもなるが…改めて聞くととなあ
カールの第一印象は生意気なクソガキ。
年齢は10か9程か。しかし、姉に劣らず鍛えられている。
体つきは不可もなく、服の上からでも分かる鍛え上げられた筋肉。
その纏っている雰囲気は一流の武芸者として確かなモノだ。
姉は磨き抜かれた刃なら、この弟は未だ熱し続け鍛えている鋼、素材そのもの。
いずれは…いやきっと―――
「なんだよ。姉ちゃんの次は俺か?
ジロジロ見るんじゃねえよ、気持ちわりー。
残念ながら男に見られて喜ぶ趣味はねえんだよ!」
「こら!タロウさんはそんな方ではありませんよ、ね。
私…タロウさんのためにお茶持ってきましたので、よかったら飲みませんか?」
リリアはにこやかな笑顔をタロウへと向ける。
その言葉を身体は待っていたのだろうか。
タロウの乾いた喉が鳴る。
「ああ…お願いします」
喉がからからだったことが頭の中にはもうなかったのだ。
直ぐに答えると、リリアは笑顔でテーブルの上に持っていたティーポットとカップを並べる。カップに並々とお茶が注がれる。
今まで嗅いだことない独特の匂いなのだが、どこか心が落ち着く匂いだ。
「気づきました?このお茶ってこの村で作られているんです。
身体にとっても良いだけでなく、美味しいんですよ!!」
彼女は笑いながら、優しい瞳でタロウの方を見やった。
タロウはその笑顔に照れながら、お茶を一口飲んだ。
――美味い!!
喉も乾いてこともあって、とりあえず一口と考えていたが一気に飲んでしまった。
独特の味で口に含んだ時は苦かったのだが、後から来る微かな甘さがまた絶妙だった。
一度だけ酒飲み仲間と高級茶を飲む機会があったのだが、それ以上の味だ。
まあ、あの時はお茶というよりは結局酒だったが。
「美味い!!…っは!」
クスッと小さくリリアは笑う。
「よかったです!
実はこのお茶は私が庭で育てているんですよ!
良かったらもう一杯どうですか?」
「姉ちゃん、俺にも俺にも!」
はいはい、とリリアはカールを軽くあしらって、二杯目を注ごうとする。
美味しかったと言われ、彼女の顔が輝く。ニコニコと、本当に嬉しそうだ。
その感情がタロウに手に取るように伝わる。
タロウはすぐに返事を返しもう一杯もらう。
「熱っ!!」
カップが落ちそうになるが、リリアが素早くタロウの手を掴む。
素早い判断だったのでお茶も少ししか零れず、カップも割れずに済んだ。
「リリアさん、ありがとうございます」
「い、いえ。
あと、私の事はリリアでいいですよ!タロウさん!」
なぜかカールにジト目で見られる。
「…お茶は逃げませんからゆっくり飲んでくださいね」
タロウの顔を見てリリアはくすり、と微笑んだ。
あまり男に慣れていないのだろうか。
どこかリリアの顔が赤いようにタロウには見えた。
――熱さすら忘れるほど喉が渇いていたのか。
にしても本当に美味いな……
ふと、目を隣にやる。
そのやり取りに隣のカールはやはりどこか不満そうに此方を見ている。
「飲んだら、もう一眠りした方がいいですよ。
流石に今日は疲れたでしょうから」
「え、ええ。本当にありがとうございます。
確かに今日はいろんなことがありました。これ飲んだら寝ます」
「それがいいです。
今日は本当に大変な一日でしたね。ゆっくり休んでくださいね」
「おう、オッサン。まあ、ゆっくり休めや」
最後にカールが軽く叱られ、持ってきたお茶のセットをリリアが持っていく。
喉が乾いたらお水もあるのでと言われ、カップと水差しだけは準備してくれた。
天井から紐が垂れているが、それを引っ張れば明かりが消えるとのこと。
何回か引っ張れば極光石の明るさの調節もできるらしい。
「それでは。何かありましたら直ぐ呼んでくださいね!
直ぐ来ますから!!」
「はいはい。姉ちゃんほら、行くよ。
じゃあなオッサン!」
ドアがゆっくりと閉められ、途端に静かになる。
タロウの息が漏れた。
紐を引っ張って明かりを消す。
何となくで消したのだが、後でその魔術回路の凄さを理解することになる。
――今日は一日とんでもない日だった。
転移されるは、猿公に殺されそうになるわ……
唯一の救いがリリアに出会ったことか。
回想に浸っていたら涙が零れた。
「えっ…?
ウソだろ…」
思わず、タロウの声に出る。
「ああ……」
両親が亡くなり、故郷の友が亡くなり、その時に涙は枯れ果てたとタロウは考えていた。
実際、その後に何人かパーティーを組んだ奴も亡くなっていたが、タロウは悲しんだりはしたが唯の一度も泣いたことはなかった。
『ホントに助かってよかったです』
『こら!タロウさんはそんな方ではありませんよ、ね。
私…タロウさんのためにお茶持ってきましたので、よかったら飲みませんか?』
『それがいいです。
今日は本当に大変な一日でしたね。ゆっくり休んでくださいね』
彼女の言葉一つ一つが、彼女の優しさがすうと胸に入ってくる。
まるで凍った氷が解けだすように、タロウの中から抑えていた感情があふれ出す。
「ははっ……生きてる。
確かに生きてやがるッツ……」
タロウの瞳が自然と閉じる。溜まった涙が伝う。
ゆっくりと息を吐いて、タロウは感情を、身体をリラックスさせる。
誰かに心配されるのも、その笑顔を見るのも久しぶりだった。
――――どうも歳を取ると涙腺が弱くなるようだ……
先ほどのお茶の効果が大きいせいか、すぐにでも寝ることができそうだ。
人生最悪最低な日。
冒険者タロウ32歳。
この日を境に彼は生まれ変わる。